忍者ブログ

思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最もノッてる頃…彼等も若いがワシだって若かった。でも意外とアクセルって体型は変わったけど顔は今もさほど変わってない。

このバンドもCDで聴くよりライブだわね。このノリはCDバージョンでは全く伝わってこない。

拍手

PR
同じように男性ダンサー達をはべらせた黒っぽい画面のPVでもこんなにも表現に違いが出るのかと思うと面白い。



マドンナは、どんなに最先端でで大胆な事をやっても、基本、自分がキレイで女の品格が保たれた状態に撮られてないとダメなタイプ。 だけど一見オーソドックスな女の役割を演じているように見えて、実は後述2人を含めた3人の中で、一番強力な先鋭フェミニズムのメッセージを常時内包しているのが彼女のような気がする。





ガガ様はクリエイティビティ最優先。 表現の為なら自分がへんてこに見えるのもいとわない。 キレイに、クールに、キュートに、セクシーに、といった、女性アーティストにありがちな、昨今少々飽きてきた感のあるPV表現のその上を行く表現を目指せる人。 まるで昆虫の翅みたい。 脆くて、繊細で、痛々しくて、多少の気味悪さを孕みながらも、創造主の偉業を讃えずにはいられない完璧な美しさをそこに感じてしまうといった意味で。 ラストシーンの表現なんか、気味が悪いけれどガガ様のPVだったらあれ以外はあり得ないよなと思わせてしまう。



ジャネットは自分の事を最高にセクシーだと「思い込んで」いる。 けれど、彼女が過剰なセクシーさをそのパフォーマンスやPVで表現しようとすると私にはなんだかとっても滑稽に見える・・・というのもその、セクシーな衣装よりエクササイズ用のウエアが似合う感じの女子プロレスラーのような筋骨たくましい身体が、彼女が表現しようとするセクシーさに全くそぐわないからだ。それになんだか彼女には一流のパフォーマーがセクシーを表現する時に失ってはいけない「品」がない。 やはり、その男性並みの筋力を生かしてガンガンにジェンダーレスなダンスを見せて欲しい。 上の二人よりダンサーとしての身体能力は格段に上なのだから。 それに私は露出してセクシー、という路線よりもこのPVみたいにジェンダーレス、無機質、みたいな路線の方がいいような気がするんだけどなあ・・・



拍手

「ハードロック」バンドでメンバー全員絵に描いたようなハマるルックスを持ってるのって意外と少ない。 誰かダサかったりプロポーション悪かったり脂肪が体表面に貼り付いてたり地味だったり、単に私好みじゃなかったりとか…


このバンドは全員キャラがハマってて好き。結構みんないい年なんだけど、若くないところがまたいいんだよね…ハードロック界のローリングストーンズ的存在とでも申しましょうか。

私より一つ年上のスラッシュ兄貴もまだまだパワフルさを見せ付けてくれる。 あんなに美しかったアクセル・ローズは見る陰なくなっちゃったのに。 こうなったら何処までも付いて行きますぜアニキ。




拍手

ゆらゆら帝国も、GO!GO!7188も解散してしまったしな~とぼんやり休止状態だった私のロック日本部門脳に久々喝!が入りました。 このグルーヴ感、ハンパないっす。 あ~ライブ行きて~。



拍手

ミッション・インポッシブル・ゴースト・プロトコル

(文章の最後にちょっとネタバレ気味な部分があります・・なるべくそうならないような書き方にしたつもりだけど)

面白かった。 久々、あとどんくらい観てなきゃならないんだろうと時計をチェックする、というようなことのなかった映画。 MIシリーズ、007シリーズ、それからジェイソン・ボーンシリーズは、身体能力だけじゃなくて知力も最大限使うアクション物なので好き。(知力が足らずにやたら武力や腕力や侠気やら精神力やら神通力やら超能力で片付けようとするアクション物は途中で観るのが嫌になる。) 特に前者2つは、ラグジュアリーな場面もふんだんにあってつかの間の特権階級気分を味わえる。(ボーンシリーズは逆にカウンターカルチャー的なカッコ良さがあるんだけど。)

あんまりトム・クルーズはタイプじゃない筈なんだけど、このイーサン・ハント役のトムにはときめいてしまう。 キアヌやブラピといった同年代のハリウッドスターたちがそろそろ守りに入りだしたのを尻目に、まだまだ攻め続ける強気のトム。 40代後半でこの元気はすごいぞトム。 さすが24時間365日トム・クルーズ。 撮影がないと路上生活者同然になっちゃうキアヌの方が私的にはほほえましくて好きだけど。

手に入れるのだけが愛ではない。 遠くから見守る愛もある・・・大人だわイーサン。
だけどそのために6人殺すってどうよ!?




ブラック・スワン

なんかストーリーのあらましだけ聞いてると、70年代の少女マンガみたいと思って敬遠しそうになってしまうのだけど、観たら凄かった。 最初清純で可憐だったヒロインが最後なんであんなふうになってしまったかというのが、とても自然な流れで、物凄く説得力を持って描かれている、というのがこの映画のキモ。 ふわふわのピンクのタオルや、白鳥の羽に見立ててコスチュームに幾重にも重ね付けされた白いガーゼの中からじわじわと滲み出るどす黒い血、シルクのトウシューズの中の虐げられ、変形し、くっついたままの足の指、完成品のはずの美しい形のシルクのベビーピンクのトウシューズを、靴底を「剥がし」、つま先を「床に叩き付けて」足に合うように加工を加える・・・・全編、指の爪と肉の間に素針が刺さるような感覚の映画。

清純で華奢なイメージのバレリーナが黒鳥を踊るために、いわゆる今時よくあるセクシーな悪女、的な黒鳥ではなく、「邪悪」という言葉がぴったりな雰囲気をまとって踊るシーンは凄かった。 たとえそれがほとんど代役だったとしても、それがとても短いシーンだったとしても、あの説得力を出すのは並みの力量じゃない。 観終わった直後はなぜか、今年観た映画の中で一番かも、と、一瞬思ってしまった。 好きな映画、という訳では決してないんだけど。




スコット・ピルグリムと邪悪な元カレ軍団

なんか、くだらないけど面白かったなあ・・・・今時の二十歳前後のアメリカのちょっとオタク系の子たちってきっとこんな感じなんだろうな・・・ある部分では不器用で真剣、だけど同時に不誠実で白けきってる感じがよく出てる。 若くて経験不足だから、どーでもいいようなことにチョー真剣になる部分もあれば、若くてやり直しがきくから不真面目でどーでもよくなっちゃうところもある。 あの頃に帰りたいと、思うときもあればまっぴらごめんと思ったりもするのは、そんな二つの面が若い時にはあるからだ。 やり直しがいくらでも効きそうなのは心底うらやましいが、もうアホなことでマジに悩みたくない。

キッズ・ウォーに出てた双子の日本人俳優がなぜか元カレ軍団6人のうちの2人として登場。




引き裂かれた女

じいさんが若い子をたぶらかそうとするときに参考になる映画。 あといろんなタイプと年代層の魅力的なフランス女性が登場するのも見どころ。




わたしを離さないで

なぜ脱走せんのだ? 運命を静かに受け止める姿が悲壮感をさらに強調している、っていうような映画評が多かったけど、なんか納得できん。




SOMEWHERE

「こども」から「ティーン」と呼ばれるようになる直前の女の子の、儚く危うい魅力(性的ではないが中世的では決してない)が捉えられた映画。 淡い水色の綿菓子の、ふわふわ、でもちょっとだけべたべたするような感じ。 バンビちゃんの様な体型とストレートのロングヘアはマスト。 撮影から2~3年経っているので、演じたエル・ファニングはすでに撮影時の魅力を失ってしまっている。




ランナウエィズ

前出エル・ファニングの実姉、ダゴダ・ファニングがシェリー・カーリー姐さんを演じる。 懐かしいなあランナウエイズ・・・来日時はまだ小学生だったMIKAも憧れたさ。 でもシェリーはあの時まだ16歳の若さだったなんて知らなかった。 典型的な「堕ちていく」系映画だったけど、男勝り女ロッカー系キャラのジョーン・ジェット役の人もハマっててカッコよかった。 でもランナウエイズって、プロデューサーによって「創られた」バンドだったんだね・・・。

拍手

97cc8e05.JPGウンベルト・エーコ・・・「薔薇の名前」の原作者。 ジャン=クロード・カリエール・・・「ブリキの太鼓」「存在の耐えられない軽さ」の脚本を書いた人。 人生の円熟期を迎えた博覧強記の二人が、進行役を介して、「書物という存在」を軸に様々なトピックについて会話し、それを記録したのがこの本。 圧倒的な読書量に培われた知識と教養をバックに、あえてわかりやすく明快な口調で、かつ文学的な感覚を交えつつ語られる言葉たち。 人生の決して少なくない時間を、膨大で幅広い読書に費やしてきた人が、旅路の果てに行きつく先は、結局のところ、ゆるぎない中庸の精神、といったところか。 
 
 
以下、本文より抜粋してみた。
 
 
本は、スプーンやハンマー、鋏と同じようなものです。 一度発明したら、それ以上うまく作りようがない。 スプーンを今あるスプーンよりよいものにするなんて不可能でしょう。
 
 
今日、ある作家が、書くという行為を全く介せず、先行の文学も全く知らずに、小説を口述するということは考えられるでしょうか。 そういう作品は、素朴さ、未開の感じゆえに珍重されるのかもしれませんが、それでもやはり、そういう作家には、我々が漠然と文化と呼んでいる何かが欠けているんじゃないかと私は思うんです。 ランボーは早熟の天才で、誰も真似のできないような詩を書きました。 しかし、いわゆる自己流ではなかった。 ランボーは十六歳にして、すでに古典的な教養をしっかりと身につけていました。
 
 
紋切り型というのは最低限な知識です。 少なくとも、これから何かを始めようというときには。
 
 
人間というものは、何かのことを考えまいとすればするほど、そのことばかり考えてしまうようになる。
 
 
思い出してしまうということ、そして忘れられないということは、時として問題であり、悲劇でさえあります。
 
 
新しい技術は登場するたびに、過去になされたまったく別の発明に支配された制約や規則を無効にしようとします。
 
 
「未来は未来で、常に予想外」なんです。 未来の最大の美点は、つねに驚異的だということです。
 
 
我々が生きている現在はかつてのように穏やかではなく、たえず未来に備える努力を強いられているのです。
 
 
過去を知ることはあらゆる文明の基盤です。
 
 
大事なのは、何が何でも映画を観るとか読むとか、そういうことではなく、観て読んでどうするか、そして観たもの読んだものからいかに滋養があって腹持ちのよい糧を引き出すかということなんです。
 
 
最後の時が来て、まだプルーストを読んでいないということに気づいて死んでゆく人々の嘆きは、じつに悲痛なものです。
 
 
人間の記憶は、脳がそうであるように、単純化する癖を持っています。 我々は選択と単純化を繰り返しているのです。
 
 
何かを隠蔽するということがこれからだんだん難しくなってゆくでしょう。 独裁者の未来に希望はありません。
 
 
「政治的に正しい」のと「知的に正しい」のは別のことなんですね。
 
 
侮辱の言葉には称賛の言葉より切れ味のいいのが多いですからね。
 
 
過去がそのままの姿で我々のもとに届くということはまずありません。
 
 
信仰はつねに知識よりも強いんです。 我々はそのことに驚き、そのことを嘆きますが、それが現実なんです。
 
 
不条理ほど解釈を生むものはない。
 
 
本当に地球を知るためには、旅をしなければならないのです。 書物は美しいものですが、不十分で、真実ではありません。
 
 
書物の一冊一冊には、時の流れのなかで、我々が加えた解釈がこびりついています。 我々はシェイクスピアを、シェイクスピアが書いたようには読みません。 したがって我々のシェイクスピアは、書かれた当時に読まれたシェイクスピアよりずっと豊かなんです。
 
 
無濾過のワインは、不純物をすべて残しているわけですが、この不純物が時に独特の味わいをもたらすことがあって、フィルターをかけて濾過してしまうと、その味わいが奪われてしまうのです。
 
 
知識とは我々が、何の役に立つのかわからないまま、ためこみもてあましているものです。 認識とは、知識を人生経験に変えてしまうものです。
 
 
教養とはナポレオンの没年月日を正確に知っていることではないという意見に、私も賛成です。 ですが、知っておけることは何でも知っておく、ナポレオンの没年月日、一八二一年五月五日という日付だって、知っておくことで、ある種の知的自立性を確保できます。
 

拍手

CA391985.JPGなぜに今頃スターウォーズ特集なのか?・・・あ~ブルーレイのフルセットが出たからなのか・・・ほんとにSWとブレードランナーは新しいデバイス出るたびにそれ用のソフトがいち早く出るよなあ・・・


この特集でいろんな人がいろんな好きなシーンを挙げている。 私もいくつかツボなシーンを挙げてみた。(カッコ内数字はエピソードナンバー)


1. ダース・モールの二刀流ライトセイバー捌き(1)

2. シリーズ初、遂にでた! マスター・ヨーダのライトセイバーによる戦闘(vsドゥークゥー伯爵)(2) 

3. ドゥークゥー伯爵使用のライトセイバー(唯一、曲がったデザインを持っている)(2)

4. ルークが初めてダースベイダーとライトセイバーで戦おうとする、その最初のシーン。 後ろ姿のルークの手から、彼のライトセイバーの緑色の光が伸びる瞬間。 何度見ても鳥肌が・・・(5)

5. イウォークの森での超高速バイクによる戦闘シーン(6)

6. お父さん(元ダースベイターさん)の火葬シーンとその後イウォークの宴からひっそり離れたルークが見るヨーダとオビワンとお父さんのオーラ(6)

7. タトゥイーンの二重太陽が沈むのを眺めながらたそがれる冒険前のルーク。 わかるよ~その気持ち(4)

8. ゴンゴンごり押してレイア姫を落とすハン・ソロ。 ホスの基地から脱出するまでのやり取りと、故障したミレニアムファルコンの中でのキスシーン(5)   最初はルークにぞっこん入れあげていたはずの私が、このシーンでハン・ソロにコロッと・・・簡単にコロッと寝返ってしまった・・・気の強いお嬢様はこういうタイプに弱いのね。 まあ何だかんだ言って登場人物の中で実は一番情緒が安定してるしなあ・・・。


この特集で紹介されたスターウォーズ系youtube映像より。 ヨーダのHiphop。

拍手

ボトル・ドリーム

パッケージに石田純一推薦なんて書いてあってなんか胡散臭そうで借りようかどうしようか迷ったけど・・・借りてよかった。 楽しかった。 観終わったときにプチ・カタルシスが得られます。

時は1976年。 それまでワインと言えばおフランス、だったところにカリフォルニアのワインが殴り込みをかけることに・・・・というストーリー。 随所に流れる70‘sロックが良い感じで、知恵袋に全曲の曲名を教えてくださいって質問したら、その日のうちに全曲の曲名とアーティスト名、それに全部にYouTubeを貼り付けて下さるという丁寧な回答を頂いた。 ほとんどがドゥービーブラザースの曲だった。 子供の頃からそのバンド名は耳にしたことはあった。 だけど当時は子供だったし、実際に自分がロックを聞き始めた80’sの頃は60‘sはクールでも70’sは“ダサい”どいうイメージがあって、ほとんど今まで聞いたことがなかった。 でも今回その良さを改めて知った。 明るくって軽くってちょっとノスタルジック。 センスのいい音楽だと思う。



ソーシャル・ネットワーク

主人公はめちゃくちゃ頭が切れる。 どんな時でも主人公の言ってることの方が理にかなっている。 それは見ている側にもよくわかる。 実際その時の最善と思われる策を選択しながら着々と事を進め、彼は若くして、起業家として大成功するのだが、その過程で心の底から好きでしょうがなかったデート相手を激怒させ、起業仲間を裏切り、大親友を切り捨ててしまう結果に・・・ホントに、彼の言ってることの方が正論だ。 間違ったことは言ってないし、嘘も言ってない。 それなのにホントに好感の持てないヤツ。 なんなんだろうなあコレって・・・



トランスフォーマー3

周りのみんなが口をそろえて今度のトランスフォーマーはとにかく凄いと言っている、と言う人がいて、1で懲りて2は見なかった私だったが3D初体験も兼ねて見に行ってみた。
確かに終盤のたたみかけるようなスペクタクルシーンはきっと今現在可能な限りの技術を総動員した破綻のない手に汗握る最高水準のヴィジュアルだっていうのは私も認めるさ・・・・もう、いかにもアメリカ人一般ピープルに受けそうなシーンやヴィジュアルの連続だっていうのも認めるさ・・・・どっちかっていうとブロンドよりブルネットやエスニカン好みの私だが新ヒロインもちょーセクシーでイケてるってのも認めるさ。 でもなあ・・・・なんか「中坊の息子のシュミに延々付き合わされてる母親」みたいな気分だった。 はいはい、そういうシーンやシチュエーションが見たかったしやりたかったのよね。 わかったわかった。 気が済むまでやりんさい。 ラストはお決まりの、埃と熱放射による空気のゆらぎの中を歩く戦い終えた兵士たちのスローモーション・・・やれやれ。



シェリ

19世紀末ベル・エポックのパリというと、上流階級の女性、それに半上流階級と表現された高級娼婦たちが最後にして最大の仇花を咲かせていた頃・・・・この後、シャネルの出現と第一次大戦を経て女の服装はもっと簡素に、着やすく動きやすく実用的になる。 それは生身の女にとってはタイヘン良いことであるのは確かなのだが、たとえばヴィスコンティの映画とか、プルーストの小説とかに描写されるこの頃のこの階級の(センスが良くて美しい)女性たちの、凝りに凝った、非現実世界の住人のような装束はまさに「失われた時を求めて」止まない気分にさせられるのも確か。


この映画は脚本がいいなって思う。 どうしてそう思うのかというのを的確に文章表現できたらいいなって思うけど、・・・この脚本家は教養があって、節度のある乾いたユーモア精神を持っている、としか今の私には言えない。

拍手

CA391797.JPGIpod-touch買いました。 Ipod-nanoの不自由さ(PVが見れない、カメラ機能がない、すぐ画面にロックがかかってしまい、再操作するためにはその都度サイドのボタンを押さなければならない、スクロール時の指の感知能力がイマイチ)に耐えかねて買ったんだけど、あちらが立てばこちらが立たず、今度のipod-touchにはラジオがついてない(ジムのテレビの音声はFM電波で飛ばしている。 エクササイズ時にそれ専用のデバイスを借りなくても、私は、ipodを聞きながら、時々テレビの画面が気になるときにはipodをラジオに切り替えてテレビの音声を拾っていた)。 なんでだ!!
 
ituneは、自分のライブラリに所蔵している曲の一つにカーソルを合わせると、勝手にあんたこの曲好きやったらこんなんも好きやろ?などとどや顔で系統の似た曲を一方的に紹介してくる。 その紹介欄に、懐かしいアーチストの名前を見つけた・・・・スクリッティ・ポリッティ。 今の今まで忘れていたけど、20歳前後の一時期、彼らのアルバム「キューピッド&サイケ85’」とスタイル・カウンシルの「カフェ・ブリュ」(ただしこっちはA面のみ)ばっかり繰り返し繰り返し聞いていた時期があったのを思い出した。 (あの頃はこういう音楽もそうだが映画とか服とか所謂渋谷系の前駆的な要素がいろいろ巷に溢れ出していた時期で、今ではすっかりアメカジな私もその頃はあろうことかフレンチ系に傾いていて、今思うととてつもなく似合わなかったと思うのだがステンカラーコートだのカーディガンだの長そでボーダーTだのフラットシューズだの
といったアイテムを愛用していた。) あれほど愛聴盤だったくせに、今、この2つのアルバムは、何故かある女友達の元カレ宅にある。 だって、もう、うちにレコードプレーヤーがないんだもの。
 
 
でも考えてみると、丸ごと全曲通して聴くようなアルバムってなかなかない。 配信形式になってからは尚更だ。 全曲をとりあえず10秒間ぐらい試聴して、それから2,3、曲見繕ってダウンロードするのがほとんど。 アルバムの中の全曲が好きで、しかも1曲目から終わりまでその順番どおりに聞くのが好きなアルバムなんて数えるほどしかない。 私の「曲順どおりに全曲聞くのが好きなアルバム」リストを作ってみた。


  スティービー・ワンダー: 「インナーヴィジョンズ」
 プリンス: 「パレード」
 スクリッティ・ポリッティ: 「キューピッド&サイケ85’」
  坂本龍一: 「エスペラント」
 レッド・ツェッペリン: 「レッド・ツェッペリン」 「レッド・ツェッペリンⅡ」
 ジミ・ヘンドリクス: 「エレクトリック・レディ・ランド」 「アクシズ/ボールド・アズ・ラブ」
 ビートルズ: 「アビイ・ロード」 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
 
 
CA391807.JPGこのチープ・トリックのアルバム、15歳の夏、高校の学園祭で、放送部がやってた中古レコードの模擬店でゲットした。 これは上のリストには当てはまらないけど、それでも私にとっては運命のアルバムだ。 何故なら・・・このジャケ写が、いつかは私もこんなバイクに乗りたいと思い始める最初も最初のきっかけになってしまったから。
 
 
CA391806.JPGちなみに裏ジャケはこんなの。(写真はクリック拡大できます)

拍手

CA391768-0001.JPGガンダムのキャラデザイン&作画監督の安彦良和自ら1stガンダムを基本オリジナルに忠実に、でも完全に忠実ではなく、よりリアルで自然なストーリーにするべく新設定や独自の解釈を交えて漫画化するという夢の企画が現実となって10年近く。 いよいよ来月号のガンダムエースで最終回を迎える「ガンダム・ジ・オリジン」。 今月号はむちゃくちゃ、いや、今までで一番感動して何回も何回も読み返してしばらくこっちの世界へ帰ってこれなかった。 先月号では母親の仇だのララァは母親代わりだのと言うシャアのセリフに100万光年ドン引きした私だったが、うって変わって今月はシャアマジかわいそうで涙でた。 なんかガチアムロ派の私が初めてシャア意識したっていうか・・・(お面かぶったキザで変な人っていうくらいの認識しかなかった・・・私の中ではクワトロ大尉≠シャア)ほんと不憫だったよシャア。
 
ホントこういう、物語の世界に埋没する感覚って久しぶりだったなあ・・大人になるとどんなにおもしろくても客観視というか、現実世界に自分はちゃんといて、あくまでもよくできたフィクションとして捉えるけど、ローティーンぐらいのときって誰でも、その世界にどっぷりとはまり込んでしまってその後の人生にまで影響を及ぼしてしまうような仮想現実体験(本、マンガ、アニメ、映画、ゲームetc…)ってあると思う。 今の子たちならハリポタとか鋼錬とかONEPIECEとか戦国無双ってところだろうか? 私にとってはガンダムとかスターウォーズだったし、同級生の本好きの女の子は「赤毛のアン」だったし、ヒットミーちゃんとかだとドラクエとかFFだったりする。 これが時代をさかのぼるCA391765-0001.JPGと、「風と共に去りぬ」だったり「水滸伝」や「里見八犬伝」だったりするんだろうか・・・この、スタンダール評の著者にとってはそれが「赤と黒」だったみたいだけど、そういえばシャアってすごくこの「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルを彷彿させるところがある。若くて美形で賢くて野心家で、目的達成の為には姑息だったり卑屈だったりとにかく手段を択ばないタイプだと一瞬思いそうになるけど、実はそれほど姑息ではなくてむしろ割といつでも品性を保っていて、潔くて孤高で純粋だったりする・・・お面は変だけど。
 
 
CA391767-0001-0001.JPG・・・冷静に客観的大人に戻って最近ハマっている漫画と言えば、この「聖おにいさん」だ。 基本コンセプトは「イエスとブッダが現代の東京のアパートに一緒に下宿したらどうなるか」。 キリスト教や仏教周辺の様々なエピソードがギャグネタとなって巻き起こる珍騒動の数々。 一般雑誌のこのマンガ読め!系の記事で必ずと言っていいほど取り上げられるので、以前から存在は知っていたが実際にレンタルして読んだのは一年前・・・読んで危うく呼吸困難に陥りかけた。 こ、これは胡桃ちゃんにさっそく薦めねば・・・。
「なあなあ胡桃ちゃん胡桃ちゃん知っとる~? 聖おにいさんっていうマンガがあってな~・・・」
「全巻持っとるで。」
今更何ゆうてんねん的即答。 しかも全巻所有とは・・・さすが笑いの玄人さん。 ギャグ漫画を文章で説明するほど野暮なことはないのでみなさまも是非ご一読を。 ブログ好きで天真爛漫キャラのイエスと、器用で倹約家で並みの主婦以上にこまごまと家事をこなすブッダ、ご近所やそれぞれの宗教にまつわる濃ゆいキャラ達にハマること間違いなしだ。 ちなみに私の贔屓キャラは梵天さん、一番笑ったのは、盆踊りの回だ。

拍手

BGMやラジオから流れてくる曲をiphoneに聞かせると検索してくれるんだよ~と職場で熱く語っていたら、ヒットミーちゃんが言った。
「それってauでもできますよ。」
「・・・・うそっ?!」


ヒットミーちゃんに教わって以来、私はそのLISMOの聞かせて検索にハマっている。 湖山のモスで携帯を持った腕を天井に向けて突き出している挙動不審者を見かけたらそれは私です。 湖山のモスのたぶん有線のチャンネルのひとつと思われるUSヒットチャート系の曲、それと丸山のマックのハウス・テクノ系の聞かせて検索使用率が私的には高い。 ですがそこの店長の趣味と私のそれがいちばん一致していると思われるのはなんといっても吉成のモスの新旧ハードロック系でありましょう・・・しかし一致しすぎて聞かせて検索使用率はかえって低い。
 
 
しかし便利な世の中になったもの・・・itune&ipodなしの人生は今更あり得ない。 苦労してFMのエアチェックしたりダブルデッキで編集テープ作ったり、針飛びの音が録音されないように一生懸命レコードの表面をふきふきしていた頃が夢か幻のようです。 聞きたい曲の頭出しだってipodの手軽さから考えるとねえ・・・あ、いまもっとすごいこと思い出した。 ビデオなんてなかったから好きなテレビ番組は「録音」してた!!それを何回も何回も繰り返し「聞いて」いた・・・
 
 
なお、LISMOには携帯に向かってメロディーを鼻歌で歌うと曲名を検索してくれる「歌って検索」という機能もある。 しかし今まで携帯に向かって鼻歌歌って曲名が判明したためしがない。 だんだんケンカ売られてるような気がしてきた。

拍手

マチェーテ

エクスベンダブルスもこんくらい徹底的にB級に徹して作れば盛り上がって面白かったのに・・・・B級映画の面白さをとことん掘り下げてB級に徹していながら結局はA級のエンターテインメントに作り上げる力量を持った東の横綱監督がクエンティン・タランティーノなら西の横綱はこのロバート・ロドリゲスだ。 私的には、ブラックスーツにサングラスとボルサリーノの似合うスタイリッシュなタラちゃん映画よりも、レザージャケットとテンガロンハットな泥臭いロドリゲス兄貴の映画の方が好みではある。
 
弱気を助け強きを挫く、片目アイパッチにヒップハングもいいところのブラックジーンズと2丁マシンガンでキメたミシェル・ロドリゲス姐さん、キリッと小股が切れ上がっていながらどことなく守ってあげたくなる儚げな雰囲気をもったジェシカ・アルバ、ハスッパでアバズレでおバカな金持ち娘にこれ以上適役はないって感じのリンジー・ローハン、これらB級映画ファン垂涎の美女たちすべてから黙っていても言い寄られ、どんなに痛い目にあっても不死身であることゾンビのごとく、でっかいナイフで悪者を容赦なくバッタバッタと首チョンパしまくる我らがマチェーテ兄貴。 男の鑑だマチェーテ!
 
そのほかにも今回は悪役のセガール兄貴、悪徳政治家役のデ・ニーロ、ちょっと間抜けで憎めない悪役の下っ端たち、内臓が口から飛び出そうなほど跳ねまくりのシャコタン車、セガール兄貴の手下の東洋美女、グラマーかつガタイのよさそうな女ゲリラのコンビ、意味もなくやたらハダカな端役女優たち、ミニスカートの双子の看護婦などまだまだ萌えどころ満載。 久々に男性軍におススメ。
 


バーレスク

ふだんあんまり映画見ないようなポジティブミーハー目立ちたがり強気タイプの若い女の子が観に行ってこれって私の今まで観た中でベストワンですぅ~とかいかにも言いそうな、強気系女の子の好きなものがいっぱい詰まったきれいごと夢映画。 今までも見たことあったかなあとデジャヴ感にとらわれる・・・フラッシュダンス、キューティーブロンド、プラダを着た悪魔、プリティウーマン、ショーガール・・ショーガールはちょっと彼女らにしてみればエグいかもしれない。 
 
猫も杓子も歌って踊る世の中。 こんなご時世だし自分もダンスやめちゃったしで、もうエンターテイナーはごっつあんです、って気分になってきてしまった。 でもヒロインの着てたスモーキーなピンクグレーのレザージャケット欲しいなあ・・・天井知らずの上昇志向タイプではなくて律儀なところのある田舎娘という設定なので、外見イケイケにもかかわらず手持ちワードローブの数は少なそうな(同じ服を着まわしたりコーデを少し変えて別シーンに登場)ところに好感が持てた。
 
 

ガールフレンドエクスペリエンス/バブル
 
腕に覚えありの売れっ子ハリウッド俳優たちがこぞって出演したがるスティーヴン・ソダーバーグ監督作品。 そんなソダーバーグ監督の、2作とも小品なので2作セットでリリースされたDVD。 レビューで金返せと言っていた人もいたし気持ちはわからんでもないが、それでも非常に興味深く見せてもらった。 ガールフレンド・・・の方は、アメリカで人気のポルノ女優さんを主役に抜擢。 この人はいわゆるパツキンのグラマーではない。 この映画の役どころは、おとなしめでインテリ系の顧客向け、のコールガール。 どことなく品があり,おとなしげで控えめで、普通のガールフレンドっぽいデートのシチュエーションにもエッジイかつ品のあるブランドの服を身に着けてつきあってくれる。 彼女には、彼女がコールガールなのを承知しながら同棲している(ヒモではない)ボーイフレンドがいる。 ある妻子持ちの熱心な顧客に、二人で人生をやりなおすために逃避行しようともちかけられる。 彼に「直感的に運命的なもの」を感じた彼女は、彼と逃避行するためにボーイフレンドに別れ話をもちかける。 ボーイフレンドには彼女の理不尽な言い分が全く理解できない。 そんなのは向こうにとっては一時の気の迷いに過ぎないに決まってるし、直感だの運命だのっていったいおまえはなんなんだ!・・・あんたが正しい。 案の定、待ち合わせ場所にその客は現れず、子供の顔を見たら行けなくなったと涙声で電話してきた。 男の人は世間やオスのセオリーに忠実だ。 女は直感や運命を信じすぎて痛い目にあう生き物だ。 
バブルの方は、俗にいうホワイトトラッシュの人々の間に起こった出来事を、素人さん達を使って撮った小品。 毒入りカレー事件とかの犯人ってどうしてあんなに状況証拠を突きつけられても私じゃないと言えるのかという秘密が垣間見えたような気がする。 素人さんの男の子が一人メインの役どころで出演しているが、びっくりするほど雰囲気のある美形さん。 本人には全く自覚がなくて感情の起伏があまりなくて内気そうなところがまたツボ。

拍手



息子は基本的には善人だ。 良識ある人間だった。 道徳心もあって 倫理的な基準も高かった。 私が思うに――人が仲良くなりたいと思うような人間だったよ。
 
 
 
優しげな中に、どことなく寂しさを漂わせる風貌をしたその父は、そんな言葉でインタビューを締めくくった。 1971年に27歳で亡くなったドアーズのフロントマン、ジム・モリソンの父、と言えば、堅物で、頑固で、厳格で、息子を全く理解せず、その存在、生き方、才能、すべてを認めていなかった、というのが一般的によく伝わっているイメージだ。 だけどその画面に映る年老いた父親は、そんなイメージとは裏腹にとても穏やかな風貌をしていて、そのインタビューの内容もまたイメージとは全く正反対の、意外な言葉の連続だった。
 
 
 
頭が良くて 聡明な子だった
文を書いたり 絵をかくのが好きだった
古典文学が好きで 手当たり次第読んでたよ
私が乗った全部の船に連れて行った
息子は海軍を賛美していて
私が軍人であることも誇りに思っていた
自分が軍人になりたいとは思ってなかったがね
息子は成功すると思ってたよ
かしこく、創造性に富んでいて 文章もうまかった
息子がフロリダの大学へ進学したときはうれしかった
UCLAの映画科に進んだことを知り
卒業後はハリウッド進出を期待してたよ
 
 
 
ただ、父親は、息子のことを歌がうまいとは思っていなかった。 だからバンドでツアーに出ると最初に息子が電話で伝えてきた時は、バカなことを言うもんじゃないと当然反対した。 しかし父の危惧を尻目にバンドはあっという間にビッグな存在になり、それを知った父は安堵し、再び息子の才能を誇りに思いはじめる。 ただ、ロックのレジェンドという存在になってもまだ、息子の歌は一度も聞いたことがない。 なぜなら、今でも父は息子に歌の才能があるとは全く思っていないから。
 
 
 
天使と悪魔の顔を併せ持つロックンロールの詩人
アブなくて、恐ろしく頭がいい
 
聴衆を異次元に導くシャーマン
 
何をやってもサマになる、計算されたかのように
            
                                        ナレーションより
 
 

ピンクのタイ・ダイのシャツに茶色のレザーパンツ、黒のタートルセーターに茶色のスエードパンツ、黒や紺のシャツやTシャツ、白のゆったりしたカフタンシャツ、マオカラーシャツに黒レザーパンツ、コンチャベルトかクラフトレザーの太いベルト、茶スエードのショートブーツ・・・・そういうシンプルでどことなくセンシュアルな服が、ジムにはよく似合った。 ミック・ジャガーやジミ・ヘンドリクスのように、ロックスターでいるためにクジャクのように着飾る必要はなく、ジムはただ、彼の体型の長所を強調するだけで極上のロックスターのルックスを体現できるのだった。 シンプルなシャツは彼の骨太な男っぽさと危うい脆さが不思議に同居した首から肩のラインを強調し、レザーパンツの光沢は、彼の長くまっすぐな脚と、一番の魅力である四角く締まった腰のラインを引き立たせていた。 そして軽く腰骨にバングさせたコンチャベルトはさらにその腰のラインを強調する。



それに・・・・・その声ときたら!!
 
 
 
Father,  I wanna  kill  you
Mother,  I  wanna  f××k  you
 

 
 ジムの感性は勝手にジムをコントロールする。 アドレナリン全開、恍惚となったステージ上のロックスターはほとんど無意識に一番過激でクールなロックスターを「演じて」しまう・・・それが彼の才能。 両親は死んだと言い放ち、有名になってから一度も両親に会いに行かない。 会いに行けばそこには昔と変わらないやさしい関係があって、それは「ロックスターのジム・モリソン」には似つかわしくなくて・・・・昔と変わらない、というのは違うかもしれない。 なぜなら「ロックスターのジム・モリソン」は大事なジムの両親を辱めるような暴言を吐いてしまったのだから・・・素顔のジムは暴走する「ロックスターのジム」を止めることができず、過激な「ロックスターのジム」を演じ続けるのに耐えることもできなかった。 だけど今さら穏やかな生活にも戻れるわけがない。 「ロックスターのジム」は、素顔のジムも思うに最高にクールだったから・・・
 
 
 
矛盾だらけの日々―――破滅までにそう時間はかからなかった。
 
 
 
私の息子が
パリの有名な墓地に立派に埋葬されているというのは本当に驚きだよ
息子がこんなにも有名で、人々に好かれているとはね。
 
 
 
父は息子の墓碑銘をギリシャ語の先生に助けてもらいながら長い間一生懸命に考え、息子にもっともふさわしいと思う言葉をその墓に刻んだという。
 
 
 
息子は自分の道を歩み
自分の野望や願望に忠実に生きていたんだ
――人生の目標を 達成していたよ
 
 
                  ジョージ・S・モリソン(ジム・モリソンの父)
                  海軍大将 1919年-2008年



                                     (出典: ドキュメンタリー映画 「ドアーズ まぼろしの世界」)

拍手

シングルマン
ダンディなタイプのホモセクシュアル(ちょっとだけバイ気味)の男性が、好みの男性を、女性を、どんな目線で見ているか、という映画、だと思う。 設定は70年代。 何もかもがライトでカジュアルな今から見るとちょっと愚鈍ささえ感じる重めな文化のテイスト。 あの頃の不便さがちょっとなつかしい。
 
その昔アバウト・ア・ボーイという映画で、いかにもいじめられそうな小太りでうすのろで屁理屈屋でちょっとへんなセンスの服をお母さんから着せられていたいじめられっ子役の男の子が、この映画ではホモの主人公を魅了してしまう大学生の役で出演している。 アナキン・スカイウォーカーやターミネーターの男の子など、大抵の子役の男の子が残念なルックスに成長してしまうのに、これは稀有な逆パターン。
 
 
 
食べて、祈って、恋をして
典型的な女性映画なので、男性には全くお勧めできない・・・楽しめるのはイタリアでの食のシーンくらいかなと思ったけど、この食のシーンさえ女性目線かもしれないと思えてきた。 ちょっと登場人物の感情とストーリーの流れの関係に不自然さを感じるというか何かが足りない。 少なくとも私にはなぜこういう感情をもつことがこういう行動を起こしてしまうのかがいまいち納得できなかった。
 
好きなのは前半のNYのバーのロングショットに映る人々の存在感とセンス。 バリのクラブのシーン、それからジュリアの服。 ほっそりしていた彼女も今や立派な中年体型。 無理なダイエットや若作りをすることなくいいセンスで着こなしているのはさすがで好感が持てる。 でもこれは長身で顔が小さく、色素の薄い彼女だから似合う服。 むしろ参考になるのはイタリアでジュリアと友達になった北欧女性の着こなしだった。
 
 
 
エクスベンダブルス 
こんなにアクションスターを集めておいてこんなB級映画しか作れなかったのか・・・・B級映画ならもうちょっとB級映画らしく思いっきり漫画調に作りこめばいいのに・・・ヘタにA級気取りなんかしないでさ。 こんな陳腐なセリフ、スターさん達言うの嫌だったんじゃない? それともそんな自覚がなくてホントにクールだと思ってやってたの? この映画を見たいと思っているファン層にはまさに待ち望んでいたセリフやストーリーだったのだろうか? ストーリーは不自然で陳腐で感情移入できなかったし頼みの綱のアクションも古臭くてとことん間延びしていた。 一生懸命盛り上がろうとしたけど駄目だった。 レンタル代と時間を返せ。 たとえ作り話でもよくできた作り話じゃないと駄目だ。
 
・・・・とかいいながら自分が佳作だと思っているいくつかの映画よりもやたらストーリーやら場面が記憶に残ってしまっている。 何故だ? それがあまりにも紋切型だからなのか?? 脳内の空き領域を返せ。
 
 
 
ソルト
あんまり話題にならなかったのでジョリ姐の服以外は期待して見ようとしてなかった割には、きっちり楽しませてもらえた映画。 アクションが良かったし、主人公が同性的にとても納得できる動機で動いていたから。 最近、どう考えてもリスクの方が大きすぎる行動に走った、どちらかというといつもは冷静で理論派だったり常識派だったりの女友達が2人いたのだが、話を聞いているうちに時折ぽろぽろっとこぼれてくる本音の断片に、あ~なるほどそれでそんな行動に走ってしまったか・・・とやたら納得してしまった。 女が極端な行動に走る裏には、ほとんどといっていいほど共通の理由がある、のかも。
 
ジョリ姐は格闘系のアクションにちゃんと重みを感じることのできる稀有な女優。 銃やナイフ系がキマる女優は他にもいるし、スピード系の格闘ならチャン・ツィイーとかミシェル・ヨーの方が上だが、ちゃんと本当に痛めつけてやろうという意図を持って殴ったり蹴ったりするのは筋力以前に本能的に女にはたとえ演技でもムズカシイのだ。

拍手

・・・・他人のブログネタのなかにこんなのがあった。
 
 
13歳のバースデープレゼントとして母親に買ってもらったアルバム「LET IT BE」だったと思う。 なんでそういう選択になったのかなと今にしては思うけど、確か、なんか洋楽ってヤツを聞いてみたい――洋楽で一番有名なのって言ったらビートルズっしょ。 っていう感じのノリだったと思う。
 
「LET IT BE」は彼らのラストアルバムに当たるのだけど、そこからさかのぼって「ABBEY ROAD」「THE BEATLES」「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」と合間に出た映画のサウンドトラックまできっちり買い集めたところでビートルズは卒業した。 それ以前のものは、もちろん優れた曲達ではあると思うけれど、レコードを買ってまでも聞こうとはあんまり思わなかった。
 
その後期ビートルズナンバーのうちに入るBaby, you’re a rich manが、映画「ソーシャルネットワーク」のエンディングテーマとして使われている、とラジオで言っていた。 有名な曲ではないけれど、なんかあの頃の雰囲気が良く伝わる感じではある。 その映画は、結構レビューを見ると好評みたいなんだけど、私自身はそれほど見たいとは思ってなかった。 けどそのラジオのDJの言うにはアメリカのインテリ層の雰囲気とかよく出ていて(ウッディで重厚なインテリアとか)その辺が結構楽しめた、との事。 ちょっと興味が湧いてきた。
 
今でも何曲か私のipodの中にはビートルズが入っているけど、いちばんどの曲が好きですかと聞かれると・・・・Helter Skelterかなあ・・・などとすいませんビートルズマニアのみなさま的な事になってしまう。

拍手

ローラーガールズダイアリー
昔々の70年代、日本でもローラーゲームのTV中継が毎週日曜の午後にあった。 なかなかかっこいい70年代不良っぽいイカしたねーちゃん達がいっぱいでてきてて、ルールがわからないなりにも一生懸命見ていた記憶がある。 現在はアメリカの非常にローカルな場所でのみ細々とローラゲームは行われているらしく、劇中でも片田舎の街にたった5チームしかない女子のみのリーグ、っていう設定になっている。 ゲーム中は真剣に敵対していても、ゲームを離れるとプロレスの団体みたいに5チームみんな仲がいい。 どこか一本気合の入った野獣系、でもみんな本音で生きててユーモアがあってサバサバしてて、なんとなくキュートで憎めない女の子たち。 特にジュリエット・ルイス演じるエキセントリックなライバルキャラが好き。 初登場シーンから目が釘付けになってしまった。 こんな風に芝居がかったクールかつコミカルなパフォーマンスができたら最高だなって思う。 この人一時はブラピの彼女だったんだよなあ・・・
これが初監督作品のドリュー・バリモア。 BGMの選択からしてイカしてるし、やっぱりドリューみたいなタイプの女の子ってこういう男の子達が好きなんだな~っていう見本帳みたいな男子キャラ達がいろいろ出てくる。 クールであれワイルドであれ、軟弱だったり冴えなかったり浮気性だったりしても、みんなどこか女の子達のハチャメチャな言動に付き合ってくれる寛大さがあるのだ。
 
 

冷たい雨に撃て。約束の銃弾を
細かなストーリー展開のツメの甘さやラストにやや問題はあると思うけど、基本的には偉大なパターンを踏襲した任侠カタルシス映画。 寡黙に復讐を狙う主人公と侠義によってのみ結束した3人組のマカオの殺し屋、そのいとこの武器商人、結果的に敵対することにはなってしまったが同じような立場にいる同業者、みんなやることはびしっとやるが普段は凡庸さをまとっているところがこの映画のキモ。 主人公のシベリアンハスキーみたいな渋いルックスがクール。
 
 

華麗なるアリバイ
愛人其の一が「彼は私のことを一番愛していて、私にだけはどんな事も話していた。」と言えば、妻は「彼は私のことを想いながら他の女と寝ていた。」と言う。 みんなとんでもなくあつかましいな・・・誰を一番愛していたとかそういうことじゃない。 そのとき目の前にいる女は愛していたかもしれない。 でもまた別の瞬間には違う女を愛している。 または誰も愛してなかったか。
狂言回しのうつ病のほっそりした女の子が身にまとうフランス人らしいあいまいな霞のような服、愛人其の二の肉感的なイタリア人女優のそっけないほどにシンプルな強い服、どちらもスタイルがあっていい感じ。
 
 

NINE
主人公である映画監督の妻にはとっておきの思い出がある。 駆け出しの女優だった頃、新作映画のためのスクリーンテストを受けた。 将来の夫になるその監督は、テスト中の彼女に耳元で囁いた。「髪は下した方が君はきれいだよ。」
しかし時がたち、夫の新作映画の主演女優のオーディションに立ち会ったとき、彼女は知ったのだ・・・自分にだけ囁いてくれたとばっかり思っていたと全く同じその殺し文句を監督はどの女優にも囁いていた・・・っていうか男の方はそれを殺し文句だともなんとも思っていない。 そしてなんでそんなに妻が悲しがり怒っているのかも全くわからない。
この映画の監督は男性だけど以前からいわゆる女性心理というやつにとっても鋭敏な嗅覚を持っているってのが定評で、この映画もギャラめっちゃ凄かったんでないのってくらい今が旬の演技力もある大物女優ばかり出てくるが、その女優達の誰もが、この監督のことを手放しで絶賛している。 だろうなあ・・・だって彼は女優一人ひとりの、彼女だけが持つ魅力を最大限に引き出して撮ってくれてるもの。 大物女優が夫に持つべきは10歳以上年の離れた大金持ちか監督に限る・・・間違ってもお笑いなんかと結婚しちゃいけない。
 
 

リミッツ・オブ・コントロール
今を去ること20数年前、渋谷系オリーブ少女にとって必須映画だったジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と「パーマネント・バケーション」。 その後も、彼独特のストーリーがあってないような、心が10cmだけ幽体離脱して彷徨っているような映画を私はほぼフォローし続けているが、この最新作も、今まで通り、あんまりストーリーを追うことには意味はなく、その場面場面の映像ととっぽいキャラとそのセリフ回しとを楽しむのがキモの映画に仕上がっている。 そのうちの登場人物のひとりの女の子、初登場シーンからいきなり全裸。 それからずーっと登場シーンは全裸。 服着たっ!と思ったら透明ビニールのレインコート。 しかも黒縁メガネだけはいつも外さずかけている・・・全裸なのに。
恵比寿ガーデンプレイス、シネ・ヴィヴァン六本木など、良質でスタイリッシュでマニアックな佳作を上映していた映画館が最近軒並み閉館の憂き目にあっている。 ゲームみたいな映画かご近所日常系な映画しか作れないし観ることができないご時世にだんだんなってきてるらしい・・・レンタルDVDショップもあんまりマニアックなものはリリースしなくなってきた。 地方に住んでても、単館系映画が見れるいい時代になったもんだと思ったのもつかの間だったみたいだ。

拍手

アイアンマン2

 何から何までワタシ的にはとってもツボなこのシリーズ、今回も全く期待を裏切らない。 ストーリー展開、場面設定、スピード感、キャラ設定、キャスティング、コスチューム、BGM・・・・ツボ突かれまくりでな~んも言うことなし。 あ、ひとつだけ言わせて・・・アイアンマンがホバリングする時のおててがかわいい。
 
 
 
パリより愛を込めて
 
 ジョナサン・リース・マイヤースがツボを抱えて茫然となりツボを抱えて走りまわりツボを抱えて途方に暮れるその姿がツボ。 彼は日本にも熱心なファンが多い超美形なイギリス人俳優だけど、その美形ぶりが幸いしてか災いしてか、若い頃の彼は映画で見かければ必ずゲイか大年増にいたぶられるイタイケな少年の役って記憶しか私にはなかった。 さすがに30代半ばになり、かつての恐ろしいほどの美貌ではなくなっているものの、なかなかいい感じに年をとっていて、若い頃よりも結構いい仕事が回ってくるみたいだ・・・MI3のエージェント役とかウディ・アレン監督作品でスカヨハと共演とか。 でもでも女の子と一緒にいるより、トラボルタみたいなイカツくてムサいおっさんのそばに立ってる方が似合ってしまうのは何故?
 
 
 
ハートロッカー

 主人公は爆発物処理のエキスパート。 その並み以上にギリギリのギリギリのギリギリに身を置きたがる性質は、命知らずとか勇敢とか使命感とか、そういう言葉で表せる類のものではなくてもっと何かこう、習癖というか本能というか、ほとんど無意識に近いもののように見えてしまう。 任地の中東にいるときは、次々に襲ってくる極限状況の連続にさすがに神経をすり減らし、元ガールフレンドと二人の間にできた子供の声がただ聞きたくなって衝動的にTELかけたりしてたくせに、任期を終えて彼女たちと一緒に平和な日常を暮らしている彼の表情には全く生気がない。 まるであっちの方がリアルな日常で、こっちの方が日常でないフェイクな世界みたいだ。 そしてラストシーンは・・・

「自分とは一体どういう人間なのか?などと考えると事が難しくなるが、自分はどういう状態に在る時、最も生甲斐を感じるか?或いはもっとひらたくいって幸福感を覚えるか?というように自問自答して見ると、少しは解かりよくなって来る気がする。」
                                                    (小堀杏奴 「私の感じる幸福」より抜粋)
 
さて、みなさんはどうですか?
 

拍手

子供のころの、あやふやなんだけど強烈な記憶のひとつ・・・・サンダーバードみたいな感情移入不可能な2等身じゃなくて、ちゃんと8等身の美形の人形ばっかり出てくるSFで、どういう設定か知らないけれど、基地には白いコスチュームのバービー人形みたいな60年代風かわいこちゃんが3,4人くらい常時たむろってて、たしか全員戦闘機に乗って出動したりもしてたような・・・・・
 
 
・・・ってこれだったのね。 このネーミング見るとFSSの永野某の元ネタまたひとつ発見ってカンジ。




ちなみに近頃ではCGをつかったNEW  CAPTAIN SCARLET も存在するらしい。 こっちのエンジェルスはよりパワフル。
 

拍手

路上のソリスト
 
所謂オシャレ好きとかお洋服好きと言われる人たちの中の一派に(ちなみに私はオシャレ好きでも洋服好きでも無い。 私が興味あるのはどんな服を着ればその人がより魅力的に見えるかということだけだ。)、古着とかハンドメイドとかチープシックが好きだったり、隙間恐怖症なんじゃないかっていうほど重ね着って重ね着ってひとくせもふたくせもある小物をじゃらじゃらつけてないと気が済まないっていうタイプの人がいる。 私とは趣味が合わないなと思いつつそれでも時々その思いがけずもチープなのにゴーヂャスなセンスにハッとさせられることもままある。
 
主人公は実在のコラムニスト。 たまたま彼が路上で遭遇したホームレスで統合失調症らしき病を抱えている天才チェリスト。 このチェリストの着ている服が、拾った服を自分のただ好きなように組み合わせているだけなんだろうけど、多分、前述した類のオシャレ好きさん達を唸らせずにはいられないだろうと思われるセンス。 衣裳さんよいお仕事。
 
オーケストラの演奏するベートーベンに恍惚となりながら、“そこに神がいる”とつぶやくチェリスト・・・・なるほどね、そんな類の音楽なんだベートーベンって。 何かのBGMに成り下がることを許さない、純粋絶対音楽。
 
 
 
夏時間の庭
 
70過ぎの母親が一人暮らしする郊外の豪邸の庭に、三人の子供とそれぞれの家族が集まって母親の誕生パーティをしているところからこの映画は始まる。 魅力的といわれるおばあさんは、おおらかで母性的なタイプか、小作りでキュートなかわいらしさを持ったタイプか、または潔いまでにとことんマニッシュなタイプか、とことんお金と手間暇をかけたエレガントタイプかそのどれかだと思っていた。 だけどこのおばあさんはそのどれでもない。 品よくコケティッシュ。 不相応の若づくりなんかしていない。 下品な色気ばあさんでももちろんない。 シルバーグレーのボブヘアに、何の変哲もないシャツとひざ下丈のタイトスカートとパンプス。 なのにコケティッシュ。 守ってあげたいような、儚い色っぽさ。
 
 
思い出や秘密、誰も気にも留めない昔話
みんな私といっしょに消えていくの
 
印象に残っているこのおばあさんのセリフなんだけど、なんかどっかで似たようなセリフ聞いたよなあ・・・ってずっと考えてて、やっとブレードランナーのロイ・バッティのラストのセリフだということに気付いた。
 
俺はお前達人間の想像を絶するような光景を見て来た
オリオン座のそばで紅蓮の炎に包まれるバトルシップ
タンホイザーゲートの暗黒を切り裂くCビームの輝き
それらすべての記憶も、やがては消え失せる
雨のなかの、涙のように
その時が・・・・やって来た・・・・
 
このシーンの為にこのブレードランナーという映画は存在するといっても過言ではない。
後から出たいろんなバージョンよりオリジナルバージョンの方がいい。

拍手

こんなにも君が好きなのに
 
・・・だってまだ20歳だもの。 それはいちばんやってはいけない事だというのが彼にはまだわからない。
父親役やるようになったんだなあイーサン・ホークも。 でも主人公よりイケてる。 その何かあきらめきったような表情が。
 
 
 
THIS IS IT
 
あれほど選択肢がありながら、他に見たい映画が無かった為に飛行機の中でこれと米VOUGUE編集部のドキュメンタリー映画「September issue」を行きと帰り2回ずつ見る羽目になってしまった。
 
このマイケルの最新ツアーのバックバンドでリードギターを務める予定だったのはオーストラリア人の24歳の女の子Orianthi。 こんなに若くてルックスいいんだからスキルなんてほどほどでいいよ・・・なんてレベルじゃない。 オリジナリティには欠けるが高度で確かなスキルだ。 彼女が抜擢されたいきさつは2説あって、My spaceを見た業界人がツアーのオーディションを受けることを勧めたという説と、You tubeの映像を見たマイケル本人からのオファーがあったという説がある。 どっちにしてもどっち側からしてもネット様々だ。
 
彼女がひとりで長いソロを張る部分をリハするシーンがある。 マイケルはステージの中央に進み出てでプレイする彼女の近くに歩み寄り、もっともっとと彼女をあおる。 もっと前に!もっと激しく!がんばれ!まだまだきみは行けるハズだよ!・・・その後に続くマイケルの言葉。
 
「今が一番君が輝く瞬間なんだ!・・・大丈夫、僕がついてる。」
 
このひと言で過去のマイケルの様々な珍行奇行が一瞬にして帳消しになってしまった女は少なくない・・・・・あ~でもこれはキャラを選ぶセリフで、すべての殿方が使える手かというとそうではない。
 
  
 
レスラー
 
男の生き様映画。
主人公はかつて結構人気のあったレスラー。 宿敵アヤトラとの戦いは今でも一部マニアにとってレジェンドだ。(ファミコンのゲームにもなったし。) でも今は、たまにある地方巡業とスーパーのパートで細々と生計をたてている。 時々トレーラーハウスの家賃さえ払えない。 でも日サロと髪のブリーチと筋トレとステロイド注射は欠かせない。 唯一の肉親である娘とは自分の若いころの身勝手のせいで断絶状態。 長年のステロイド使用とでたらめな暮らしのせいで、ある日試合後に倒れて気がつけば病院のベッドの上。 医者から心臓バイパスの手術したからもうプロレスはできないと言われる。
この人にとってまだ救いなのは、自分がプロレス界のレジェンドであり、ファンからも仕事仲間からも今でも慕われ、好かれていることだ。
 
若さのもつ力や美しさだけを武器に暴走して生きてきた人間は、自分には何ひとつ残っていないこと、そして後がない崖っぷちに立っていることをある日思い知らされる。 だけど、今更他に何ができる?・・・・とるべき行動は、ただひとつだ。
 
ボロボロになっても一人ぼっちになっても、それでも自分のスタイルを貫き通す。
やせ我慢かもしれない。 だけど、今更他に何ができる?



ココ・アヴァン・シャネル
 
やさしいけど実は芯の強い女の子と、気が強いけど実は繊細な心を持った女の子・・・容姿はさておき前者より後者の方をパートナーに選ぼうという気を起こすことができるというそれ自体、この映画に出てくる二人の男性にしても風と共に去りぬのレッド・バトラーにしても余裕がある証拠だと思う。 ひたすら尊敬。 

拍手

ロックンローラ
 
マドンナと別れてよかったよ昔日のガイ・リッチ―が戻ってきたって男子は言うけど、マドンナと出会ったからこそこの映画でタンディ・ニュートンが演じたような魅力的な悪女キャラをクリエイト出来るようになったんじゃん。 以前のガイ・リッチー映画ってむさくるしい男衆ばっかりしか出てこないからいっくら面白いって言われてもどうしても途中で見る気がしなくなっちゃってたんだよね。
 
 
 
スラムドッグ$ミリオネア
 
よくできた青少年向け小説を読ませていただいたって感じ。 最後まで見れば必ず見てよかったと言えるお薦め映画だけど、その最後まで見続けるのにちょっとエネルギーの要る映画。 特に映画の中にウツクシイものを求めるワタクシのような人間には。 何度途中で見るのやめようと思ったことか。
 
 
 
サガン
 
あの降って湧いた様なフェイクファーのヒョウ柄ショート丈コートの流行は、どうやらこの映画、さらに言えば映画の原作となったサガンの伝記に添えられていた写真から来ていたらしい。 ホントにいい写真。
 
 
 
美しい人
 
如何にもフランス的な、一筋縄ではいかないような、どこかアンバランスさを内包した美しさを持った高校生たち。 カメラがスナップショット的にその表情や佇まいを捉える。 ブルース・ウェーバーのアバクロPR用写真のパーフェクトな美しさとはなんとなく対照的。 どっちのテイストも好き。
 
 
 
私がクマにキレた理由
 
スカヨハが親友の運転するオープンカーでマンハッタンに引っ越してくるシーンで、カーステから流れるFreedomにノって彼女がまるで高校生の男の子みたいにひたすら超おバカにハジケまくる。 ここ好きだなあ。 
親友役のアリシア・キーズが超かっこいい。 22歳であんなにクールだったら向かうところ敵なしって感じだろうな・・・私の22歳の時なんて精神年齢12歳だったもんなあ。

拍手

CA390916.JPGHiphopする黒人よりも、ヘビメタする白人よりも、ジミヘンの昔から、私は黒人がハードロック(それもギター)をプレイする姿に滅法弱い。 ちょいファンキーでめちゃめちゃヘビーな縦ノリ(っていうか厳密に言うとグルングルンと縦方向に渦を巻くようなノリ)のグル―ヴを持ったハードなギターリフ。 基本ファンクだけど時おりギターソロにジミヘン直系のようなロックなプレイをかましてくれるプリンスも範疇に入れたいところだけど、黒人ハードロックの代表格はなんといってもこのリヴィングカラーだろう。 20代中頃、そのヘビーな音のカッコよさに心酔してひたすら聴きまくっていた時期があったけど、シリアスで重すぎる歌詞にだんだん気が重くなってきて自然とフォローしなくなり、しばらく聴くことがなかった。 最近、ituneで、昔好きだったTerence Trent D’arbyのwishing wellという曲がダウンロードできるかどうか検索してて、ふと、そういえばリヴィングカラーもちょっと前までitune入ってなかったけど今どうなのかな?と思って検索してみたら・・・あった。 しかも去年新しいアルバムをリリースしていたらしい・・・てっきり解散してたとばっかり思ってたよ。
 

4thアルバムまで持ってたんだけど、JAMに売ってしまっていたので、今回、ベストアルバムと、2003年リリースされたアルバムcollideoscopeをAmazoneで中古で購入。 去年出た最新アルバムの方は、余りにもテクノ色が強くなりすぎていて余り好きじゃない。 ヴァーノンのチェーンソーぶんぶん振り回してるようなギターが聴きたいのに、これじゃあプロディジー聴いてるのと同じじゃん。 今回改めてベスト盤聴いてみて、ファーストアルバムの一曲目、cult of personarityと三曲目、middle manが彼らにとってのベストだなあとつくずく思った。 あの頃、川崎クラブチッタともうひとつ、山手線沿いのどこかの街の、普通のビルみたいなところにライブ見に行った。 日本ではいわゆるギター小僧にヴァーノンはとっても人気があって、ライブでは“ヴァーノーン!!”とギター小僧たちが叫ぶ黄色くない声があちこちからひっきりなしに上がっていたのを思い出す。 ヴォーカルのコリンは俳優もしていて、あの頃、有名な監督のベトナム戦争物に出演していた。 筋肉質のものすごく重そうな体つきをしていて、彼がオーディエンスに向かってダイブすると誰もが怖がって受け止めようとせずに逃げてしまうので、そのままべちーと落下し大ケガを負ったこともあるらしい。
 

リヴィングカラーをダウンロードしている人が他にどんなアーティストをダウンロードしているかっていう欄に、kingsXの名前を見つけた。 これも懐かしいなあ・・このバンドはベース兼ヴォーカルが黒人で、ギターとドラムが白人の、ジミヘンのバンド、エクスペリエンスを彷彿させるスリーピース。 大学の研究室のお茶を飲む部屋で、一人でいるのをいいことにラジカセ(!)でkingsXのover my headを聴いてたら、同じ研究室の子が入ってきて「なにこのすんげ~ディストーションギター!?」と叫んだのを思い出した・・・勉強した内容はこれっぽっちも覚えてなくて、憶えているのはこんなくだらない断片ばっかりだ。

拍手

久々に「劇場公開が待ちきれない」と思ってしまった映画、「アバター」。 ジェームズ・キャメロン12年ぶりの監督作品しかも「SF大作」とは!!
 
十代の頃入れ込んでたファンタジー小説、アン・マキャフリイの「パーンの竜騎士シリーズ」を彷彿させる映像。 (早川文庫から出ていたけど今は絶版と思われ・・・多分このシリーズ、ファイブスター物語の作者永野某も愛読者だったのではあるまいかと推測される。 ファティマがお披露目で生涯自分のマスターとなるべき騎士をひとり選ぶという設定は、生まれたてのドラゴンが終身自身の騎乗者になるべき人間をひとり選ぶというこのシリーズの基本コンセプトからアイデアを得たのではないかと。 そんなこと指摘してもきっと永野某は頭から否定するだろうけどさ・・・) それにこの原住民の族長の娘(しかもお転婆系な性格)と主人公が惹かれあうというのはポカホンタスを挙げるまでもなく昔から人類王道のツボシチュエーションだ。 
 
キャメロン先生のSF大作はビジュアル的にカッコよくてスピーディーであるだけでなく、女子的にドキドキする刹那的ロマンス(後先考えない、無駄なまどろっこしい駆け引きがない)が必ず展開するのがツボなのですよ・・・エイリアン2のリプリーとヒックス伍長、ターミネーターのサラとカイルみたいな。
 
そしてエイリアン2のシガーニー・ウイ―バーにワイルドスピード、SWAT、バイオハザードのミシェル・ロドリゲスと男前姐さん大好きキャメロン先生のシュミ大炸裂のキャスティング。 ちなみにキャメロン先生は甲殻機動隊の実写化権も所有。 さすがというかやっぱりというか・・素子さんはさぞ監督のシュミど真ん中でありましょうや。
 
 
 
 エリカ様降板により黒木メイサに代役が打診されたのがキムタク主演のヤマト実写版という驚愕の情報が流れたのは2、3ヵ月前だったろうか。 以来全く音沙汰なし。もしかしてこの企画は頓挫? ちょっと気になって検索してみたら、この12月にアニメ劇場新作が公開されることを知った。 またかよとウンザリしつつもその後の登場人物たちはどうなっったのか気になって公式サイトを見てみると、ありゃ?結構このキャラデザイン昨今のアクの強いいかにものアニメキャラと違ってあっさりしてて私的にイケてるかも。 キャラデザインしたの誰だろうとチェックしてなんとも懐かしい名前に出会った。
 
またも非常に局地的な話題で申し訳ないが、リアルタイムで1stガンダムファンだった人の中にはその後の富野作品もしばらくフォローしていた方が多いと思われ、今となってはそういう人たちにしかこの名前を言ってもアニメファンにもガンダムファンにもピンとこないんだろうなと思うけど・・・・
 
そう、あのイデオン、ダンバイン、ザブングルのキャラデザイン&作画監督の湖川友謙。 当時は冨野アニメ人気に乗じて飛ぶ鳥を落とす勢いではあったのだけど、また同時にそのアメコミ調というのか独特のバタ臭さがどうも苦手というアニメファンも少なくなく、実力はめちゃくちゃ持っていながら昨今の如何にもの萌え系キャラ全盛のアニメシーンにおいては全く需要がないと見えて、生きてるのかさえ私には不明状態だった。 (しかし私は大好きだったんだよー・・・今でもダンバインのマーベル・フローズンは私的には歴代№1のアニメキャラデザインだと思ってる。 ) もともとこの方はヤマト第一作から少なからず関わっていたらしいのでまああり得るのかなとは思ったけど。 でも生きてたのね・・・よかったよかった仕事もあって。
 
でもなんかストーリーは相変わらずっぽそうだし。 劇場行ったら貸切状態だったりしてうーん・・・

拍手

CA390724-0001001.JPG夜遊び仲間KIM&かずえ&MIKA  at  SOURCE。
 
 





明日遠出だしあんまりテンションあげないでおこうと思ってまったりしてたんだけど・・・
 
 

CA390766-0001-0001.JPG
90年代のロックを語る上でマストなバンドThe Stone Roses。一般的には1st アルバムが評価が高く、ブリットポップロック好きなら迷わず1stなんだろうけど、私みたいな同じブリティッシュロックでもジミヘンやツェッぺリン好きには白いジミヘンとかジミー・ペイジの再来と当時言われてたギターのJohn Squireが俺様状態で作った2ndにしてラストアルバムのSecond Comingはまさにツボだった。 このアルバム何回聞いたかわかんないよ。 その中でもいっちゃん好きなナンバーがDriving South。 これが突然かかったもんだからいきなりテンションがトップギアに入ってしまった。 前々からなんとなくツボが似てるかもしれないとは思ってたけど・・・またこの路線でヨロシクお願いしますmacoさん。

拍手

CA390593-0001-0001.JPG英語圏人にとってはSHという音はクールに響くのか、ロックのグループ名や曲名、アルバム名、ロック用語には結構SHの入った名詞が目立つ。 私はこのSHという音がなぜか苦手で、できれば詩集とか刺繍とかイニシャルとかシャーレとか詩吟とかしおりとか習字とか東雲とか忍びとか和尚とかシャカシャカシェイクとかいった言葉を極力発音することなく生きていたいと思っている。 気恥ずかしいというのか照れくさいというのかダサいと思ってしまうのか・・・なんなんだろう? たまねぎが食べられないのと同じくらい根源的すぎて本人にも理由がわからない。
 
 
何を隠そうMIKAの本名にもSH音が入っている。 自分の名前を発音したり呼ばれたりするとき実は毎回毎回軽い抵抗感を覚えているなんて我ながらアホらしくて・・・・
以前、英語圏の友人から“Shushu”という、当の本人が呼ばれるたびに身悶えしながら5メートル後ずさっちゃいそうな愛称で呼ばれていたことがあった。 頼むから他の呼び名を考えてくれ~って言っても
「なんで? カワイイじゃん。」
ととりあってくれない。 こうして名前を呼ばれるたびに赤面し悶絶する日々が続いた。
「シュシュ!」
ぎゃ~!
「シュシュ!」
でぇ~い!

・・・・ちょっとした拷問。
 
 
で、話はロックに戻りますけど・・・JETのニューアルバムのタイトルがSHAKA ROCK。 これはきっと英語圏の人たちにはさぞやクールに響いているんでございましょう。
私的にはこのバンドは微妙な境界線上にあって、例えばituneとかでJETをダウンロードした人が他にどんなバンドをチェックしているかというと・・・
Wolfmother , The music,  The vines,  The killers,  Arktic monkeys,  Kasabian, Mando diao,  Franz ferdinand
・・・・と、いかにものラインナップ。 このうち前2つのバンドは私も大好き、3番目はビミョー、あとの5つはじぇんじぇん好きじゃない。 こういういかにものブリットロック好きにもアピールする音なんだなっていうのはわかる。 だけど、このバンドは同じオーストラリア出身のAC/DCとかwolfmotherとかにも通じる荒削りな感じがあって、そこが私なんかにはいいんだよね。 このアルバムは文句なしにカッコいい・・・・カッコいいけどなんかどっかで聞いたような曲ばかり。 カッコよければそれでいいのかもしれないけど、多分すぐ飽きるだろうな。 そんなわけでCD買わずにトラック①、⑥、⑪、⑬、⑯をダウンロード。

拍手

  
最新コメント
[08/14 bvewqckosq]
[06/10 MiKA]
[06/10 ポンコ]
[04/23 MIKA]
[04/23 通りすがり]
プロフィール
HN:
MIKA
性別:
女性
自己紹介:
ブログ側からはプロフィールのみ公開しています。HPに興味のある方はMIKAまで。
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
アクセス解析
アクセス解析
アクセス解析
忍者アナライズ
忍者アナライズ
Copyright ©  -- MIKA'S NOTE --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]