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思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活

   
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3日目、最終日はトヨタ博物館へ。

特に車好きというわけではない私でも、人間の叡智の歴史、あるいはひとつの芸術品として、展示車を楽しむことができる。



このズラリとならぶチューブのついた注射器みたいなものは何かというと、エンジンの各部分に繋がっていて、目視してオイルの少なくなっているシリンダーに自分でオイルを注ぐ仕組みなのだそうだ。今の車なら自動で制御されていて当たり前なんだけど、昔は大変だったというのがわかるし、長い年月、膨大な数の人間の叡智の積み重ねによって進化していった今の車の凄さもわかる。



ロールスロイス シルバーゴースト



パッカード トゥエルブ 、 ルーズベルト専用車



ドラージュ



ミネルバ



デイムラー 英国王室仕様車



デューセンバーグ モデルJ 内装はヘビ皮



キャデラック

これらはピカピカに磨き上げられ、そしてもちろん、公道を走ることができる。みな一級品の芸術のようだ。しかしわたしがいちばん欲しくなったのはコレ。



と、コレ。



あと、我が家の自家用車第一号、ダットサンブルーバードも見つけた。今の目で見ると逆になかなかシャレている。




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4時間程で名古屋到着。中心部からちょっと外れた場所にあるホテルに車と荷物を預け、地下鉄で市内の観光地へ向かおうと外に出たらホテルの前の道が旧東海道だった。



多分昔からの道幅のままなんだろうな..。


向かった先は金のシャチホコで有名な尾張徳川家の敷地内に立つ、徳川美術館。




しかしあそこで働いてる人たちって、いわゆる徳川の縁故の人たちってやつ?....女性職員はおおむね親切で感じが良かったんだけど、(ひとりだけガイドやってた熟年女性は不必要に意地悪で排他的なお局キャラだったが)ある程度年齢のいった男性職員は不本意ながら下々のものに話してやっておるのだみたいな雰囲気がプンプン漂ってた。



二日目はいよいよ念願の明治村へ。






…牢屋の中で笑ってる場合じゃござんせん。 しかしMIKAの本名の○○子の子をとっておをつけたお○○という名前の人が時代劇に登場すると、かわいい町娘でもやんごとなきお方でもなく、何故か大抵きんちゃっきりだったことを思い出す。





蒸気機関の動力機械。なんだか不可解で滑稽なものがいろいろくっついていたので、ボランティアのリケジョのおねいさんにいろいろ質問した。機械的な工夫で動力を制御する為の仕組みなのだが、全く、よく考えられていて感心する。


所要時間5時間。情報多すぎて記憶がイマイチ散漫なのだが、革新的なテクノロジーやアート表現が誕生すると、今まで最も高度で最新だったもの、あれ程心血が注がれて精巧に作られたものがいっぺんに大仰で古めかしい無用の長物になる、ノスタルジーを感じるというよりは明日にも自分自身が時代遅れになりさがってしまうんではないかという恐怖感に囚われた。ノスタルジーという点では、明治村自体が昭和な観光地の雰囲気を色濃く残していて懐かしい。暑いけれど湿度の低い、爽やかで思い出深い夏の1日になった。


ホテル近くの熱田神宮へ徒歩で参拝後、ジモティーに教えてもらったひつまぶしのお店へ。全く期待せずに食べたんだけど、お出汁やタレの味が絶妙で美味しくていっぺんに目が覚めた。さすが人気店だけのことはある。




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名古屋から徒歩や公共機関では行くことができず、そして丹念に見て歩くには半日以上はかかる、と聞いていたので、子供の頃から行きたいと思いつつなかなか行く機会がなかった明治村。今回、3連休を使って名古屋に2泊し、明治村とその他ついでに色々見てこようと思い立った。


バイクで行こうかどうしようか迷ったんだけど、名古屋の土地勘がまるでなく、市街の規模も大きいので金沢や大津のようにはいかないだろうということで、とりあえず今回は車で行くことに。


…やっぱりバイクでなくてよかった。(・_・; カンカン照りの上に時々夕立ちなのは去年の金沢と同じだが、時々渋滞、時々乱暴者のドライバー、そして前々から思ってたんだけど…


わしのナビおかしいわちょっと。


特に高速道に混乱するらしく、全く頓珍漢なところのインターで乗れの降りろの、あるいは乗った途端に降りろと言うときもあって、どうもおかしいとは思っていた。


名古屋には四つの高速が集まり、市街地中心部で四角形を描く環状線に合流、そこから各目的地に近いインターで降りるようになっている。ナビに従っていると、一旦はこの環状線に連れて来られる。指示に従いしばらく走っていたのだが、いっこうに降りろという指示がない。右折につぐ右折で結局は10回ぐらい右折させられたところでようやくおかしいことに気がつき適当な場所で降りた。結局3周くらい回ったことになるのか環状線( ;´Д`)


それからは、明治村行くのもトヨタ博物館行くのもなんとか環状線に乗らないで行こうと試みたのだが、どうしてなのか気がつけば環状線の上( ;´Д`)再び罠にはまってぐるぐるを繰り返 し、高架のへりにこすって止まった事故車なんかも視界に入ったりしてなんかもうパニクりそうだった。


まあ、無事、なんとか明治村到着、いや、なんか最初小さな神社の鳥居の前にナビに連れて来られたんだ。でもナビがそこ左折だっていうからそのまま鳥居の前で左に曲がって細い山道進んだら今度は3又に道が分かれててその真ん中の山道を…ええいとにかく着いたからいいよもう!

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東大創立以来137年、その間に溜まりに溜まった学術標本の数々。学術史的には価値はあっても学術そのものにとってはもう既に時代遅れになってしまったものも少なからず。そういったものを敢えて展示しているのがここ、丸の内kitteの2.3階にあるインターメディアテク。

こうやってぼんやりとそこにある「無用の長物」たちを眺めているだけでも、そこからなにか時代を越え、様々な事象に通底するものが見えてきはしないか、そういう通底するものを感じた上で尚且つ新たな発想をも得ることが出来ないだろうか、というのがこの場所の存在意図らしい。

純粋に学術的なものなんだけどえらく造形が美しいものもいろいろある。例えば鉱物、大型生物の骨格や卵や貝の標本、鳥の剥製、歯車やピストンやプーリーなどの仕組みの模型、代数定理のビジュアル模型。

また学術的な分野に於いて人間の歩んで来た道に色々と思いを馳せることもできる。例えばコンピュータ以前に図面の拡大や縮小に用いていたパンタグラフ、化学的物理的な方法が一般化する前に生薬を鑑定するのに用いていた膨大な数の生薬切片のプレパラート標本。

それら展示物を中に納めてショーケースとして使っている木製品も、その多くが長く東大に眠っていた古いものらしい。今の大量生産のものとは違って重量感があり、堅牢で美しい。

残念ながら内部撮影不可。全種類いただいてきたパンフレットでお茶を濁しますm(_ _)m。





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たとえば某A美術館に魯山人展とか見に行くと必ず、こがなんだったらうちにもあるでーとか、なんぼぐらいするだらーかとか、なんで掛け軸に犬っちゃーなもん描くだいやーとか、反対に、コレ魯山人だからって名前だけでこんなに見に来る人多いんだろうけどさ、そんな価値ないと思うよ(じゃあなんで彼女連れてあんた見に来てんのさ?あ、その発言を彼女に聞かせたくてか!)なんかもうお約束な感じのコメントを発するひとが多くてゲンナリするし、いにしえの時代の有名な芸術家の有名な絵がやってくる、的な展覧会も、これ、この画家のタッチがわたくし大好きなの(あんたの好みなんか誰も聞いてないし)、とかこの時代の芸術の特徴はね(知ってるから見に来てるんだよ)、とか、えせスノビッシュなコメントを発する人が多くてゲンナリする。 だけど20世紀以降の現代美術は、まあ観光感覚で入る人の多い21世紀美術館はお約束的な反応をするひと(なんでこれが芸術なんだよくわからん!的な)が比較的多いかもしれないが、大抵は静かに、思い思いに作品を鑑賞して楽しむ人が多く、そしてファッションも独創的だったりセンスが良かったりで、その展覧会自体の雰囲気が楽しめて好きだ。ミロ展しかり、ポロック展しかり、原美術館しかり、MOMAしかり、ポンピドゥーしかり、今回訪れた直島は地中美術館しかり・・・


直島へフェリーで渡るために車で宇野港へ。直島(風戸行き)と書かれた乗り場に、ゴミ運搬車と思しきダーティーな車が2台と、大阪ナンバーの乗用車が既に列を作っていた。列の後ろに車をつけて、切符売り場にいくと、日曜と祝日は運休と書いてある。そんな書き入れ時に休むとは面妖な、と訝しがりながらも、幸いその日は土曜日だったのでラッキーとか思いながら、恐ろしく無愛想でケンカ腰なおばちゃん(もしかして年下かもしれんが)から切符をゲットして車にもどり、フェリーがやってくるのを待った。


やがてフェリーが接岸し、中からはタンクローリーばかりが3台降りてきた。その後乗船。大抵、安全の為に車を停車させた後は絶対に車から出てデッキに上がらされるのが普通と思うのだが、なぜか乗船したどの車からも誰も降りてこない。どうしていいかわからずとりあえず誰かが降りるまでは車に乗っていることにする。やがて出発時刻になり、ゲートが閉じられるが、その後、何分か経っている筈なのに船が動かない。何かあって出発が遅れているのかなと待つも、5分、10分と経っても一向に動く気配がないし、誰も車から降りてこない。いったいどうしたんだー!とパニクりかけたらようやく前方の閉じたデッキと天井の間から、動く岸壁の岩が見えだした。ああ、やっと出発したのか・・ん?だけど待てよ・・・なんか、なんか、この景色の見え方って・・・


「ひょっとしてこれ直島着いたってやつ?」


・・・いったいいつ出港したんだろう?全く揺れないし、その日は雨の降る灰色の空だったので隙間から見える景色が全く変わらず、直島の岸壁が近づいて動く景色が見えるまでフェリーが動いているという感覚がまるでなかった・・・・呆然としたまま船は直島の風戸港に到着、前に止まっていたゴミ運搬車が動き出す。その途端、


ぎえーっ!!


荷台の隙間から大量の茶色い汚水が流れ出し、後続車はもろにそれを浴びてしまう。なんということだああああと半ばパニクりながら港に出てすぐの道路の両脇が巨大な濃硫酸のタンク群って・・・


・・・さすが元ゴミの島、そして現代アートの聖地・・・パねえぜ直島! 最近人気な観光地と言われる割にこの、観光客にケンカ売ってるとしか思えないようなシュールな出だしっていったい・・・


その後判明したのだが、直島にはフェリーの発着港がいくつかあり、観光客が利用するのは宮浦という、お土産屋やカフェなどのあるガラス張りの広い乗り場のある港の方で、当然日曜祝日もばんばんフェリーは発着、フェリーは車から降りてデッキに上がるタイプのものだった。風戸港の方はというと主に産業用、とのこと・・・orz

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ひょんなことから有馬温泉に一泊することに。

まあ有名だし歴史が長そうだな、っていうくらいの予備知識で行ってみた。



いきなり川床はこの賑わい。大勢の温泉客が川床のお座敷ですき焼きをつまんだり、かき氷やアルコールを楽しんだりしている。ステージでは芸者さんの舞い。3人のうちこの人がいちばん綺麗で色っぽかったな。





これが泊まった宿、というわけではなくて、私の泊まった所や先の広い川床を含めた比較的新しく拓けた温泉街の一番川上にある宿。一階には和洋折衷の瀟洒な待合とバーとステーキレストラン。左に停まっている車は送迎に使っていると思しき相当古い国産車、そして前庭には車を方向転換させるターンテーブルが。

そしてこの辺りから先が、曲がりくねった傾斜のある細い路地が複雑に絡み合った、古くからの温泉街になる。





有馬温泉には濁った金の湯と透明な銀の湯があって、道後温泉のように古くからの大きな公共浴場がそれぞれにある。ただし建物は道後と違って新しい。私的には金の湯の方が湯当たりが良くて好き。



金の湯の外側には秀吉も飲んでいた湯呑み場がある。しかし、その味はまるで断水直後の水道水のよう。





ラビリンスのような旧温泉街の、民家に囲まれた人ん家の裏庭のような場所にある源泉。



旧温泉街を散策中に見つけた、千と千尋の湯屋みたいなお宿。古いけれども、老舗の蕎麦屋のようにキチンとこざっぱりと整えられた様子が玄関先でだけでも伺える。三和土におかれた甕に生けられたユリの姿に見入っていると、丁度、紺の細い縦縞に裾に紫桃色の花を散らしたジャストサイズの品のいい浴衣を着て、手には詰まった編みの籐籠をもった、泊まり客らしい2人の女性が入っていった。この宿の写真をフェイスブックに載せたところ、すかさず友達から、花小宿に泊まったんですかいいなーというコメントが返ってきた。どうも女子憧れの宿らしい。





行った時間が遅かったので営業中ではなかったけど、古くからのモノを古いやり方のまま売る店と、和風モダンにリノベした店が混在していた。参道やら街並み保存地区やら温泉街やら、近頃やたらとあちこちで流行りの和風モダンではあるが、この下の写真のカフェにはちょっと他とは一線を画した大人なクールさがある。さすが神戸のお膝下。他にも海外アウトドアメーカーのショップとか、蔦の生い茂った白い壁と大きなガラス窓が印象的な70年代ぽいカフェとか、ドイツ料理の店なんかもあった。



泊まったのは、以前は簡保の宿だったという、いかにもそれらしい建物だったが、料理が意外と美味しかった。昆布出汁が品よく効いたみぞれ餡のかかった煮物とか、赤出汁のお味噌汁、そして神戸牛の美味しかったことといったら!



たったこれだけの量だったのが悲しいけど・・orz

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3連休に手ごろな値段で金沢市街でも絶好のロケーションにあるホテルの予約が取れていたし、他の週末も夏はスケジュールが詰まっていて今更日程は変えられない。まあ旅行予定日は真夏も真夏、いくら日本海側といえども台風さえ来なければ晴れの確率の方が断然高そうだ。ツーリングを週末に控えていたその週の初めは、折しも日本各地で記録的な猛暑の日々が続いており、その週いっぱいはこんなドピーカンの猛暑が続くでありましょうやーとどの天気予報も言っていたハズ、なのに・・


「雨だで。」
「えっ?」
「天気予報が土曜から雨だって言っとったで。」
「うそっ?!」
そんなハズないだろ!と天気予報を見てみれば、信じられんことにどの予報士も口裏を揃えて北陸地方は土、日、月と雷を伴った強い雨が降り、降水確率は50~60%だと言っている。それで天気が回復するのは火曜日から、って…orz


職場の人も家族も全員、バイクで行くのはやめた方がいいんじゃないかと口をそろえて言う。私だってそんな雷鳴轟く一寸先も見えないような豪雨のハイウエイなんかバイクで走ると考えただけで足がすくむ。だけど50~60%って中途半端だ。これが80%以上なら車で行こうかと諦めもつくというもんなんだろうか。いや、しかし、車で行くっていうのもなんだかなあ・・・思えば去年からこのツーリングを計画してとても楽しみにしていた私・・いくら行先が前から行きたかった金沢であっても、車で行くのは全く意味がないとさえ思えてくる。


とりあえず前日にバイク屋さんへバイクを取りに行く。職場の人や家族から散々考え直した方がいいのではと言われ続け、私もかなり思案し始めていたのだが、バイク屋さんへ行ったとき、何の不自然もなくバイクが用意してあり、じゃあ気を付けて行ってらっしゃいとその場にいた皆からすっ、と送り出された。あれ?それはつまり、このくらいの雨の予報だったなら、ツーリングを中止するべきだという考えはバイク乗りさんたちの頭の中にはじぇんじぇんないってことなのか・・・?


さて、当日。YAHOO天気予報を開いてみる。敦賀は相変わらず50-60%で雨時々曇り。でも現地の人のレポートを見ると、雨よりも曇りと言ってる人の方が多い。断続的に降るんじゃなくて時々止んだりする程度の雨ってことなのかなあ・・


ええい!


取りあえず雨具を積み、バイクで出発。


9号線はところどころポツポツと降ったり止んだりしていたが、福知山市に入ってからガンガンに晴れてきた。よっしゃーと安心したのもつかのま、今度は温度が上がり過ぎて脚の内側をヤケド、そしてナビがわりにハンドルに取り付けていたiphoneは高温で使用不能状態に。


舞鶴若狭自動車道にたどりつき、カバーのファスナーを開けて走りながら冷やしていたiphoneも機能復帰。やれやれ、とりあえず金沢市街地に入るまではお気楽ひとりツーリングが満喫できるかな、と思った矢先・・


・・うそっ⁈


なんかトンネルの先が白くけぶってるなあと思っていたら、トンネル抜けたらいきなり雷鳴轟く豪雨だった。路肩のない二車線の高架上では成す術なく、ほとんど何も見えない状態のまま、ひたすら最寄りのICまで祈るような気持ちで走り続ける。


ICを降りて暫く走っていたらようやく雨が止んできた。道の駅でブーツに溜まった雨水を捨て、体制を立て直して出発。この27号線を走っている時に実は仕事中のninja氏と何処かですれ違っていたらしいことが後に判明。が、その時はお互い気付かず。



あーこれだから夏って好きだよー*\(^o^)/* 。全身ぐしょぐしょのままで走り続けていたらいつの間にかすっかり乾いていた。仁くん(注:MIKAバイクの名)も雨に洗われてピッカピカだ。3連休だというのに交通量が少ない北陸道をマイペースで走り続け、金沢西インターで降りる。またもやナビにローカルな細道に連れていかれ、いきなりの武家屋敷街をおっかなびっくりバタ足で通り抜けながらなんとかホテルに到着( ;´Д`)。




夜の金沢を満喫後、爆睡。明け方、雷鳴と激しい雨音に起こされる。天気が安定していれば能登半島にでもと思っていたが、今日も予報は不安定。徒歩で市街を観光することに。






幸い、激しい雨も降らす、強烈な日差しもない曇り空の元、市内観光を満喫。実際は、21世紀美術館があまりに面白くて、その中で日中ほとんどを過ごしてしまう。昼兼晩ごはんも中で食べたし、中にある図書館でDVDまで2本も観てしまった( ;´Д`)。館内で唯一写真撮影可の「アート作品」、スイミングプールの上からと下から撮影してみた。







その夜も再び雨。


最終日、鳥取は豪雨警報が出ていたが、北陸地方は一日中晴れの予報。早朝のうちに兼六園を散策後、帰路へつく。鳥取に着く頃には豪雨警報も解除されていた。





果たして雨女なのかそうではないのか、判断に困る感じだけど、少なくともこれだけは言える。バイクで旅するのって色々心配ごとはあるけど何故だか身震いするほど気持ちがいい。但し、私の場合気温26度以上の夏に限るんだけどね・・。

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松浦弥太郎という編集者兼古本屋兼エッセイストがいる。その考えのすべてに共感している訳ではないが、それでも同い年、断舎利型人間、本好き、アメリカンカルチャー好きというところに何となく親近感があって彼のエッセイを斜め読み。そのエッセイに、感性が鈍った時に自分がよく訪れるようにしている、と書いてあった3つの小規模な美術館。彼はそれらを訪れる度に感性を磨かれ、何かしらのヒントを得ることができるという。3つのうち庭園美術館は若い頃行った事がある。後の2つ、根津美術館はイメージ的に成金オヤジが価値も分からないままに専門家の言うとおりにコレクションしただけ、みたいなテイストもへったくれもないノリかなと思いこんでいて、今まで行こうと思ったことがなかった。原美術館の方は若い頃よくオリーブとかアンアンの有名スタイリストさんたちの行きつけの場所として紹介されていたなあという記憶がある。(話は脱線するが、今のアンアンはほとんど一般女子週刊誌的なノリになってしまってあの頃のトガリ気味な面影は全くなく、オリーブも10年前くらい前に廃刊になっているが、今マガジンハウスから出ているGinzaという雑誌は驚くほどあの頃のテイストを踏襲している。しかも大人の女になった元オリーブ少女、といった佇まいで、私の様な往年の読者にはちょっと感涙モノ。あの頃の有名スタイリストさんたちがこぞってこの雑誌に関わっているので当たり前といえば当たり前なのだが・・・)まだこんなにカフェが乱立する以前の80年代、こんなレトロな西洋風の白いタイル張りの建物の、芝生の敷き詰められた中庭に面した館内カフェでワインやコーヒーを飲むのはとびぬけて粋なことのように思われていた時代だった。当時の私にははっきり言って敷居がちょっと高かった。


地下鉄表参道駅を出て、高級ブランドの旗艦店やスタイリッシュな店も並ぶが、基本、瀟洒な住宅地である骨董通りを南下、その突き当りに根津美術館がある。私が訪れた日は、萩にある秀逸な陶磁器のコレクションで有名な美術館から貸与されたものを見せてくれていた。











・・・すごいね。いろんな美のタネをもらった。



たとえばこのアーチストでもなんでもない、いち職人作の素焼きの像の、表面の肌合いと色、背負っている農具や鞍や車輪など付属物の絶妙な造形と大きさ・・・押し付けがましさのない、さらりとして、それでいながら見る者の感覚のゆらぎを反映させるように刻々と移ろいながら浮かび上がってくる微妙で奥の深い美しさ。なんて品が良いんだろう。しばらくこの前で動くことができなかった。この写真では残念ながらあまり伝わらないんだけれど。



この美術館は常設コレクションの青銅器でも有名。この斬新な造形の青銅器たちが、なんと紀元前13世紀に作られたものだとは!!今まで縄文の火焔土器の造形がぶっちぎりNo.1だと思っていたけれど、これも凄い。この展示室はかなり暗く照明が落としてあり、そこに下からライトを当てられて浮かび上がる、青銅製の、巨大な、使用意図まったく不明の造形群。まるで未来の宇宙人がタイムマシン付きUFOで突然やって来て作るだけ作ってすぐ帰ってっちゃいましたヨ、みたいなノリがある。









お庭。某S県の某A美術館の庭との違いは推して知るべし。小雨が降った後ということも相まって素晴らしい散策の時を過ごさせていただいた。


この基本閑静な住宅街の骨董通りには、有名ブランドの旗艦店もいくつか立っているのだが、そのうちのひとつ、プラダの最上階で映画「華麗なるギャッツビー」の衣装店が開かれていたのでそこへも行ってみた。











はい次。JR品川駅中央口を出てすぐ左折。そのまま道なりに歩いて三菱関東閣の門を過ぎたらすぐの交差点を左折すると、原美術館が見えてくる。



この日やっていたのは、海を見たことがないトルコ人が初めて海を見たときの様子をフィルムに収めた作品群、それと、トルコのスラム街に生きる視覚障害者たちに、どうして目が見えなくなってしまったのか、そして、最後に見たのは何だったかをインタビューして、写真とともに展示した作品。


世の中には哀しく残酷にもかかわらずどこかに詩的な部分を持った出来事があちこちに転がっている。そこからストーリーが、物語が立ち上がってくる。これを、無意味だとか甘っちょろいとか世の中にはこれよりもっと残酷なことがあるんだぞと思う人は大勢いるだろうけれど、良かれ悪しかれどうも私は現実問題よりもそこから立ち上がってくるイメージや物語により重点を置いてしまうタイプのようで・・。


さて今回の上京の主要目的はBORISの土日2DAYSライブ。ライブがあるのは渋谷から出ている井の頭線の下北沢の次の新代田という駅の前。これだけ聞くと都会のように聞こえるが、実際行ってビックリ、カフェはおろかファストフードも喫茶店も駅前の通りに一軒もない。かろうじて巨大な売り上げ多そうなコンビニが一件。ただただ人口だけがべらぼうに多そうな町だった。ライブのほうは、凄かったよ。久々燃えた。モッシュの嵐でこんな映像しか撮れんかった。



有給をとった月曜日はウイークデーということで、日本銀行見学を、休みを合わせてとってくれたMIKA妹と申し込む。なかなか興味深かったのでウイークデーに上京する機会があれば行って見られることをお勧め。ただし写真撮影は中庭のみ。そこにある、昔、馬に乗ってやって来ていた顧客のための、馬の水飲み場と一緒に記念撮影。



その後妹に叱られる。小さい木のラベルが見えますでしょ?それに「お手をふれないでください」と書いてあったのに気付かず思いっきり抱きついていたから。場所が日本橋三越の隣だったので帰りに三越に寄ってより取り見取りの旬でハイソなカフェの中からハロッズを選んで英国式アフタヌーンティータイム。バタースポンジケーキを半分に切ってジャムを挟んだだけのシンプルなヴィクトリアンケーキが美味しかった。



その他今回の上京ではZARAで服2点、MOTORIMODAでメッシュのライダースジャケットをゲット。なかなかに充実した3日間だった。


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その土地のスーパーマーケットとドラッグストアを訪ねるのはちょっとした楽しみ。そりゃあ20年前に比べたら、日本にいてもさほど大差のない品物がリアルタイムで店頭に並ぶようになったとはいえ、それでも世界一の農業大国かつ消費大国アメリカの、そのスケールの大きさと一アイテムごとのその選択肢の多さには毎回驚かされるやらうんざりするやら・・・







遠目に見るとなんだか肥料とかおがくずとか土とか、ホームセンターの資材売ってるような雰囲気だが、これは、シリアル、乾燥パスタ、ナッツ、ドライフルーツ、スパイスの売り場。スコップで掬ったり大きなビニール袋にどどどーとそれこそ肥料のように詰めて買う。




サラダバー。 何を取ったかは全く関係なくひたすら重さ売り。 葉野菜の種類と、ソテーやマリネしたキノコ類や豆類や温野菜の種類が多いのが毎日利用しても飽きが来なさそうでうらやましい。



暖炉用の薪売り場。




レジカウンターと出入り口の間に置いてある、買ったけど要らないから飢えてる人にあげちゃってくださいっていう物を投げ入れるドラム缶。



これは病気未満、ケミカルなクスリを飲む以前の段階で体の不調を治したい人のための、ホメオパシー用のエリキシルと思われ。 アロマテラピー以上、漢方未満、といったところか。 それにしてもこの種類の多さ・・・まあ漢方もその複雑さでは引けをとっていないかも。この後ろには売薬、ビタミン、ダイエット補助食品などの棚が延々と続いている。



バーベキューにはカセットコンロではなくプロパンガスボンベ。



なぜか一つのスーパー内に似たような品ぞろえで同じような規模の野菜売り場が2か所ある。 これは有機野菜売り場とそうでない野菜売り場があるからで、西海岸とか東海岸のスーパーでは結構それが普通らしい。 このスーパーの近くにはさらに有機野菜のみ扱うオーガニックスーパー、TRAIDER JOE'S があるのだが、色の洪水のような通常のスーパーの後では店内はまるで盆栽屋のように地味に見えてしまう。



セグウェイツアー終了後、バークレーでY嬢の先輩、Hさんと合流、スーパーでお惣菜を買って帰り、お宅でディナー。 メニューはサラダバーの野菜と、ミートローフと、そして・・・



「今日はぜひともおふたりにこれを食べていただきたくて・・・サンフランシスコ名物のクラムチャウダー買ってきたんです!!」


クラムチャウダーとはあさりの入ったホワイトクリームシチュー。 ジャガイモやニンジンは入っていなくても、絶対に、絶対に、絶対にタマネギは入っている。 それも半端ない量のタマネギが・・・どんなにおくちを尖らせて吸い込んでみてもスプーンを器用に使ってみても避けようがない大きさと量のタマネギが・・・


苦手ということをHさんには打ち明けられないまま、少しでも冷めてしまうともうタマネギが鼻について食べられなくなってしまうと予想されるため、いただきますと同時にカップをつかんでクラムチャウダーを一気にかき込みぐい飲み・・・

っぷはーっ!!
「美味しかったでしょう?」
はい~っ!
「おかわりはいかがですか?」
「ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3」

こんなにも大量のタマネギを飲み下したのは、20才の時のデートランチで、なにものかわからずに気どって注文したキッシュという名の料理の正体が、フランス版タマネギの卵とじみたいな料理だったと解った瞬間以来だ。

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大まかなスケジュールを決めたらあとは行き当たりばったりというのがいつもの私の旅スタイルなのだけど、今回はコンサバ女子人生の王道を行くY嬢が旅の友。彼女は今回がアメリカ初上陸。彼女の先輩の家にもお世話になるし、なにより私より2日早くかえってしまう超弾丸ツアー。彼女が手配上手なこともあって最初の2日間は彼女の希望に沿った既成のオプショナルツアーを好きに手配してもらうことにした。


丸1日はサンフランシスコに一番近い国立公園―ヨセミテ観光に費やす、というのは双方の意見が一致。それを2日目にあてるとして、サンフランシスコに正午過ぎに着く1日目には、なんのツアーをとるか・・・彼女は4つのコースを提案してきた。

1.セグウェイで行くサンフランシスコ半日観光
2.サンフランシスコ近郊の飛行機工場見学
3.アルカトラズ島半日観光
4.ナパバレーのワイナリーとレストラン

残念ながら4はどう考えても時間が足りず除外。私的にはもちろん飛行機工場にものすごく惹かれるものがあった。しかし提案しながらもY嬢の心はすでに1に決まっている様子。


う~ん、セグウェイかあ・・・


亀みたいにノロそうな奇妙な形の乗り物に乗った日本人が集団で観光客でごったがえす街中を通り過ぎるのか・・・物笑いの種になりそうでマジで逃げ出したくなったが、Y嬢の決意は岩のようにカタかった。


よ、よし、覚悟決めたよ…>_<…


成田で会えず、飛行機の中でも別々の席(彼女はマイレージでビジネスクラス。私はエコノミークラス。フラットシートで爆睡だったY嬢に対し、私のシートはリクライニングが故障していて全く動かなかった。CAの「あ、ほんとだ壊れてますね」のひと言でこの件はあっさり終了・・・orz。)だった我々はやっと現地空港のバゲッジクレームで合流。

「えっ?Y嬢まさか荷物ってそれだけ?」
「えっ?そうですけど何か?」

・・・お、男らしい。断捨離シンプル指向な割に神経質なところのある私はなぜかやたら旅の荷物がデカくなってしまう傾向があるのだが、いつでもカチッとコンサバな彼女はさぞや荷物も多かろうと思いきや、なんと20cm×30cm×15cmほどのガーメントケースひとつでやって来た。まるでフーテンの寅さんみたいな旅支度だ・・・(後に判明したのだがY嬢はその入浴時間も驚くほど短い。お、男らしい・・・)


そのまま手配済みの送迎バンに乗ってセグウェイ観光の事務所のあるフィッシャーマンズワーフへ。




なんか賀露?って感じで一枚。 



サンフランシスコは大きな丸パンの中身をくりぬいて器にした中に注がれたクラムチャウダーが名物。(名物だけど食べてない。理由は・・・いつものアレです。)それを始めた元祖のお店がこのパン屋。




ウインドー越しに解説付きでパン作りの工程を見せてくれる。そのパンなんだけど、西洋のパンには大まかに分けてホールウイート、ホワイトブレッド、サワドゥーの三種類があって、サンフランシスコのパンはショッピングモールのフードコートに至るまでどこ行っても伝統的にサワドゥーが出てくるらしい。解説によると生地にヨーグルトを混ぜるそうで、じゃあ微かで爽やかな酸味なのかなと想像するとさにあらず。その酸味は・・・なぜか梅干しに近い。


さて覚悟を決めて行ったセグウェイだけど、ツアーは現地の業者で日本人は私たちだけ。6畳ほどの部屋で10分ほど簡単な乗り方の講習を受けた後、一人ひとり実際に乗って基本操作を確認、外の駐車場で5分ほど馴らしたあと、いきなり右車線の公道へデビュー。基本的に運転とかスノボとかその手のものが苦手だったことを今更思いだしたY嬢は言い出しっぺにもかかわらずここへきて大パニック。一方、乗り気じゃなかった私はと言えば・・・


・・・ハマりました。


なんか、想像していたよりスピード出るし、何よりその操作感覚がおもしろい。それに、道行く人たちは嘲笑というより面白そう!っていう羨望のまなざしで見てる。

こちらは動画
"http://www.youtube.com/embed/SddGYLLfsWo?rel=0"

Y嬢がとってもビデオ撮影が上手だったので、ついでにiphoneパスして撮ってもらったのがこれ。




・・・キマったぜ。 


しかしまたもやここで調子こきすぎた私は、この後桟橋で乗り回していて歩行者とぶつかりそうになり避けようとしてバランスを崩して大転倒。ストッパーになる段差がない限り止まらないセグウェイは無人のまま走り去り、桟橋のフェンス下の隙間にめり込んでやっと停止。 引っ張り出されたセグウェイは、上に出っ張っていた持ち手が90度曲がってしまった・・・orz(なおったけど。)





日中はセーターにダウンで物凄く暑かったんだけど、セグウェイで風切ってたらだんだん寒くなってきた。夕方海辺を走る時にはガタガタと凍える様な寒さ。なのに、もしや、あそこで泳いでるのは・・・アザラシじゃなくて人間⁈


どう見ても10代20代ではない、少なくとも40は越えてる感じ、しかも相当、水泳帽被って本気の泳ぎ。(◎_◎;)

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アメリカのカウンターカルチャーに興味がある人間だったら、サンフランシスコという街の名前はちょっと気になるはず。 50年代ビート二クス、60~70年代初頭のヒッピームーブメント、そしてゲイカルチャーの西の中心地・・・リベラルでいながらほどほどにインテリ、そんなイメージ。 ぜひ行きたいとは思わないまでも、行く機会があれば行ってみたいなと思っていたところに、英会話学校のパーティで知り合った同じ湯梨浜町出身、同じ高校出身(うちの母校、倉東の出身者って同窓生ってわかっただけでソッコー強固な仲間意識が生まれてしまう傾向がある。 愛校心バリバリなんだけど、出るところに出た時の絶対数が鳥西とかに比べると少ないからかなあ・・・)の大学職員Y嬢に、今度職場の先輩を訪ねてサンフランシスコに行くんですがよかったら一緒にどうですかと誘われた。





そんなわけで3年ぶりにご開帳となったスーツケースの中から、3年前の荷造りリストを書いた紙切れが出てきた。 そこにリストアップされていた、現地で友人と連絡を取るためのレンタル携帯、ビデオカメラ、カメラ、計算機、旅するための段取りや必要事項を記入したり旅先で思いついたことをメモするための小ぶりなノートブック、目ざまし時計、地図、ガイドブック、ipod・・・それらがなんと今回はiphoneひとつで済んでしまう。 凄すぎる・・・凄いことになっていると思いながら、しかしもしiphoneを失くしてしまったらとんでもなくえらいことになってしまう。 恐怖心はハンパないものだった。 無意識の行動が多くて何かに気を取られると別の何かを忘れてしまい、重要なものを落としたり失くしたり置き忘れたりすることしょっちゅうな私は、失くしてないかという恐怖心が旅の最初から最後まで消えず、いつもより多めの携帯品の為にいつもより大ぶりになってしまったバッグの中を絶えずかき回してはiphoneと財布がはいっているのを確かめることを繰り返していた。 





それでも一回危機があった。 つるつると滑る材質のiphoneを大体はバッグの中に入れていたのだが、すぐ取り出して写真を撮りやすいように、ナイロン製のダウンジャケットの縦開きの腰部ポケットに入れてヨセミテに行くバンの座席に座っていたら、いつの間にかするりとポケットから落ちていたらしい。 本人全く気付かず。 わかりにくい所に落ちていたにもかかわらず後ろの座席の人が運よく気付いて知らせてくれた。





料金の事は出発前に色々と脅されていたので、なるべく海外パケットは使わずにフリーWi-Fiだけでやっていこうと思っていたのだけど、Wi-Fiだと友人とLineで連絡取ろうとすると物凄いタイムラグが生じて使い物にならないのと、Gouglemapを使いたくても使えないので、結局海外パケットを利用している時間が予想以上に長かった。 結果4泊で2万円強・・・調子こいてGooglemap使いすぎた orz

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なにこの不二家のポップキャンディみたいなの?と思ったら、天皇がお出ましになった時にその姿を隠す道具なんだって。っていうか大阪に遷都してた時期があったなんて知らなかった・・・スミマセン日本史オンチで( ;´Д`)でもヘアスタイルと全体の衣装の色のコーデがとってもポップだわ。

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只今、大阪の系列薬局に一週間泊り込みでヘルプに通い中。ユニバーサルシティ駅からUSJに続くシティのショップ街の端っこに薬局があるのでランチは毎日迷ってしまうほどの選択肢がある。しかし勤務時間は朝の10時から夜8時まで。なんやかんやで薬局を出るのが9時前。当然USJは開いてない。

しかし木曜日の営業は午後1時で終了。空き時間ができるとつい博物館とか美術館とかにふらふらと吸い込まれていってしまう習性ありのMIKA。まずは泊まっているホテルの向かいにあって気になっていた交通科学博物館へ。

別に鉄子というわけではないが大体乗り物とか科学技術系の展示には異様にテンション上がっちゃうんだよね・・・入るなりいきなりリニアモーターカーと初期型新幹線のツーショットとは*\(^o^)/*


京都駅のホームに入ってきた新幹線を初めて目の当たりにして、あまりの巨大さに恐怖のあまり思わず後ずさった6歳の時の記憶が甦った。あの頃長距離列車の旅行というと、デパートに行く時と同じくらい昼間における正装をしていったもので、私も当然のごとく一張羅のワンピースを着せられていた。ところがこの時の新幹線の中で、ジーパンにジージャン、サングラスとチューリップハットの若い「アベック」に遭遇。旅行にあんな格好を・・・と子供心に衝撃的だった。



イギリスから輸入した上の1800型に較べて下のアメリカ産7100型義経号のハデなことハデなこと。シェイクスピアとハリウッド、ハリポタとディズニーくらい感性が違う。スカート状のバンパーも金色の釣鐘もすべてはこれ牛除けのためにあり。


何でせっかく明治時代から今でもバリバリ現役で働く美しい余部の鉄橋を作り直さなくちゃいけないのか、って思ってたけど・・・こんなに腐ってたのね (-_-) アブナかったんだわ〜。


ピストンの上下運動を回転運動に変える仕組みを発明したワットさんがいなかったら今頃バイクも存在しなかったのかも。







懐かしいよね・・・いつの間にか木造車両も貨物列車もチッキも食堂車も赤いディーゼル車も姿を消してしまっていた。このあたりの物には実際に見た記憶もあるしただただ懐かしさを感じるだけなのだが、展示物のなかには、特に電子制御時代の今となっては無用の長物以外の何物でもない巨大で複雑な機械たちのなかには、何か得体の知れない化け物じみた、あるいはめちゃくちゃ前衛的なアートを目の前にしているような印象さえ受けるものもある。とてつもなくクールだ。




踏み切り、レール切り替え、表示板、改札・・・こんなに舞台裏が大掛かりなものだとは思わなかったものから小さな切符ひとつに至るまで、ひとつひとつのことが先人から引き継いだ膨大な知恵と工夫の結晶なんだなということを改めて実感できる、よい博物館だと思うよ。

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こりゃMIKAの生まれてから今までに撮られた写真の中でもベスト5に入るんじゃないかなあ・・・

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桜島があんなにしょっ中噴煙上げてるもんだとは思わなかった。去年一年間で500回以上爆発してるんだって!(◎_◎;) 今年も400回超え。気候はよさそうだけど、街も緑も灰のせいでなんとなくモヤモヤと薄汚い。車もドロドロだけど慣れっこって感じで汚い状態で放置。でも噴火によっては火山灰が水分とイオウ分を多く含んでいる時もあって、それは速攻落とさないと車の塗装がハゲるんだって。あんまりバイクも走ってるのを見かけない。なんかいやだもんねえ気分的にさ。



しかし砂丘と大山行ったらネタが尽きる鳥取と違って羨ましいくらい興味深いネタに溢れた鹿児島。日本史音痴の私でも西郷隆盛や島津藩くらいは知ってるからねえ。中央から遠いこと、頑固で田舎っぽいけど誇り高く気概に満ちた県民性、それに桜島や日本の南端であるといった地理的条件による他県との様々な相違。平屋建てが6〜7割だし屋根がない箱型の家やスレート葺のあまり傾斜のない屋根の家が多い。台風くるし、雪降らないからね。



焼酎、かるかん、さつまあげなど数多ある鹿児島土産のなかで、私の一押しはカルビーご当地シリーズのおさつほっこり。味といい食感といい、控えめ加減が逆に病みつき感を誘う。



泊まったのはいかにもバブル時代の香りプンプンの、ハワイアンリゾートの出来損ないって感じのホテル。なぜか指宿泊まりにしては無闇やたらとデカいスーツケース転がしてる人が多かったが近づいてみると日本語を話さない人達だった。 でもアジア系以外の外国人はいなかったなあ。




そして禁断の砂蒸し風呂写真。気持ちよくなる以前に踵が熱くて絶えられず飛び出しリタイアorz。



鹿児島には昔特攻隊のベースメントがあった。跡地には当時の給水塔や弾薬庫が残り、記念館には1032人の特攻隊員の写真と絶筆がある。 みんな恐ろしく若く、恐ろしいほどに純粋で真摯だ。頭が下がると同時にこれは一種の洗脳だなと思う。

ここ知覧の飛行場から六機編隊の戦闘機が飛び立つ。光を受けて銀色に輝くそれを見上げる農民たちは、帽子をとり、深々と頭を下げたまま、いつまでもいつまでも無言で見送り続ける。やがて編隊は青い南の空に消えていく。二度と戻っては来ない。

命をかけて守った日本は、平和で自由だけど自堕落で享楽的で馬鹿でふざけた国。いいのか悪いのか私にはわからない。



やくも+岡山から直通の新幹線であっという間に着いてしまう鹿児島。来年はお一人様ン十万円の超豪華寝台車もダイヤに組み込まれるらしいし、誰か乗ってみて感想聞かせてほしいなあ。

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9/14に能登の投稿に拍手コメントしていただいた方、すみません、さっきチェックするまで気がつかなかったんです。ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

ブログ見た他の方からも、あの遺跡写真はどこ?という質問があったので、チョー日本史音痴な私ですが説明させていただきます。



あれは一乗谷という、福井市観光ではマストなところらしいです。福井市中心部からは、鳥取市内と鹿野、くらいの位置関係にあって、戦国時代にはかなり力を持っていた越前の国の領主、朝倉家のお屋敷とその城下町があった場所。一部は大正から昭和初期の発掘調査のときに街並みが復元されていますが、その広大な城下町だった場所のほとんどは、もはや土台と井戸しか残っていません。なぜならば織田信長に敗れたとき、信長に跡形もなく焼き払われてしまったから。



大河ドラマなんて見たことない私がたまたま「江」だかっていうドラマの第一話拡大版というのを見てて、信長=トヨエツ、朝倉家領主=時任三郎、朝倉家に嫁いだ信長の実妹=鈴木保奈美という、結構ツボなキャスティングにかなり感情移入してしまい、わからんまま連れて行かれたその一乗谷がまさにその実際の舞台だったことを知り、しばらくその場を動けなくなってしまいました。

復元された街にはその場所で発掘された未知の将棋の駒、「酔象」の展示やら、もうちょっと離れた場所にはいろんな出土品の展示館もあります。中国や朝鮮はもとより東南アジアやアラブあたりからの輸入品もあって、当時の朝倉家の文化水準の高さを伺い知ることができます。

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今年の夏の旅は能登半島、だけどなんか九州や四国や近畿地方に行ったときと違ってあんまり遠くに来たっていう実感がない。やっぱり同じ日本海側だからなんだろうか?不思議だ。




いろいろ旅の途中で感じたことがあったんだけど、最近なんだかひとつも気の利いた文章が浮かばない。気が効いてなくても言えることといえば、福井市内の信号がすべて縦向きについていたこと…雪対策?

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ae9c0ed1.JPG東急ハンズでパイプ購入後、同じく渋谷にあるBUNKAMURAへ。 ドゥ・マゴのテラス席でお茶。 千葉で大学生をしていた頃は渋谷というのは3か月に一回行けたらいいくらい遠いところだったが、川崎から半蔵門線―千代田線で湯島に通勤していた頃はよくこの辺で遊んでいた 。SEED、PRIME、QUATTRO、WAVE、LOFT、リブロ、HMV、タワレコ、シネマライズ、シネセゾン、ル・シネマ、シネクイント、東急ハンズ、アニエスベー、BEAMS、SHIPS、ユナイテッドアローズ・・・パルコ全盛期の80年代からシブヤc0c10b64.JPG系全盛の90年代半ばまでの渋谷は、私の眼にはそれはそれはエキサイティングな街に映っていたけれど、今はセンター街や109に代表されるちょっとヤンキーでチープでミーハーな街になってしまった感が・・。 最近の私にとっては新宿の方が便利な街なので、ここ十数年はまったく渋谷から足が遠のいていた。 このBUNNKAMURAの吹き抜けにあるドゥ・マゴのテラス席は、昔好きだった場所の一つ。 この一角はあまり昔と変わってなくて、ちょっとうれしい。 どろどろに濃くて甘いホットチョコレートでなごんだ後、BUNKAMURAミュージアムのフェルメール展へ。
 
f1102606.JPGHPNX0806.JPG58596a12.JPGその後、銀座へ向かう。 閉店一時間前のH&Mに駆け込み、型落ちで半額以下になっていたジャージワンピース(¥2500)、シャツワンピース(¥1500)、それから春夏物のシャツ(¥1500)購入。 ジャージワンピースは袖の形を直す予定だけど、フレンチスリーブにするか、単純に袖のラインで断ったノースリーブにするか、それとももう少し内側に刳って幅広のランニング型にするかでかなり迷い中。 5年前だったら迷わずランニング型にしたんだけどなあ・・・。

しかしまたこんな安物買いしてたら誰かさんにまたなんか言われそうだなあ・・・でもいくら物が良くても、野暮ったかったら意味なくない? 服は時計やらと違って品質の良さだけが純粋に価値に繋がるものではないので、話がややこしくなる。 着心地や品質や着る人のキャラクターなど全く無視して、ひたすらクリエイティビティを追求して一流品扱いを受けているヨージやコムデ、アレキサンダー・マックイーンみたいな例もあるし。 さらに言えば、男物と違って女物は、ドイツのおばさんやコンサバ特権階級のご婦人方を例に挙げるまでもなく、堅牢な服であることが必ずしも良いこととは言えないのだ。 それに流行り廃りも男物より回転が速い。 もちろん女物にも上等の品はある。 でも、いいものを身につけようとするなら、生活全般のレベルがそれに見合っていないといけないと思う。 私は育ちも収入も、ファストファッションで充分事足りるカテゴリーの人間だと思っている。 財布やサングラスやタオルだけブランド物ってなんかとっても嫌だ。 そんな金があったら本と映画と仲間付き合いと旅行に使いたい。(あ、あと老後の資金。) でも反対に、ユニクロセカンドラインのジーユーとか、しまむらとかには、いくら安いと言っても私は手を出さない。 そこには感覚的なボーダーラインが存在するからだ。 あとジャスコなんかにもユニクロより商品単価の高い店がいろいろ入っているが、あの手のを買うんだったらユニクロの中から自分に合う服を選んで着こなした方が賢明だと思う。 私が言った“ユニクロで充分”という発言は、高品質の物を否定しているんではなくて、そういう意味のことが言いたかったんだけどな・・・高品質の物を粋に着こなすのがもちろん最上級。 安物の野暮ったい服は論外。 でも高品質の服着た野暮天や、価値もないのにやたら値段が高い服を買う人よりも、チープな服を着こなした粋人の方が、私は好きだ。
 
 
 
いつもは増上寺カウントダウンに参加する外国人でごったがえしていた東京タワーに近い所にある私たちの定宿ホテルも、今年はガラガラ。 ちょうど一年前のお正月のブログで、こうやって湾岸から東京を眺めていると、この国が衰退の一途をたどっているなんてウソのようで、目の前に開けているのはまるで子供の頃に夢見た未来都市そのもののようだというようなことを書いた。 だけど今年はまるで様子が違う。 この国が亡びるのはそう遠い未来ではない、不気味なほどにはっきりとそう感じられる。
 
 
 
018.JPG元日は日光へ。 だけど冷静に考えてみたら、「亡くなった徳川家康」に願い事なんかしちゃったりして果たして叶えてもらえるもんなんだろうか・・・まあそれを言ったら明治神宮は亡くなられた明治天皇だし、八幡宮は亡くなった藤原なにがしだし、もっとよく考えてみたら出雲大社やら伊勢神宮みたいなビッグな神社も、実在したかすら定かでない物語の架空の登場人物に一生懸命願い事をしているわけで・・・ま、いっか。 信じる者は救われるのを信じよう、というわけであっちこっちにお賽銭を投げ、おみくじをひきまくった。 基本私は大吉が出るまでおみくじを引き続ける。 悪い運なんかもらいっぱなしでたまるか。
 
 
 
最終日は単独行動で新宿へ。 久々に伊勢丹の1階を見て回る。 百貨店の商品セレクトには独特のものがあって、物はいいんだろうけど高くてコンサバ過ぎて、ファストファッションばやりの昨今では敬遠されがちなのだが、伊勢丹のセレクトというのはちょっとモード寄りで あか抜け感がある。 そしてもちろん良いお値段・・・本革の鈍く黒光りするジョッキーブーツにフェンディのクラッチバッグに12mm径のブラックパールのピアス・・・身につけて鏡に映してみるとあ、なんか、なんか欲しいかもーと冷静でいられなくなってしまって鏡の前から自分の身ををひっぺがすのが一苦労。
 
その後、上野のゴヤ展へ。 その頃、同じく上野に中国の絵巻物を見に行っている両親と妹から連絡が入った。 その古びた中国の絵巻物を観るのに、入場まで一時間、さらに入場して絵巻物までたどり着くのに120分待ちしているとの事。 あの巻もんがそんなに人気のある代物だったとは。 ゴヤ展の方はすんなり入場、それどころか入りかけたら見知らぬじいさんが僕の持っているペア券で一緒に入れてあげようと話しかけてきて、タダで入れてもらったもんねー。
 
 
 
97152824.JPGまったく期待せずに入った羽田第二ターミナルにあるイタリアンレストラン・・・思いがけずおいしかった。 ワインは赤だった私が最近白ワインにはまっていて、魚介とトマトを使った料理におススメですと書いてあったやつを飲んだけど、たしかに一緒に食べたペスカトーレとよく合っていた。 サラダにかかったレモンの効いたドレッシングも美味。 どこにしようか迷ったらおススメなのでちょっと覚えておいて。
 
 
 

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この禁煙が当たり前になってしまった現在の東京で、パイプなんか探そうっていう方が頭がおかしいのかもしれない。 しかしうちのおーめん(注:MIKA父)ときたら言い出したら聞かない性格。 そんなものネットで買えばいいじゃんって言ってもネット画面を見ようとすらしない。 そんなわけで今回の年末年始恒例の東京滞在はパイプ探しから始まった。 丸善に行けば絶対あるだろう、というおーめんの鉄板な思い込みで、丸の内オアゾ内のいつものつばめグリルでの昼食の後、(何年か前のお正月、三朝の旅館でカニ尽くしコースを食べた時のこと、私が自分の目の前にある茹でガニの殻から身を取りだすことに夢中になっている間に、焼きガニ、カニすきもろとも妹と母に食べ尽くされてしまっていた、白菜一枚、マロニーちゃん一本すら残っていなかった、という話は以niku.JPG17.JPG前ブログに描いたと思うが・・・またもや私がお皿の上の牡蠣の殻を全てナイフでこじ開けることに夢中になっている間にソーセージとアイスバインの盛り合わせが跡形もなく消え去っていた・・このアイスバインってのおいしいわぁ~と妹が盛んにつぶやいている声は耳に届いてはいたのだがまさかこんなに早くなくなってしまうとは・・・私には結局、アイスバインというものがいったいどういう料理だったのか、味はおろか、見た目がどうだったのかすらもわからない幻の料理になってしまった・・・おそるべし、MIKA妹。)同じビル内の丸善のギフトコーナーを物色するが、パイプはおろかライターすら見当たらない。 店員さんにパイプはどこですかと尋ねてみたら、最初に訪ねた若い男性の定員さんはキョトン顔。 後ろに控えていた中年女性の店員さんがすかさず助け船を出して、喫煙グッズはもう取り扱っておりませんと返答。 どうやら男性店員は何を聞かれているのかとっさにわからなかった様子。 あきらめきれないおーめんを連れて、丸の内の反対側、八重洲口にある大丸の七階紳士小物コーナーへ。 しかしここでも禁煙グッズは取り扱っていないとの事。 今どきの世の中、喫煙グッズを取り扱う、ということ自体、店のイメージダウンになりかねないということか。 けれどおーめんはあの丸善や東京のデパートが扱わんとは~! と、まだ納得がいかない様子。 こうなったら奥の手、搦め手で東急ハンズはどうよ? ということで東急ハンズがどういう類の店かというのがイマイチ把握できないままのおーめんを連れて渋谷の東急ハンズ本店へ。

「すみません。」
「はい。」
「あの~パイプをさがしてるんですけど。」
「パイプですか、どういったことに使われるパイプでしょう?」
「(??どういったことって・・・)あの、え~っと、口に咥えて煙をふかす・・・」
「あ~っ!そのパイプですかぁ!!」

やっぱり今どきこんなもの買いにくる人なんかきっといないんだよ~お~め~ん・・・店員さんの想定外な反応になんとなく気恥ずかしくなりながらも、とりあえず商品はあるということで喫煙グッズ売り場へ。 しかし置いてあるパイプはわずかに2種。 一つは2000円台、もう一つは4000円台。 予算一万円以内だが6000~8000円ぐらいのものをと想定していたおーめんには拍子抜け。 果たしていったいこれがパイプとして妥当な代物なのか、それとも恐ろしくちゃっちい物なのか・・・選択枝もないままに、4000円台のパイプを購入。 まあ、これで一応納得したみたいなんだけど・・・・。 
 

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諸事情によりこんな時期になってしまいました今年の夏旅行。 今回は北九州方面へ。

48599c40.JPG393c38e0.JPG  長崎、グラバー邸。










52af5d38.JPG3631218f.JPG 大浦天主堂。








                                                                                                                                                                                   

c6186701.JPG0c004391.JPGf4fb9347.JPG96dd1953.JPG
  







  出島。

a29c03fb.JPG  博多名物、もつ鍋。 ここは何食べても美味しかった。 
博多駅前リッチモンドホテル1F 「いねや」さんです。






CA391959.JPGCA391963.JPG  九州国立博物館。 動く歩道とエスカレータで太宰府天満宮とつながってます。 高架道路の出口にして一つ分遠くで降りさせられて遠回りさせられるけど、 太宰府側からアクセスするより博物館側からアクセスした方が車も止めやすくて便利。 太宰府天満宮の方は昔から観光地として有名だけど、この博物館もついでにぜひ見学をお勧め。 私はどっちかというと博物館の方がお目当てだった。



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CA391971.JPG 太宰府天満宮。 名物「梅が枝餅」はおみやげにしたかったけど足が早すぎた。








CA391970.JPG  関門橋。 九州道はそれなりに変わった景色を楽しめたから退屈しなかったけど、中国道、特に帰り道がひたすら長く感じて疲れた。 でも山陽道は渋滞するしね・・・ひたすら山の中だけど、ほとんどマイハイウエイ状態だった。






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両親を後ろに乗せて湯梨浜を出発したときはまだ道路に雪はなく、一便は羽田に向けて何事もなく出発したみたいだった。 だけど空港について出発手続きをしてセキュリティチェックを通り、待合室に入った頃にはあたり一面猛吹雪で視界0。 羽田を発った飛行機は鳥取空港に降りることができず伊丹へ向かい、従って折り返し運転の羽田行きの二便は欠航に・・・
 
タクシーで鳥取駅に向かう間にもどんどん雪は降り積もる。 運よく定刻ならとっくに出発してるはずのスーパーはくとが20分遅れて到着したので、それに乗って姫路まで行き、新幹線に乗り換えた。 太CA391550.JPG平洋側は嘘のような日本晴れ。 富士山もほれ、こんなにくっきり。 東京着午後3時。 まあ、まずまずの時間に到着できたと思う。 昔は汽車を使うと鳥取から京都まで5時間強、それから新幹線で東京まで3時間かかっていた。 それ考えると便利になったもんだと思う。
 
東京駅でMIKA妹と合流。 そのまま丸の内オアゾ内のいつものつばめキッチンへ。 無事東京へ着いたとたんに緊張の糸が切れ、猛烈にお腹がすいてガンガン食べまくる。
グラスワイン、牡蠣のグリル、つばめ風ハンバーグ、ドイツ鍋、焼きリンゴのアイスクリーム添え・・・しかしドイツ鍋の具の、いかにもコラーゲンぷりぷりの豚さんの皮を食べようとして飛び上がる・・・
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お毛々がびっしり!
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元日。 ホテルのロビーに置いてあったはとバスのパンフで、下車ポイントなしの1時間コースを見つけたので、これに乗ることにする。 バスに乗り込む前に、おーめん(注:
MIKA父)がトイレに行きたいと言い出したので、ここがトイレだよと連れて行き、先にバスの前まで帰ってきたら、母親CA391559.JPGと妹から、ちゃんと出てくるのを待っていてここまで連れて帰ってこなきゃだめだと言われた・・・以前、東京駅から羽田行きのリムジンバスに両親と妹の3人が乗っていこうとしたとき、出発前に3人がトイレに行き、母親と妹は先にバスのところに帰ったのだが、いつまでたってもおーめんが帰ってこない。 心配した母親が探しに行ったところ、おーめんは全く別のバスの前にぼーっと立っていた。
「おとうさん、なにしとる?!そのバスでないで!」
「いや今このバスに乗ろうとしたらな、満員ですっていわれて降りてきたとこだが。」
母親がそのバスの行先を見ると、それは青森行きだった・・・満員ですって言われなかったら青森まで運ばれていってしまうところだったのか・・・
恐るべし、おーめん。
 
丸の内を出発したはとバスは、皇居を通って霞が関の議事堂、官庁街、東京タワー、首都高を通ってレインボーブリッジを渡り、湾岸地区へ。
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はとバスでこうして湾岸から陸地方面を眺めていると、この国が徐々に勢いを失いつつあり、衰退の一途をたどっているなんてまるで嘘みたいに思えてくる。 そこに広がるのは、子供の頃に夢見た未来都市そのものだ。
 
首都高を降りて月島、築地、銀座を通って丸の内へ戻り、コースは終了。
 
午後は横浜へ。 これがブラタモリで言ってた東京と横浜を結ぶ列車ホーム跡か・・・飛行機時代以前はここが外国への扉だった場所。 そのホームと岸壁の間には、税関だった建物の残骸が古代遺跡のように残っている。
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2日。 
MIKA妹と二人でホテル近くの芝明神と増上寺に初詣。 
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その後、単独行動で銀座の
HMへ。 少し前までは、私のワードローブはほぼ25%ずつの割合でユニクロ、ヴィクトリアズシークレット、ベネトン、GAPだったのだけど、ベネトンとGAPがひところの勢いを失い、ヴィクトリアズシークレットもあまり惹かれる物がなくなってきた昨今、ほとんど50%ずつの勢いでユニクロ(うち3分の2はメンズのSサイズ)とH&Mになってきてしまっている。 折しもHMはセールHPNX0766.JPG中。 にもかかわらず売れ筋サイズまでもがごっそり売れ残ってる服があって、あ~こんなのあんまり買う人いないだろうな~と半ば冗談で体に当てて鏡に映してみたら・・・なんかハマっている気がする・・で、そそくさと試着室へ。 サイズ32と34でかなり迷う。 34は脇がとんでもなく広く開いてしまっているが、32でぴっちり着るより、34のほうがドレープが粋にでる。
・・・結局34の方を買ってしまった。 安かったとはいえいったいどこに着ていくんだ自分?
 
銀座店をチェック後、原宿店をチェックするため(置いてあるアイテムにかなり違いがあるのと、銀座店では売り切れだったサイズが原宿店には売れ残っていることがままあるため)電車で移動して原宿駅に降りる。
 
あ・・・しまった。
 
表参道って明治神宮の参道だってことすっかり忘れてた。 あたりは人、人、人の大洪水。 でもせっかくここまで来たんだしと思ってH&Mへ向うも、明治通りと表参道の交差点で人波がつかえて進まない。 隙間をすり抜け人波をかき分け、やっとの思いでショップに到着。 帰りはあの交差点は避けようと思って裏道を通ったのだが、その裏道の先は竹下通りに繋がっていて・・・
 
足を地面にぺったりつけて自分の意志で歩かなくても、爪先立ちでおしくらまんじゅうみたいに人々に挟まれたまま原宿駅までベルトコンベアみたいに運ばれていってしまった・・・凄い体験だった。
 
帰りの便は最後まで天候調査中の表示が消えず、場合によっては羽田に引き返すとずっとアナウンスされていたので最後までヤキモキ。 無事に鳥取空港には着陸したものの、駐車場が全く除雪されてなくて、両親の車にはスコップひとつ積まれてなくて、脱出するのにひと苦労、凍結した道路を走って湯梨浜に着いた頃にはもうグッタリ。 そのまま鳥取に引き返す気力もなくシャワー浴びてベッドに倒れ込み13時間爆睡・・・今回は異様に疲れた。 スノボどころじゃなかった。

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出雲大社に日御碕、八重垣神社・・・このあたりは遠方から友達とか親戚が来るとマストに連れて行かねばならない観光スポットなので、物心ついてからそれこそいったい何度行ったかわからない。 しかし、全国の神様が出雲で決起集会すなる旧暦10月。 そんな目出度い今日この頃、目指したのは今までその存在を全く知らなかった、ちょっとディープな場所。
 
 
9号線沿いの揖屋駅近くの住宅街の一角に、その見落としそうに小さな看板はある。
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←黄泉比良坂(よもつひらざか)徒歩3分
 
黄泉とはあの世。このあっさりひっそりとした佇まいの道の先に、あの世が繋がっているというのだろうか?
 

最初はいつものように好奇心に引っ張られて山道を進んでいた。 途中白くて平たいキノコが群生していて、その白い物体も白いキノコだと思って通り過ぎようとした・・・
 
ぎゃ~っ!!!!
    い、犬の白骨死体が~っ!!
 
一気に帰りたくなったがやっぱりここまで来ては引き返せない。 その1メートルほど先には丸い石を積み上げた塚があって、これも何かを埋葬した跡だったりするのだろうかと思ったりしてどこまでもマイナスの気を感じながら殆ど駆け足でナナメった山道を進んでいくと・・・
 
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・・・あった。
 

昔イザナギとイザナミという夫婦の神様がいた。 イザナミは末子を出産する時、その末子が火の神だった為に自分が焼死してしまった。 嘆き悲しんだイザナギは黄泉の国へ行ってイザナミの名前を呼んだ。 すると暗闇の中からイザナミの声がする。 更にイザナギが暗闇に向かって戻ってこいと叫ぶと、黄泉の国の神に相談するから待っていてください、その間決して私の姿を見ないでください、と返事が。 イザナギは言われた通り大人しく待っていたが、あまりに長かったので思わずイザナミの姿を探した。 暗闇の先にイザナギが見たものは、腐った体のあちこちにウジの湧いたイザナミの姿だった。 恐ろしくなったイザナギはいちもくさんで黄泉の国から逃げ出した。 怒ったイザナミが後を追いかけてきた。 黄泉の入り口まで逃げてきたイザナギはその入り口を大きな岩3つでぶんぶんと塞いでしまった。
 
 
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・・・これがその岩。
 
 


CA391437-0001-0001.JPG全国の神様集結中の出雲大社にお参りして、大鳥居の左横にある八雲で三色割子そばを食べる。 コシのあるワイルド系、おダシはニシン、ネギ抜きにしてもらってご機嫌。 蕎麦湯もおいしかった。 写真は2段目に取りかかって生玉子をまぜまぜした後にあ、そうだ写真、と思って撮ったもの。 
 
 
CA391449-0001.JPG薬局へのおみやげに生姜糖を買った後、大社の左横を通り過ぎて、車一台はとりあえず通るが対向車が来たら広い部分で待ってなきゃいけないような山道を20分くらい走って海岸沿いの小さな漁村に出る。そのままセンターラインのない海岸沿いの細道を走っていくと、岩をくりぬいて造ったトンネルの手前、小さな橋の下に小さな漁船が3隻くらい見える場所に来る。 そこに巨大な青緑色の岩盤があり、下の方に洞窟が見える。
 
 
猪目(いのめ)洞窟。 何より不気味なのはこの洞窟が夢の中に出てきた者は近々必ず死ぬ、と言われていることだ。 中に入ってみると、小さなコウモリがバサバサと飛びまわり、雫があちこちからポタポタと落ちて全体が湿っている。 昭和20年代、砂に埋もれていたこの洞窟が漁業関係の工事中に発見され、そこから縄文、弥生時代の人骨や生活遺物がいくつか発見されたとのこと。 なんか生活臭と言ってはあんまりかもしれないが、それ程おどろおどろしい気配は感じなかった。
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今回は他に須佐神社、佐田神社を予定していたけどここで時間切れ。 なんか新しい博物館みたいなのも出雲大社の近くにできてたし、また後日行ってこようと思う。 今度は蕎麦は荒木屋行ってきます。  

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犬狭峠を越え、湯原ICで岡山道に乗る。 外側の車線をおとなしく制限速度で走る・・・落合JCTに近づくと、片側2車線の中央寄り、通常追い越し車線になっている方が岡山方面へ通じるように路面に書いてあったので車線を変更。 しばらく走っていたら、いきなり覆面パトカーが視界に飛び込んできた。 サイレンを鳴らしながらパトカーは反対車線をものすごい勢いで走っていく。
 
(あ~びっくりしたびっくりしたも~心の臓にちょ~悪いよ~・・・あれ?なんでワタシ追い越し車線走ってるんだろヤバいよ車線変えなきゃ~)
 
・・・・なんで追い越し車線走ってたのか思い出した時にはすでに遅く、車は分岐点を通り過ぎて大阪方面へ・・・
 
100905_1913081.jpg非難轟々の中、院庄ICで反対方面に乗り換え軌道修正。 再び岡山道→山陽道→しまなみ海道→196号線経由で道後温泉到着。 宿泊先は道後温泉本館が目の前にある小ぢんまりしたホテル。 外ごはん派にはうってつけだと思う。 温泉はもちろん本館のやつに入るわけだし。 お約束の一六タルトを薬局のみんなへのお土産に買った。 商店街もいわゆる「いやげもの」系ではなくて小奇麗な店が多かったよ。 
 
 
 
2日目。 道後温泉を出発し、11→194経由で高知入り。 MIKA妹たっての希望で桂浜へ。
 
「坂本竜馬について知っていることを言ってみない。」
「え~っと、髪が長い。」
「・・・・」
「背が高い。」
「それって竜馬っていうより福山雅治でしょうが。」
「・・・ハカマを穿いている。」
「・・・・」
 
またも非難轟々。 その後ひとしきり竜馬についてレクチャーされるが、固有名詞にやたらと漢字が多くて全く頭に入らない。 カノッサの屈辱とかアナクシマンドロスみたいにインパクト強過ぎて頭にこびりついて離れないような名前だったらいいのに。
 
100906_1358211.jpg折しも台風が近づいていて、桂浜には怒涛の波しぶきが立っていた。 竜馬像の目線の先には昔と同じ、紺碧の太平洋。 結局、竜馬が何をした人かはあんまり理解できなかったけれど、何かが自分を待っているような予感・・・此処ではない何処かへと、何かに駆り立てられるように水平線の彼方を見つめていた・・・そんな竜馬なら痛いほどわかるような気がした。
 
100906_1737021.jpg高知駅前のビジネスホテルにチェックイン後、はりまや橋近くの居酒屋「一本釣り」へ歩いて向かう。 ここで3年前に食べたカツオのたたきの味が忘れられず、またわざわざやって来てしまったのだ。 見よ!このぶ厚さ! 鳥取で食べるカツオのたたきが、薄切りの、殆ど火の通ったローストビーフだとしたら、ここのたたきはまるで極上ヒレ肉のレアステーキ。 魚というより生肉を食べている感覚に近い。 鳥皮など他の料理も絶品、お酒もおいしいので、ぜひ高知に行ったら寄ってみて。
 
 
 
100907_1217471.jpg3日目。 高知道→松山道経由でこんぴらさんへ。 みんな上る前に散々脅すから万里の長城みたいな参道なのかと想像してしまっていたが、想像よりはあっさりしていた。 ここの参道は典型的な「いやげもの」系の店が立ち並ぶ。 昭和時代に栄えたけど今はすっかり寂れてしまった温泉街って感じ。 誰も買い物しないからちょっと可哀想になる。
 
 
 台風が来る前に瀬戸大橋渡らなきゃ、ということで讃岐うどんを食べずに出発してしまったことが心残りといえば心残り。 家にたどり着いた時にはもうグッタリしていて、シャワー浴びて御飯食べて爆睡。 でも次の日になると、ほんの昨日おとといの事なのに、旅の間の出来事がまるで遠い遠い手の届かないところに行ってしまっているみたいで、思い出すのが耐えられないくらいに切なくなる。 でも、多分、何年経っても、こうやって鮮明な再現性を持ってふいに何度も心の中に現れるんだろうな・・・他の年の夏の記憶がそうであるように。 春でも秋でも冬でもない、暑い夏の出来事だけが、そうなのだ。

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丸の内。 昔、ここは東京湾の入江だった・・・江戸時代に埋め立てられて、大名の江戸屋敷街→陸軍基地→煉瓦造りのビル街→鉄筋コンクリートのビル街→高層ビル街へと移り変わっていった。
 
300px-Mitsubishi_Ichigokan_Museum.jpg90年代半ばあたりから国鉄本社や都庁の跡地の再開発、昭和初期に建てられたビルの改築がはじまり、丸の内は丸ビル、新丸ビル、丸の内OAZOを中心としたショッピング&レストラン街へと変貌を遂げる。 そんな中、明治初期に軍用の官営地だった丸の内を150万円でごっそり買い取った三菱財閥、現三菱グループは、かつての煉瓦作りのビルを、出来る限り当時に忠実に復元。 それを美術館として最近オープンさせた。 
 
CA391145.JPG内部の階段。 オリジナルは伊豆青石を使っていたけれど、伊豆青石は掘り尽くされってしまったのか、復元されたものは中国産の五雲石を使っているとのこと。 この翡翠と擦りガラスの中間のような質感のミントアイスクリーム色の階段と、白い壁、窓枠の黒、窓の形、その四つの窓の配置・・・雨天の軟らかい外光の差し込むこの一角は詩的な雰囲気。 中庭にはピンク色のオーソドックスなローズガーデン。 黒いテーブルと椅子に紫のナプキンの色が映えるテラス席のあるワインバーがあった。
 
その美術館のこけら落とし、マネの展覧会。 オランピアちゃんとか裸でピクニックの絵とかバーテンダーのおねえちゃんの絵とかは来ていなくて、2番手あたりの絵が来ている。
CA390177.jpgいちばん気を惹かれたのはこの下の小さいほうの絵。 この表情、すげ~ロックなものを感じる。 上の絵も下の絵もモデルは同一人物で、自身も画家だったベルト・モリゾという人。 19世紀当時、女の人が職業を持つということ、まして画家なんていう職業につこうとするにはかなりの気力が必要だったと思われる。 マネとはルーヴルで模写をしているときに出会った。 以来、マネは数点の作品を彼女をモデルに描き上げている・・・そしてベルトはマネの実弟と結婚・・・おお、なんてパンクな!
 
な~んて勝手に思い込んでたけど、鳥取に帰ってから図書館で読んだベルト・モリゾの伝記によると、実際の彼女は別にロックでもパンクでも反骨精神に溢れているわけでもなかったようだ。 最初に絵を習わせたのは母親で、別に画家になることには反対されなかったしお姉さんも一緒に画家になった。 画風は影響を受けたかもしれないけど別に既婚者のマネとの間柄がどうこう、というわけではなくて、たまたま自身がオールドミスでいることの世間体を気にしていた時期に、自分やマネたちと一緒につるんで遊んでいた、顔見知りで結婚条件のつり合う「いいひと」であるところのマネの実弟のプロポーズをうけたまでの事らしいし、何より彼女自身の作風がロックじゃなかった。 彼女の絵に描かれた女の人たちの表情は、複雑で繊細で、いかにもフェミニンな感じだった。 
もう一冊の伝記の方は、わが道を行く、妥協を許さない、物事の本質を追究してやまない一本気で気難しくて強情だった性格を強調してみせる・・・ちょっとだけロック。 けれど19世紀の慣習や、出自に対する矜持と責任、母親の意見には比較的おとなしく従っていたらしい。
2つの絵じゃ同一人物と思えないほど印象が違うけど、どっちが彼女に似てたんだろう? 本人は下の方を気に入ってたし、私も下の方がいい。 でも、自我と当時の慣習とのせめぎ合いの中で、時には上みたいな顔して、また別の時には下みたいな顔してた、そういうことなのかもしれない。
 
 
CA391161.JPGついでに隣の明治生命館へ入ってみた。 土日だけ内部を一般公開しているとのことなので。 昭和初期に建てられた堅牢で重厚な建物で、戦後は一時GHQに撤収されていた。
 


CA391134.JPGこの天井の創りも今じゃありえないほど手が込んでいる。
 CA391133.JPG



 

CA391138.JPG床、階段、壁、柱はイタリア産の大理石。 アンモナイトの化石が含まれているって案内板に書いてあるなあ・・・どこだろ? 
 


 

6bd7f394.JPGあ、あった。
 




CA391157.JPGこのあと、丸善でまたもやアコギなことを・・・すみません丸善様。
 
 
 
 

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銀座。 最近話題のプチプラブランドFOREVER21、ZARA、H&Mが3軒並んでいるので順にチェック。 FOREVER21はあまりにも永遠に21歳だった。 別に永遠に21歳でいたいとは思わないので早々に退散。 ZARAは色調がくすんだナチュラルトーンだったのでもうちょっと濃い肌色で骨格のがっちりした人には似合うかもしれないけど私が着ても野暮なだけだな~と思いつつ退散。 H&Mはもっか最近の私のお気に入り。 ユニクロ並みの値段でもうちょっとひとひねりあるトレンド寄りのあかぬけた品揃え。 ひところの嵐のような大混雑ではなくなっていて、試着するにも会計するにも長蛇の列に並ばなくてはいけないということがない模様・・・・ 
 
 
うっしゃ~!!気合入った!!
 
 
サイズが小刻みだしアイテムによって合うサイズが違うしサイズによって着方が違ってくるので、アイテムごとに2~3のサイズ違いを持ちこんで鬼のように試着しまくる(ここは店員さんが違うサイズを試着室まで持ってきてくれるというサービスをしてくれない)。 これを1階から3階まで各階ごとに繰り返す。 やっぱり洋服買うときはひとりに限る・・・・こんなことに誰も付き合わせるわけにはいかない。 あんまりあれこれ悩み過ぎて気がつけば2時間近く経過してしまっていた。 でもその甲斐あって何点かゲット・・・満足
 
 
新宿へ移動。 Chacottで、底が摩耗していてつるつる滑りまくってほどんど役立たずになっていたダンスシューズを買い替える。 その後伊勢丹の一階をぶらぶら。 東は伊勢丹、西は梅田阪急。 国内で手に入るコスメの全カウンターが揃っている。 顧客はカルトな商品知識を持ったツワモノ揃い。 各メーカーともエース級の販売員を投入する。 ・・・しかしみな窒息しそうなほど濃いメイクだ。 CHANELのカウンターでおねいさんにCOCOを手首に吹き付けてもらった。 荷物をコインロッカーに預けて西口へ。
 

CA391156.JPG
新宿には紀伊国屋という大きな老舗の本屋さんがあるが、私のお気に入りは西口に2年前に出来たBook1stという本屋さん。 ここともうひとつ、丸の内のつばめキッチンと同じビル内にある丸善が、翻訳本のコーナーがその広さ、セレクト供に充実しているので、上京するといつもチェックする・・・・でも買わない。 本なんて買って帰ろうとするととっても重いし宅急便は送料が高くつく。 いまはAmazonという便利なものがあってまとめ買いすれば送料タダだしディスカウントもできるので、もっぱら購入するのはネットからなのだが、私は読もうとする本を書かれた内容やストーリーで選ぶのではなくて、パラパラとめくって目にとびこんできた文章がイケてるかイケてないか、という絶対的な感覚のノリだけで選んでいる。 ブックレビューだけを見てAmazonで注文、ということはなく、必ずこうやって実際に本屋や図書館で文章を流し読みしてからでないと読まないし買わない。
Book1stで本の中身をチェック、検索端末で気に入った本の題名を一冊ごとに打ち込んでプリントアウトし、持ち帰ってAmazonで購入・・・なんてアコギなんだMIKA・・・ごめんなさいBook1st様。
 
 
・・・で、いったい何時間本屋にいたんだろう?・・・妹との待ち合わせ時間までまだまだ余裕じゃん、って思ってたのにふと気がつけば待ち合わせの時間過ぎてんじゃん! またもギリギリ行動。 スミマセンMIKA妹。 で、・・・強気に出れなくて二日続けてつばめになってしまった。 せめてもう一つのわしらの新宿フェイバリットメキシコ料理屋にしていただきたかった。 ここは新宿タカシマヤのつばめグリル。 つばめの店舗にはCA391120.JPGつばめキッチンとグリルとあるけど、どう違うのかは不明。
 
でかっ!(クリック拡大できます)
 
 

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