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思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活

   
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金麦の壇れいのCMも相当あざといが、トヨタの真木ようこのCMも同じくらいあざとい。どんだけあざといかというと、「ゴメン、あんまり肌綺麗なんでみとれちゃった。」と男子がつぶやく化粧品かなんかのCMくらいにあざとくてあり得ん。

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なかなか私が仁くんを洗わなかったりヘルメットを磨かないからと言って決して部屋も散らかしっ放しだとは思わないでね。それは大きな誤解だから。 時々ブログでも言及してるけど、私はシンプル至上主義、理系女の断捨離人間。服飾品も日用品も一品目につき一種類、シンプルで組み合わせが効きやすい物、そこそこの品質で使い勝手がよく今の自分の外見や能力に見合ったものだけをキープして他はどんどん処分していく主義なので、部屋は物が少なく片付け易くて散らかっていることはない。不器用で面倒がりなのでピカピカに磨き上げたりキチンとたたんだりトコトン分類整理したりといったことは苦手だが、私が落ち着くのはいくら掃除や整理整頓が行き届いていても物が一杯だったり美的にどうかと思うような部屋より、古くてべっちょり白ペンキ塗っただけの何にもない部屋のほうだ。シンプルでワイルドで無造作な物が好き…とは言えゲチョゲチョのドロドロになるまで仁くんやヘルメットをほっぽってる訳じゃないじゃん! やり方が徹底的じゃないだけさ( ̄ー ̄)


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前回のブログにO様からコメントを頂戴した。 その中に、最新のブログ記事の最後のほうについている広告のことが書いてあったんだけど、あれについてひとつおことわりをしておきたいのが、 あの広告内容に関しては、「それを見ている人のパソコンの履歴に関連した商品が載っている」 ということだ。 したがって私が故意に「その商品」を載せているわけではない。 っていうか実際O様が何を見ていらっしゃるのかこちらには全く伺いしれず、O様のみが知っている、ということになる。 ちなみに私のパソコンからだと、ガガ様の衣装とウイッグの広告(新年会の仮装用にと楽天ネットを確かに検索した過去がある)が見えている。 

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この前携帯にアドレス変更のお知らせが入っていた。「英会話学校でお世話になっていたNです」って書いてあるけど心当たりがない。 英会話仲間のみんなに聞いてみたけどわからない。
・・・かなり暫く経ってから、それが通ってる英会話学校のスタッフだったことが判明した。 言われてみればああ、あの子かと思い出すが、ホントに短い期間しかいなかったからなあ・・・。 
 
 
英会話学校周辺の人間(古参の生徒、日本人スタッフ)は大まかに言って3タイプに分類されると思う。
 

1.自分をハリウッド映画やビバヒルの登場人物か何かのように錯覚しているアメリカかぶれ。 アメリカに住みたいか~っ? お~っ!なタイプ。 自分の嗜好や考え方や立ち居振る舞いがいかにアメリカナイズされているかが恥ではなくむしろ自慢。 若い頃には、丁度今の仁くんがそうであるように、勢い余って自分は日本人ではないと思い込むところまで重症化する時期がある。 外見はあくまでも日本人なのにセンスがアメリカ系またはB系、あるいは思いっきりオリエンタルを強調するタイプあり。
 
 
2.仕事上、学問上の必要に駆られて、または、語学あるいは教養としての英語を究めようとするタイプ。 外見的嗜好、立ち居振る舞いは常識的日本人の範疇内。 発想が日本的だから作る英文も直訳日本語的。 学校のお勉強が良くできるから語学上達もレベルが高い。 学科や語学としての英語が好きで続けている人には、タイプ1な人とタイプ2な人が存在する。 
 
 
3.無国籍グローバリアン。 ざっくばらんでフレキシブルで、バッグパックひとつで第三世界を一人旅したり、青年海外協力隊なんかに志願したりするタイプ。 日本人、と言うよりアジア人と言った方がしっくりくるような風貌。 いちばんどこでも通じやすいから英会話習ってるけど、別に言葉が通じなくてもコミュニケーション取れちゃうって感じ。 あるいは逆に英語のほかにポルトガル語とか中国語が話せちゃったりする。
 
 
当然日本人スタッフもこの3タイプにほぼ分類されるが、先生やマネージャー級はともかく、時々アシスタント級のスタッフに、英会話学校周辺ではあまり見かけないタイプの人がたまにいたりする。 そしてそういう人は決まってすぐにやめてしまう。
 
 
「多分さあ・・・」
「うん。」
「英会話学校で働いていればタダで労せずに英語が喋れるようになるんじゃないかって思って入ってみたけど、外国人講師と話すのはおろか顔を正面から見ることもまともにできずに・・・退散っ、て感じ?」
「そうだよね・・・」
 
 
そんなに語学は甘くない。 帰国子女や親が母国語を話す外国人でもない限り、努力または根気の要るとってもジミな世界なのだ。 そしてどこかでとっても立ち直れないほどの屈辱や巨大な恥をかかなけれは次へステップアップできない、というのも否めない・・・みんな黙ってるけどね。

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以前にも何回かブログに書いたが、私の母親は巣鴨生まれだ。 東京大空襲で家は全焼し、借家だったのでそのまま再建することもなく、一家は祖母の実家の近くへ引っ越した。
 
 
何年か前に巣鴨の地蔵商店街の端っこの、母の生家があった場所に行ってみたことがある。
当然ながら当時の面影は跡形もなく、その場所にはローソンが建っていた。 真夜中に近くてあたりはほとんど真っ暗な中、そのローソンだけが内から外からの光に煌々と照らされ闇に浮かんでいた。 なぜだかとても物悲しい風景だった。 私はほとんど泣きそうだったが、母親は普通にしていて何の感慨もなさそうにローソンを見ていた。 とてもとても怖がりで傷つきやすい心を持った母親は、生きていくうちにあまりにも怖いことや悲しいことに重い重い蓋をして考えないようにして、感情に押し流されることなく現実的な事柄をてきぱきと片付けていくという知恵を身につけていた。 私はと言えば早くこの場所を立ち去りたくてしょうがなかった。 私の蓋は恐ろしく軽くできている。
 

ブラタモリが巣鴨をやるというので両親と観ていた。 巣鴨には染井という墓地になっている地区がある。空襲のとき、祖母と母の姉は命からがらこの染井の墓地に逃げ込んで助かったんだという昔話を何度となく聞かされていた(母は疎開中)。 その染井はさかのぼること江戸時代、墓地ではなく植木屋さんが密集していた地域だったそうで、そこの植木屋さんが品種改良してできた桜が染井吉野という桜・・・今では全国通津浦々に咲き誇っているあのソメイヨシノなんですと。 ソメイヨシノのソメイとは染井の墓地のあのソメイ、九松山の桜も打吹公園の桜も、ルーツは染井に・・・おお~すげ~ブラボ~と意味もなく感慨にふけるわしら親子。 ブラタモリってなんでこう見てると気持ちが高揚してくるんだろう? 昔はこんなだったんでしょうね~というCGが出てくる時その高揚感は頂点に達する。 なんでそうなるのか自分でもよくわからない。

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ボブ・ディランという人は60~70年代に若かった人たちには物凄く思い入れのあるフォーク系シンガーソングライターらしいのだけど、ロック寄りで英語圏の人間でない80~90年代世代の私には、どんなに神といわれていてもブルース・スプリングスティーン同様イマいちピンとこない人ではある。
 
 
 
ディランと雪のグリニッジヴィレッジを歩く写真がアルバムジャケットに用いられ、ディラン伝説の一部として語られることの多い当時のガールフレンド、スージー・ロトロの自伝は、当時、世間やディランから、女の子としてロックスターのガールフレンドとして求められていた像と、自己表現への欲求とのギャップに悩んでいた彼女の、若すぎる赤裸々な感情が綴られていて興味深かった。 結局彼女は自分が表現者になることには失敗して、いまだにボブ・ディランの伝説の一部としてしか語られることがない。 そういった事を過去の勲章、昔取った杵柄、いい思い出として嬉々として語る元グルーピーは多いし、そっちの方が数段幸せそうだ。 でも彼女にはそれが出来ない矜持と自我がある。 彼女のそんなところに、かつてディランは惹かれたはずだったし、大勢の港々の女たちとは別格と位置づけしていたのは確かなのだけど・・・
 
 

話はディランに戻る。 ディランのつくった「自分自身のためのリスト」。
 
 

のこぎり、ハンマー、木挽台、チーズ樽(?)、雨雲と稲妻、トラック、朝食、ディーカップ、ニジンスキー、深い海、河、線路、危険と思考と魔法、星雲、苦痛、小麦作物、トラクターとトレイラー、ディキシーランド、メキシコ、砂漠の生活、演奏すること、綿棒、しんどい思いをすること、忘れないようにすること、役に立つ部品、機械店、心がつくりだすもの、身体がつくりだすもの、手のマメ、敗れた背中、しっかりした手・・・etc.
 
 

抽象的で散漫であいまいだけど、これは自分自身を作り上げているもの、自分自身の人生に必要なもの、あるいはただ単に好きなもの、といったような感じなんだろうか。 私も「自分自身のためのリスト」をちょっと考えてみた。 
 
 

・・・移動する乗り物、行ったことのない場所、書くこと、チョコレート、コーヒー、ロック、アスピリン、ペニシリン、ステロイド、焼いた肉、デカいサラダ、イカツいブーツ、華奢なサンダル、コットンパーカ、カーゴパンツ、ストレートジーンズ、リブセーター、チェックのネルシャツ、花柄のキャミソールドレス、呪術めいた装身具、物理法則、図書館、レンタルDVDショップ、美術館、博物館、遊園地、高い塔、洞窟、銀、ガラス、ベビーオイル、ゲルインクペン、古代遺跡、灰色の海、ひらひらした多弁の花、満月、冷静で理論的で現実的な男友達、ユーモアのセンスと柔軟な精神と独自のスタイルを持った女友達・・・
 
 
 
・・・ディランに比べると月並みかも。

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CA391315-0001-0001.JPG昔はデパート食品売り場のお約束だった、この回転駄菓子売り。 まだあるんだようかん玉とかバターボールとかラムネとか。 子供の頃は眺めてるうちに気持ち悪くなってしまっていつも大変なことになっていた。
 
 
そう言えばこの前、屋上のビアガーデンでダンスの納涼会があったとき、「オレ大丸来たの初めてっすよ。」という1984年生まれの男の子の衝撃発言があった。 そ、そうか・・・時代はそこまで来てしまっているのか。 まあかく言う私もビアガーデンと無印良品以外は用がないもんなあ。
 
 
じいちゃん、ばあちゃんが大丸マニアだったので、私が幼稚園生の頃はよく連れて行ってもらっていた。 今なら大型量販店や大型スーパー、通販で買うような物をほとんど大丸で買ってたなあばあちゃん達・・・学習机とかランドセル、発表会やよそいきの服、バッグ、靴、靴下、傘、ハンカチ、スカーフ、マフラー、手袋、財布、扇子、万年筆、おもちゃ、食器、フライパン、包丁、ハムやローストビーフ、おかき・・・ホントにあのころはなんでも売ってたしお客さんも多くて食堂なんか食券買うのに大行列だったのを覚えてる。 大丸行くよとひとたびお声がかかると私のテンションは朝からウナギ登り。 そりゃあそうだろ。 大人たちの為の買い物をする間おとなしく待ってさえいれば、あとはお洋服とおもちゃとハンバーグとクリームソーダと屋上の乗り物っていう夢のフルコースが待っていたんだから。
 
 
屋上の乗り物といえば・・・今の大丸の建物は私が10歳ごろに鳥取駅の高架事業に伴って移転してニューオータニとセットで建ったと記憶していて、その前は今のバスターミナルがあるあたりに、地下階も無くエスカレーターもない3階建くらいの建物が建っていた。
今考えるとデパートと名乗ってはいるもののとっても小規模だったんだなあと思うがひとつだけ、前の大丸の方がゴーヂャスだったと思うものがある。
 
 
・・・・それは、タコ。
 
 
屋上にね~あったんだよ~足の先にゴンドラがついてて回りながら上下する巨大なタコが~。
でもこの記憶をシェアしてくれる人が誰もいない・・・同年代の人も知らないっていうし(中部の人間でその頃わざわざ大丸まで買い物に行くっていう人はあんまりいなかった)・・・今までで唯一あったあったと言ってくれたのはマイカねえさんぐらい。 でもあったっていってくれたから私のマボロシでない事は確かなんだわ。
 
 
このタコとあとオレンジジュースが透明ケースの中で噴水になってて、オレンジと白の縦じまの紙コップに注がれて出てくる10円のオレンジジュース販売機・・・これが失われてしまってさみしい大丸アイテム・・・・回転駄菓子売り機にはぜひこれからも現役でがんばって頂きたいものでございます。

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・・・さっきから私とヒットミ―ちゃんは交差点の赤信号で止まっている一台の青すぎるほどに青い車を調剤室の奥から眺めていた。 
「・・・青い車っていうのは女の選択肢にはないよね・・・」
「そうですねー水色とか紺色はあっても青はまずあり得ませんね・・・」
「でさ、どんな車種であれあの色をした車って、決まって金色の輪切りのおみかんみたいなホイールなんだわ。」
CA391275-0001-0001.JPG「た、確かに・・。」
「で、男子ひとりかもしくは助手席にも男子が乗ってるっていうパターン。」
「それって走り屋のヤンキーみたいな人ですか?」
「それがさ・・・」
「はい?」
「なぜか痛車に乗ってる人とキャラかぶってんだよ。」
「アイタタタタ・・・」
 
黒いCR-Xとかコンバーチブルのユーノスもこのパターンだよなあ・・・謎だ。
謎といえばなんでイカ釣り船であれ豪華客船であれ軍艦であれ日本の船の名前には丸がつくんだろう? クイーンエリザベス丸とは言わないし・・・

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生まれた時からずっとスポットライトの当たった花道を歩いてきたって感じの
ポジティブでやんちゃなエネルギーのかたまり。
そのエネルギーををそこいらじゅう振り撒いて、
みんなをポジティブ菌に感染させる。


また今年も同メンバーで企画委員。 しばらく鉄板みたい。

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職場仲間のうちのひとりの趣味に、買う予定もないのにモデルハウス見学というのがある。 モデルハウスを見学しながら自身の夢の家の空想に浸るというのが趣旨らしい。 変わった趣味だと思っていたら、ほかの職場仲間にもそれぞれマイホームを持ちたいとか住むならこんな家とかいう夢があるらしい。 
 
 
私はどうだろう・・・あんまり考えたことがない。 根っこがエグザイル気質の私にはむしろマイホーム=終身刑みたいな気がして恐ろしい。
あ、だけど、コンクリートの四角い平屋建てみたいのだったら住んでみたいかも・・・LAのヴェニスビーチで見かけたような、ミントクリームやグレーホワイトのペンキの剥げかかった、簡素で、粗野で、気ままで、そっけなくて、乾いた明るさと同時にどことなく寂しげで気だるげな雰囲気が漂っている、そんな家。 家具は中古のばかでかいカウチとスタンドライトと拾ってきた大きな鏡だったと思われる物の破片。 ふわふわ物はインディアンブランケットとクッションと猫。 カウチの上でラップトップでネットサーフィンしたり言葉をタイプしたり、ituneで音楽を鳴らし、借りてきたDVDを見る。 袋入りのタコスやチップスと缶入りソーダを脇に置き、山積みになった本の中から一冊抜き取って読む。 眠くなったらそのままカウチで猫と眠る。 もしもそれがヴェニスビーチなら一年中暖かくて雨ふらないしTPOもないようなもんだから、ワードローブも大きなバスケットひとつあれば収まるだろう。 移動はバイク。(理想はlightningXB12Scgのチェリーボムレッド) 車はラングラーじゃなかったら要らない。 夕方には猫とビーチを歩き、海に向かってヨガをする。 友達が来たらビーチでたき火とバーベキューとビールと音楽。 木の枝にソーセージを刺し、ベーキングパウダーと小麦粉と塩と水を混ぜて作ったパン種をぐるぐる巻きつけて焼く。 酔っぱらって海でバカをやる。
 

・・・・・これってでもやっぱり一種の夢の家? 

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がんばった高橋君には悪いけど、でも、ワタシ的にはジョニー・ウィアーの方がよかったんじゃないかなあと思うんだけど・・・もっと言えば1位はライサチェクで問題ないけど2位ウィアー、3位ランビエールって感じなんだよね・・・プルシェンコは4回転以外はやっぱりもう絶頂期を過ぎている・・・気持ちはわかる。 大変なんだよね。 若い時はいっくら練習しても体力がありあまってるから追い込めば追い込むほど良くなるって感じだったのが、あんまり練習しちゃうと本番用の体力がなくなっちゃう。 でもウオームアップは必要だしメンタルの安定のためにもある程度は直前にやり込んでおきたい。 それに若い時は多分殆どの男子選手は気にしなかっただろうダイエットもしなきゃいけない。 本番で最大限に身体を動かすためにはバリバリ食べなきゃって思うのに。 プルシェンコも本番前はバナナ一本しか食べてないって言ってたし筋肉はパンパンだって言ってたし・・・・ただ基本的な身体機能が衰えるだけじゃなくて直前のコンディション調整がとっても難しいんだよね。 あのどこまでも強気な他を圧倒するパーソナリティはああいうピン芸人(ここでいうピン芸人とは、芸術系のスポーツ選手とかダンサ―や演奏家のことね)の世界ではとても有利だと思う。 けど強気過ぎて、 ライサチェクやランビエールやウィアーにあるもの・・・男のピン芸人に必要なもの・・・危うさというか怪しさ(妖しさではない)というかアブナさというか・・・・それが彼には備わってない。
 
 
高橋君もなあ・・・なんか、GRAYとかラルクとかああいうビジュアル系の、「たちつてと」を「ちゃちちゅちぇちょ」と発音する演歌ノリ系バンドみたい。 局地的日本人女子にしかわからないノリって感じがする。
 
 
あの三人の中では私はいちばん小塚君に注目している。 まずおじいちゃんが満州チャンピオンだったというのがステキだ。 そして滑っている姿がドタバタせずに優雅でキレイだ。 なるほど近くで見るとたーこちゃん(注:うちの実家の近所のおばちゃん。 アクセントを「た」に付けずに全音フラットに発音してください)そっくりだが遠目でみるとあまり問題ない。 それにプロポーションが比較的いいし、コスチュームや音の選択や振付もなかなかだと思う。 ショートプログラムの、ところどころヘビ皮模様の赤いシャツよかったなあ。 地味じゃないしちゃんとオトコオトコしている。 それに曲があのジミヘン! それもBOLD AS LOVEなんてチョーシブい選択。 どこかの局がHOLD AS LOVE と紹介していたけどそれは大きな間違いだ。 BOLD AS LOVEだ。 「愛のようにハゲ(BALD)」ではない。 「愛ほどに不遜、愛ほどに大胆・・・斧のように(俺のギターのように)」・・・競技ではインストゥルメンタルでなきゃ使用できないけど、エキジビションに出るようなことがあったら(案外カルガリーの伊藤みどりのように観客リクエストが多くて出てくるかもしれない。 ジミヘンは英語圏ではクラッシックなのであのショートプログラムの時は異様に観客も盛り上がっていた)ぜひオリジナル使ってほしいなあ。
まだ20歳。 付けようと思っても身に付けることができない品の良さは既に持っているので、これからは周りの女の子たちにがんばっていただいて男のピン芸人に必要なモノを徐々に叩きこんでいってもらいましょう。


あともう一つ印象的だったのが、ファンから赤いバラの花束とその同じバラでできた花輪をもらってご満悦だったジョニー・ウィアー。 いかにもロシアのおばちゃんといった感じのコーチと並んでキスアンドクライに座って得点待ちしてる時に、これはあんまりでしょっていう感じでコーチがジョニーの頭から花輪を外してあげたら、自ら物凄い勢いでそれを奪い取って被り直した。 再びご満悦。 アンタやっぱヘン。 でもそこが好き。

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社会人になって以来ずーっと職場で使っていたピーターラビットのマグカップが粉々に砕けてしまった。 

割れたなんて生易しいもんじゃない。 それこそホントに文字通り粉々に砕け散ってしまった。

悲しいですが、仕方ありません。

ちょうどこんなの買ってたから職場に持って来てみた。

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                                 チェブラーシカ!




チェブラーシカ!CA390905-0001-0001.JPG






    CA390919-0001-0001.JPGチェブラーシカ!

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何も知らない傍から見たら、すべてが予定調和で順調に進んだかに見えたアポロ11号の月着陸も、実際は一瞬一瞬が一か八かのギャンブル状態で事が運んでいた。 着陸直前になってコンピュータのアラームが突然鳴りだし、それが一体何に対する警告なのか誰にも分らなかった。 着陸するか断念するかは当時26歳のコンピューター技師の判断に委ねられた。 国家の威信、天文学的な数字の予算と人出、人類の夢、宇宙飛行士の命・・・全てのことが彼の肩にのしかかっていた。 しばらくの沈黙の後、彼は恐怖に震える声で決断を下した。
 

「続行」
 

安全なのかどうか全く確信がなかったし、確証がない限り中止する方が妥当な判断だったのだが、コンピューターはちゃんと作動しているのだし自分の直感ではゴーだ、というだけでこの判断を下したのだという。 着陸中止の準備をしていた2人の宇宙飛行士は内心驚いた。 この時点で月面まで1000フィート。 あと60秒で燃料切れ。 しかしコンピューターで誘導される予定だった着陸地点が大きな岩だらけなのを発見したアームストロングはもっと平らな部分を探そうと、残り少ない燃料と重力の狭間で、半ば手動で着陸船を操縦し始めた。 着陸寸前に不気味な水平飛行を始めた着陸船に、今度は管制室のスタッフが度肝を抜かれる番だった。 着陸地点に6マイルの誤差が生じると、計画は自動的に中止になる。 軌道修正されたディスプレイの誤差修正の表示は4マイル。 シュミレーションではとっくに着陸しているはずの時間・・・・
 
 
「こちら静かの海。 鷲(イーグル)は舞い降りた。」
 
 
着陸なんとか成功。 この通信をした時点で燃料はあと10秒分。 アームストロングの心拍数は冷静な声とは裏腹に150まで上がっていた。
 
 
 
私たちがよく目にする月面に立つ宇宙飛行士の写真は殆どすべてがファーストマン、アームストロングではなく、セカンドマン、オルドリンの姿だ。 それほど視覚的要素やメディアを重要視していなかった60年代、ましてや理系や軍人ばかりの組織で、写真とか映像に残すという今だったら大衆(納税者)へのアピールの為に最優先だと思われることがいちばん後回しになってしまい、宇宙飛行士のみなさん忙しいスケジュールの合間に写真撮れたら撮ってちょうだいね、って感じに急遽なったらしい。 とにかくやることはいっぱいあるし、この特殊なカメラの操作にもあまり慣れてなかったし、第一ファインダーを覗いて撮るわけじゃなくて胸に下げたカメラで適当にあたりを付けて撮る、って感じだった。 それでもアームストロングは結構マメにシャッターを切り、被写体であるオルドリンをきちんと真ん中におさめているものが多い。 それにひきかえオルドリンが月面でアームストロングを撮った写真はたったの2枚。 しかも一枚は遠景の端に全身の写ったもの、もう一枚は左下方に背中にしょったタンクと右足しか映ってないというトホホ状態・・・ちょっと凹む。
 
 
 
とかく大衆は人類初の月面着陸にドラマチックなものを期待しがちだったけれど、技術者や軍人ばかりの当事者たちの会話は、感情とは距離を置き、なるべく事実を客観的に手短に曖昧さをさけて伝えようとするあまり、専門用語の単語の羅列になってしまい、一般人には無味乾燥でわけのわからないものになっていた。 派手派手の冒険野郎然としていた初期宇宙計画のマーキュリー7に比べ、アポロ11のクルーたちはいつでも沈着冷静、寡黙で英雄然とすることをよしとしない人たちだった。 そのせいもあってなんだかアポロ計画っておもしろくな~いって納税者たちから思われ始め、アポロ計画は17号をもって終了する。 
 
 

でもそういう英雄然としない、必要なことしかしゃべらない、曖昧さや非現実的なものを嫌う魂は、時として忘れられないほど簡潔で美しい言葉を発するものなのだ。
 
 

That’s one small step for a man, the one giant leap for mankind.


 

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・・・・CA390147-0001.jpgボールペンなら山のようにある。

メーカー主催の講習会にいくと必ず一本もらえるし、問屋さんとかも自分ちの扱ってる薬の販促グッズとして付箋やメモ用紙の次くらいに多くくれる。
うちの薬歴は手書きなのでそれこそ一日中字を書いているような仕事。 だからインクの消費量も半端じゃないのでボールペンは本来いくらもらっても有難いはずなのだけど・・・

ゲルインクのペンが一本もない。

筆圧のないへろへろ字を書く私はボールペンで書くと変な字が一層変に見えるし疲れるし書くのに時間がかかってアイデアのほうが先に逃げていきそうなのでもっぱらゲルインクペン0.5mmノック式をプライベートで愛用している。 もちろん、仕事の時もゲルインクペンのほうが気持ちがいいからそっちを使いたいのに。

・・・・で、結局自前でまとめ買いする羽目に。

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空調!!
とにかくまともにエアコンの風があたる場所は避けたい。冷房は勿論、なぜか暖房であってもエアコンの風って何枚重ね着していっても寒いという状況に陥ってしまう。そのうえ全身から水分が抜けてアンデスのミイラみたいに干からびていくような感じ。もうなんだか我慢比べみたいな状況になってとてもくつろぐどころの話じゃない。
 

大きなテーブル。
 
本たち、ノート、筆記用具、携帯、ipod、電子辞書、ときにラップトップも持ち込んで作業するのでこれらを広げた上にオーダーしたものが余裕で脇におけるくらいの。
 
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端っこめの席。
お願いだからカウンター席に連れて行かないで大戸屋様~。
 

少なくとも深夜1時まで営業・・・願わくば24hrs。
深夜のほうがくつろげるのは何故だろう?
 

メニューの組み合わせや量の自己調節によってタンパク質1、野菜1.5~2、炭水化物0.5~1の割合でオーダーすることが可能。
炭水化物ばっかとか肉ばっかとか野菜ばっかって食事するといつまでたっても食事したという満足感が得られない。
 

ねぎ&たまねぎの入ってないor抜いてもらえるor除けやすいメニューがある。
・・・・もうお馴染みですね。
 

あんまりクリーム系じゃないスイーツがある。
あんことかゼラチンとかカスタードとか粉もの系。アイスとかムースとか生クリーム系じゃなくて。
 

ドリンクバーがある。メロンソーダ必須。
願わくばホットミルクティーを作ることができる。更に欲を言えば人工甘味料が用意してある・・・恐ろしいことに自然の甘味よりサッカリンとかパルスイートの甘さのほうが好き。ドリンクバーじゃないとひっきりなしに水いかがですかとかコーヒーお代わりいかがですかとか聞いてくるので煩わしい。かと思うとこんなにお代わりほしいのにいつまでたっても聞きにこなかったりする。
 
 


あれがあればこれがない、といった感じでなかなか全部の条件を満たすファミレスっていうのはない。仕方ないのでその時の自分の気分がつける優先順位に従って場所決める、みたいな。せっかくかなりの条件がそろった時に限って次のスケジュールがあるので早く退散しなきゃいけなかったり、肝心なものを忘れてきてしまっていたり、となりに泣き叫ぶ子供とか声の大きいやつとか座ってたりするんだよね・・・やかましくてもヤンキー的な話や若い衆の他愛のない話、理系や技術屋さんの話、特殊業界話とかには思わず聞き耳をたててしまう。 反対に我慢できないのは渡鬼的な話とティーン向けラジオのDJみたいな人生論と文系インテリ話。

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CA390102-0001.jpgどういう訳かスーパーやコンビニや自動販売機ではいわゆる「クリームソーダ」という黄緑色のボヤけた味のやつしか売ってない。 でもあれじゃあダメなのさ・・・で、ファミレスのドリンクバーオーダーするや否やとりあえずメロンソーダ。 コーラじゃなくてメロンソーダ。 舌カエル色。 これでなくちゃ。


1872年、日本初の調剤薬局として創業した資生堂は、アメリカのそれを完全に模していたためアメリカの薬局につきもののソーダファウンテンも店内に設置した。(炭酸水は昔は立派な健胃薬だった)これが今の資生堂パーラーの前身で、ここで売られたのが日本で初めてのソーダ水。 シロップの味は当初はレモンとオレンジだったらしい。 オレンジ味のソーダって飲んだことない・・・あ、でもふと思ったがファンタオレンジと変わんないのか・・・一時イチゴ味のシロップが流行ったけど、今ピンククリームソーダ出してるとこってあるんだろうか?・・・子供の頃は大丸のファミリー食堂でホットケーキとピンククリームソーダをオーダーしてもらうのが夢だったんだけどな・・・・(食べきれないことは自明だったので却下され通しで結局実現しなかった)


考えてみればコカコーラもペプシもドクターペッパーもカナダドライもラムネもみんな薬剤師が発明したんだった。 アスピリンなんかのベーシックな薬効成分の分離合成(現在では市井の薬剤師が薬を調合したり開発することは殆どない)、そしてマッチ・・・化学屋の意味合いが強かった昔の薬剤師さんは発明や発見が結構得意だった。・・・本当に意味のあることなのか半信半疑ながらやっと医薬分業を定着させてきた日本の薬剤師は、他の医療従事者の狭間に立って自らの存在意義をあまり見いだせないままそれでもなんとか「医療従事者」としての側面を強調することで現在の薬価差益による利潤のほとんどない、どんどん法律による締め上げのきつくなる業界を生き延びようとしてきた。 けどほんと私なんかも毎日自問自答してるわけさ・・・いらないんじゃないの薬剤師なんて?・・・この前昔から医薬分業が伝統のスイスでFIPがあってT-1号(注:薬剤師仲間。 一卵性三つ子の長男さんなのでこう呼んでいる)が薬局を見学して帰ってきた。 昔から医薬分業が当たり前のところなのに、日本のような服薬指導とか相談とかそういったことを全くやってないんだそうな・・・かの地の薬剤師は。 じゃあ何で利潤を得ているかというと薬価差益。 そしてもうひとつキーポイントとなる情報があった。
「これも伝統らしいんだけど、地下に定性とか定量分析のできる結構立派な施設持ってるんですよ。」
この話をおーめん(注:MIKA父)にしたところ、
「そういえば名探偵ポアロとか見とると捜査の過程で何か分析してほしいものがあるとポアロはみんな薬局で調べてもらっとったなあ。」
薬剤師にはそういう能力があると伝統的に見られているわけだ・・・・よくおーめんは薬学生の時、自分の大学は全く薬理学(薬がどういう仕組みで体に作用するのかを教える学科)を教えてくれずに化学分析や合成ばっかりやらされていたとぶーぶー言っていたが結構歴史のある彼の出身校はもしかしたら西洋のこの伝統を重要視していたのかもしれない。 ってなことをおーめんに言ってみたらぱあっと霧が晴れたような表情になった。 わかりやすい人だ。 

そうかあ・・・これからの薬剤師は化学の便利屋として生きるのがいちばんいいかもしれないなあ・・・しかしここでハタと気づく・・・・定量も定性も成績はぼろぼろだったことに。

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