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思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活

   
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たとえば某A美術館に魯山人展とか見に行くと必ず、こがなんだったらうちにもあるでーとか、なんぼぐらいするだらーかとか、なんで掛け軸に犬っちゃーなもん描くだいやーとか、反対に、コレ魯山人だからって名前だけでこんなに見に来る人多いんだろうけどさ、そんな価値ないと思うよ(じゃあなんで彼女連れてあんた見に来てんのさ?あ、その発言を彼女に聞かせたくてか!)なんかもうお約束な感じのコメントを発するひとが多くてゲンナリするし、いにしえの時代の有名な芸術家の有名な絵がやってくる、的な展覧会も、これ、この画家のタッチがわたくし大好きなの(あんたの好みなんか誰も聞いてないし)、とかこの時代の芸術の特徴はね(知ってるから見に来てるんだよ)、とか、えせスノビッシュなコメントを発する人が多くてゲンナリする。 だけど20世紀以降の現代美術は、まあ観光感覚で入る人の多い21世紀美術館はお約束的な反応をするひと(なんでこれが芸術なんだよくわからん!的な)が比較的多いかもしれないが、大抵は静かに、思い思いに作品を鑑賞して楽しむ人が多く、そしてファッションも独創的だったりセンスが良かったりで、その展覧会自体の雰囲気が楽しめて好きだ。ミロ展しかり、ポロック展しかり、原美術館しかり、MOMAしかり、ポンピドゥーしかり、今回訪れた直島は地中美術館しかり・・・


直島へフェリーで渡るために車で宇野港へ。直島(風戸行き)と書かれた乗り場に、ゴミ運搬車と思しきダーティーな車が2台と、大阪ナンバーの乗用車が既に列を作っていた。列の後ろに車をつけて、切符売り場にいくと、日曜と祝日は運休と書いてある。そんな書き入れ時に休むとは面妖な、と訝しがりながらも、幸いその日は土曜日だったのでラッキーとか思いながら、恐ろしく無愛想でケンカ腰なおばちゃん(もしかして年下かもしれんが)から切符をゲットして車にもどり、フェリーがやってくるのを待った。


やがてフェリーが接岸し、中からはタンクローリーばかりが3台降りてきた。その後乗船。大抵、安全の為に車を停車させた後は絶対に車から出てデッキに上がらされるのが普通と思うのだが、なぜか乗船したどの車からも誰も降りてこない。どうしていいかわからずとりあえず誰かが降りるまでは車に乗っていることにする。やがて出発時刻になり、ゲートが閉じられるが、その後、何分か経っている筈なのに船が動かない。何かあって出発が遅れているのかなと待つも、5分、10分と経っても一向に動く気配がないし、誰も車から降りてこない。いったいどうしたんだー!とパニクりかけたらようやく前方の閉じたデッキと天井の間から、動く岸壁の岩が見えだした。ああ、やっと出発したのか・・ん?だけど待てよ・・・なんか、なんか、この景色の見え方って・・・


「ひょっとしてこれ直島着いたってやつ?」


・・・いったいいつ出港したんだろう?全く揺れないし、その日は雨の降る灰色の空だったので隙間から見える景色が全く変わらず、直島の岸壁が近づいて動く景色が見えるまでフェリーが動いているという感覚がまるでなかった・・・・呆然としたまま船は直島の風戸港に到着、前に止まっていたゴミ運搬車が動き出す。その途端、


ぎえーっ!!


荷台の隙間から大量の茶色い汚水が流れ出し、後続車はもろにそれを浴びてしまう。なんということだああああと半ばパニクりながら港に出てすぐの道路の両脇が巨大な濃硫酸のタンク群って・・・


・・・さすが元ゴミの島、そして現代アートの聖地・・・パねえぜ直島! 最近人気な観光地と言われる割にこの、観光客にケンカ売ってるとしか思えないようなシュールな出だしっていったい・・・


その後判明したのだが、直島にはフェリーの発着港がいくつかあり、観光客が利用するのは宮浦という、お土産屋やカフェなどのあるガラス張りの広い乗り場のある港の方で、当然日曜祝日もばんばんフェリーは発着、フェリーは車から降りてデッキに上がるタイプのものだった。風戸港の方はというと主に産業用、とのこと・・・orz

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ひょんなことから有馬温泉に一泊することに。

まあ有名だし歴史が長そうだな、っていうくらいの予備知識で行ってみた。



いきなり川床はこの賑わい。大勢の温泉客が川床のお座敷ですき焼きをつまんだり、かき氷やアルコールを楽しんだりしている。ステージでは芸者さんの舞い。3人のうちこの人がいちばん綺麗で色っぽかったな。





これが泊まった宿、というわけではなくて、私の泊まった所や先の広い川床を含めた比較的新しく拓けた温泉街の一番川上にある宿。一階には和洋折衷の瀟洒な待合とバーとステーキレストラン。左に停まっている車は送迎に使っていると思しき相当古い国産車、そして前庭には車を方向転換させるターンテーブルが。

そしてこの辺りから先が、曲がりくねった傾斜のある細い路地が複雑に絡み合った、古くからの温泉街になる。





有馬温泉には濁った金の湯と透明な銀の湯があって、道後温泉のように古くからの大きな公共浴場がそれぞれにある。ただし建物は道後と違って新しい。私的には金の湯の方が湯当たりが良くて好き。



金の湯の外側には秀吉も飲んでいた湯呑み場がある。しかし、その味はまるで断水直後の水道水のよう。





ラビリンスのような旧温泉街の、民家に囲まれた人ん家の裏庭のような場所にある源泉。



旧温泉街を散策中に見つけた、千と千尋の湯屋みたいなお宿。古いけれども、老舗の蕎麦屋のようにキチンとこざっぱりと整えられた様子が玄関先でだけでも伺える。三和土におかれた甕に生けられたユリの姿に見入っていると、丁度、紺の細い縦縞に裾に紫桃色の花を散らしたジャストサイズの品のいい浴衣を着て、手には詰まった編みの籐籠をもった、泊まり客らしい2人の女性が入っていった。この宿の写真をフェイスブックに載せたところ、すかさず友達から、花小宿に泊まったんですかいいなーというコメントが返ってきた。どうも女子憧れの宿らしい。





行った時間が遅かったので営業中ではなかったけど、古くからのモノを古いやり方のまま売る店と、和風モダンにリノベした店が混在していた。参道やら街並み保存地区やら温泉街やら、近頃やたらとあちこちで流行りの和風モダンではあるが、この下の写真のカフェにはちょっと他とは一線を画した大人なクールさがある。さすが神戸のお膝下。他にも海外アウトドアメーカーのショップとか、蔦の生い茂った白い壁と大きなガラス窓が印象的な70年代ぽいカフェとか、ドイツ料理の店なんかもあった。



泊まったのは、以前は簡保の宿だったという、いかにもそれらしい建物だったが、料理が意外と美味しかった。昆布出汁が品よく効いたみぞれ餡のかかった煮物とか、赤出汁のお味噌汁、そして神戸牛の美味しかったことといったら!



たったこれだけの量だったのが悲しいけど・・orz

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3連休に手ごろな値段で金沢市街でも絶好のロケーションにあるホテルの予約が取れていたし、他の週末も夏はスケジュールが詰まっていて今更日程は変えられない。まあ旅行予定日は真夏も真夏、いくら日本海側といえども台風さえ来なければ晴れの確率の方が断然高そうだ。ツーリングを週末に控えていたその週の初めは、折しも日本各地で記録的な猛暑の日々が続いており、その週いっぱいはこんなドピーカンの猛暑が続くでありましょうやーとどの天気予報も言っていたハズ、なのに・・


「雨だで。」
「えっ?」
「天気予報が土曜から雨だって言っとったで。」
「うそっ?!」
そんなハズないだろ!と天気予報を見てみれば、信じられんことにどの予報士も口裏を揃えて北陸地方は土、日、月と雷を伴った強い雨が降り、降水確率は50~60%だと言っている。それで天気が回復するのは火曜日から、って…orz


職場の人も家族も全員、バイクで行くのはやめた方がいいんじゃないかと口をそろえて言う。私だってそんな雷鳴轟く一寸先も見えないような豪雨のハイウエイなんかバイクで走ると考えただけで足がすくむ。だけど50~60%って中途半端だ。これが80%以上なら車で行こうかと諦めもつくというもんなんだろうか。いや、しかし、車で行くっていうのもなんだかなあ・・・思えば去年からこのツーリングを計画してとても楽しみにしていた私・・いくら行先が前から行きたかった金沢であっても、車で行くのは全く意味がないとさえ思えてくる。


とりあえず前日にバイク屋さんへバイクを取りに行く。職場の人や家族から散々考え直した方がいいのではと言われ続け、私もかなり思案し始めていたのだが、バイク屋さんへ行ったとき、何の不自然もなくバイクが用意してあり、じゃあ気を付けて行ってらっしゃいとその場にいた皆からすっ、と送り出された。あれ?それはつまり、このくらいの雨の予報だったなら、ツーリングを中止するべきだという考えはバイク乗りさんたちの頭の中にはじぇんじぇんないってことなのか・・・?


さて、当日。YAHOO天気予報を開いてみる。敦賀は相変わらず50-60%で雨時々曇り。でも現地の人のレポートを見ると、雨よりも曇りと言ってる人の方が多い。断続的に降るんじゃなくて時々止んだりする程度の雨ってことなのかなあ・・


ええい!


取りあえず雨具を積み、バイクで出発。


9号線はところどころポツポツと降ったり止んだりしていたが、福知山市に入ってからガンガンに晴れてきた。よっしゃーと安心したのもつかのま、今度は温度が上がり過ぎて脚の内側をヤケド、そしてナビがわりにハンドルに取り付けていたiphoneは高温で使用不能状態に。


舞鶴若狭自動車道にたどりつき、カバーのファスナーを開けて走りながら冷やしていたiphoneも機能復帰。やれやれ、とりあえず金沢市街地に入るまではお気楽ひとりツーリングが満喫できるかな、と思った矢先・・


・・うそっ⁈


なんかトンネルの先が白くけぶってるなあと思っていたら、トンネル抜けたらいきなり雷鳴轟く豪雨だった。路肩のない二車線の高架上では成す術なく、ほとんど何も見えない状態のまま、ひたすら最寄りのICまで祈るような気持ちで走り続ける。


ICを降りて暫く走っていたらようやく雨が止んできた。道の駅でブーツに溜まった雨水を捨て、体制を立て直して出発。この27号線を走っている時に実は仕事中のninja氏と何処かですれ違っていたらしいことが後に判明。が、その時はお互い気付かず。



あーこれだから夏って好きだよー*\(^o^)/* 。全身ぐしょぐしょのままで走り続けていたらいつの間にかすっかり乾いていた。仁くん(注:MIKAバイクの名)も雨に洗われてピッカピカだ。3連休だというのに交通量が少ない北陸道をマイペースで走り続け、金沢西インターで降りる。またもやナビにローカルな細道に連れていかれ、いきなりの武家屋敷街をおっかなびっくりバタ足で通り抜けながらなんとかホテルに到着( ;´Д`)。




夜の金沢を満喫後、爆睡。明け方、雷鳴と激しい雨音に起こされる。天気が安定していれば能登半島にでもと思っていたが、今日も予報は不安定。徒歩で市街を観光することに。






幸い、激しい雨も降らす、強烈な日差しもない曇り空の元、市内観光を満喫。実際は、21世紀美術館があまりに面白くて、その中で日中ほとんどを過ごしてしまう。昼兼晩ごはんも中で食べたし、中にある図書館でDVDまで2本も観てしまった( ;´Д`)。館内で唯一写真撮影可の「アート作品」、スイミングプールの上からと下から撮影してみた。







その夜も再び雨。


最終日、鳥取は豪雨警報が出ていたが、北陸地方は一日中晴れの予報。早朝のうちに兼六園を散策後、帰路へつく。鳥取に着く頃には豪雨警報も解除されていた。





果たして雨女なのかそうではないのか、判断に困る感じだけど、少なくともこれだけは言える。バイクで旅するのって色々心配ごとはあるけど何故だか身震いするほど気持ちがいい。但し、私の場合気温26度以上の夏に限るんだけどね・・。

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松浦弥太郎という編集者兼古本屋兼エッセイストがいる。その考えのすべてに共感している訳ではないが、それでも同い年、断舎利型人間、本好き、アメリカンカルチャー好きというところに何となく親近感があって彼のエッセイを斜め読み。そのエッセイに、感性が鈍った時に自分がよく訪れるようにしている、と書いてあった3つの小規模な美術館。彼はそれらを訪れる度に感性を磨かれ、何かしらのヒントを得ることができるという。3つのうち庭園美術館は若い頃行った事がある。後の2つ、根津美術館はイメージ的に成金オヤジが価値も分からないままに専門家の言うとおりにコレクションしただけ、みたいなテイストもへったくれもないノリかなと思いこんでいて、今まで行こうと思ったことがなかった。原美術館の方は若い頃よくオリーブとかアンアンの有名スタイリストさんたちの行きつけの場所として紹介されていたなあという記憶がある。(話は脱線するが、今のアンアンはほとんど一般女子週刊誌的なノリになってしまってあの頃のトガリ気味な面影は全くなく、オリーブも10年前くらい前に廃刊になっているが、今マガジンハウスから出ているGinzaという雑誌は驚くほどあの頃のテイストを踏襲している。しかも大人の女になった元オリーブ少女、といった佇まいで、私の様な往年の読者にはちょっと感涙モノ。あの頃の有名スタイリストさんたちがこぞってこの雑誌に関わっているので当たり前といえば当たり前なのだが・・・)まだこんなにカフェが乱立する以前の80年代、こんなレトロな西洋風の白いタイル張りの建物の、芝生の敷き詰められた中庭に面した館内カフェでワインやコーヒーを飲むのはとびぬけて粋なことのように思われていた時代だった。当時の私にははっきり言って敷居がちょっと高かった。


地下鉄表参道駅を出て、高級ブランドの旗艦店やスタイリッシュな店も並ぶが、基本、瀟洒な住宅地である骨董通りを南下、その突き当りに根津美術館がある。私が訪れた日は、萩にある秀逸な陶磁器のコレクションで有名な美術館から貸与されたものを見せてくれていた。











・・・すごいね。いろんな美のタネをもらった。



たとえばこのアーチストでもなんでもない、いち職人作の素焼きの像の、表面の肌合いと色、背負っている農具や鞍や車輪など付属物の絶妙な造形と大きさ・・・押し付けがましさのない、さらりとして、それでいながら見る者の感覚のゆらぎを反映させるように刻々と移ろいながら浮かび上がってくる微妙で奥の深い美しさ。なんて品が良いんだろう。しばらくこの前で動くことができなかった。この写真では残念ながらあまり伝わらないんだけれど。



この美術館は常設コレクションの青銅器でも有名。この斬新な造形の青銅器たちが、なんと紀元前13世紀に作られたものだとは!!今まで縄文の火焔土器の造形がぶっちぎりNo.1だと思っていたけれど、これも凄い。この展示室はかなり暗く照明が落としてあり、そこに下からライトを当てられて浮かび上がる、青銅製の、巨大な、使用意図まったく不明の造形群。まるで未来の宇宙人がタイムマシン付きUFOで突然やって来て作るだけ作ってすぐ帰ってっちゃいましたヨ、みたいなノリがある。









お庭。某S県の某A美術館の庭との違いは推して知るべし。小雨が降った後ということも相まって素晴らしい散策の時を過ごさせていただいた。


この基本閑静な住宅街の骨董通りには、有名ブランドの旗艦店もいくつか立っているのだが、そのうちのひとつ、プラダの最上階で映画「華麗なるギャッツビー」の衣装店が開かれていたのでそこへも行ってみた。











はい次。JR品川駅中央口を出てすぐ左折。そのまま道なりに歩いて三菱関東閣の門を過ぎたらすぐの交差点を左折すると、原美術館が見えてくる。



この日やっていたのは、海を見たことがないトルコ人が初めて海を見たときの様子をフィルムに収めた作品群、それと、トルコのスラム街に生きる視覚障害者たちに、どうして目が見えなくなってしまったのか、そして、最後に見たのは何だったかをインタビューして、写真とともに展示した作品。


世の中には哀しく残酷にもかかわらずどこかに詩的な部分を持った出来事があちこちに転がっている。そこからストーリーが、物語が立ち上がってくる。これを、無意味だとか甘っちょろいとか世の中にはこれよりもっと残酷なことがあるんだぞと思う人は大勢いるだろうけれど、良かれ悪しかれどうも私は現実問題よりもそこから立ち上がってくるイメージや物語により重点を置いてしまうタイプのようで・・。


さて今回の上京の主要目的はBORISの土日2DAYSライブ。ライブがあるのは渋谷から出ている井の頭線の下北沢の次の新代田という駅の前。これだけ聞くと都会のように聞こえるが、実際行ってビックリ、カフェはおろかファストフードも喫茶店も駅前の通りに一軒もない。かろうじて巨大な売り上げ多そうなコンビニが一件。ただただ人口だけがべらぼうに多そうな町だった。ライブのほうは、凄かったよ。久々燃えた。モッシュの嵐でこんな映像しか撮れんかった。



有給をとった月曜日はウイークデーということで、日本銀行見学を、休みを合わせてとってくれたMIKA妹と申し込む。なかなか興味深かったのでウイークデーに上京する機会があれば行って見られることをお勧め。ただし写真撮影は中庭のみ。そこにある、昔、馬に乗ってやって来ていた顧客のための、馬の水飲み場と一緒に記念撮影。



その後妹に叱られる。小さい木のラベルが見えますでしょ?それに「お手をふれないでください」と書いてあったのに気付かず思いっきり抱きついていたから。場所が日本橋三越の隣だったので帰りに三越に寄ってより取り見取りの旬でハイソなカフェの中からハロッズを選んで英国式アフタヌーンティータイム。バタースポンジケーキを半分に切ってジャムを挟んだだけのシンプルなヴィクトリアンケーキが美味しかった。



その他今回の上京ではZARAで服2点、MOTORIMODAでメッシュのライダースジャケットをゲット。なかなかに充実した3日間だった。


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今回初めてiphoneをバイクに取り付けてナビとして使ってみたけと、車で使った時には思いもよらなかった問題点をいろいろ発見。


1.昼日中では画面がブラックアウトしてしまう。明るさ最大にしてかろうじて見える程度。

2.音声ガイドは停止している時でないと最大にしても聞こえない。

3.カバーの上からグローブをはめた状態では操作不能。カバーから出すかグローブを外すかしないとダメ。

4.肝心の福知山市内から舞鶴若狭自動車道へのガイドが要る時になって高温危険のサインが出て使用不能状態に。上部ファスナーを半分開けて高速をしばらく走ったらやっとサインが消えた。

5.ずっとナビを使用状態にしているのだから、節電モードにならなくてもよいはずだと思っていたのだが、なにかの拍子に節電モードになってしまう。一旦節電モードになってしまうと、下部ボタンを押す→スライドロックを外す→ナビのアプリ立ち上げ→目的地をもう一度入力、という操作をしないとナビが再開しない時がある。


みなさまよいお知恵を授けたまえ〜m(__)m


こうやって整理して書いてて気がついた。自動オフしないという設定にすればいいのか…そうすれば途中で操作する必要が減るから3.も問題でなくなるかな…

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夜、英会話が終わって友達としゃべりながら駐車場に止めてある車の所まで行き、運転席のドアを開けたら人がいた。


ぎゃーと叫んで飛び退いたが、よく見たら他人のラパンだった…orz。ワシも驚いたが、運転席の人もこれ以上開かん程まん丸に目を見開いてフリーズしていた。

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街で見かけたバイクたち。







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誘われた時にはあんまり乗り気のしなかった対ガンバ戦だったけど、結果なんと引き分け、しかも後半半分まではリードしていたという夢のような展開。私たちみたいに大阪近辺で遊びながら観戦というサポが多かったし、あと関西はもちろん、関東に住むサポ達もかなりの数やって来てくれていて、アウェイのゴル裏はいまだかつてない密集度(by団長&副団長)。平面的なバードスタジアムのゴル裏席とは違って、孤を描いた構造になっているので音の密集度もいや増し、勝ったに近い引き分けに大いに盛り上がったエキスポスタアウェイゴル裏だった。一部のコアサポさんの間では、MIKAがゴル裏で観戦する試合は縁起がいいというジンクスがあるとかないとか。こうなったら8月にホームである対ガンバ戦も応援したいところだが・・・


怖い。


なんとその8月のホーム対ガンバ戦のロイヤルA席が既に完売したというのだ。これが何を意味するのかといえば、アウェイ席はおろかそのほかの席も埋め尽くす勢いでガンバサポがリベンジに大挙押し寄せて来るということで・・・ 


怖すぎる。


ホームゴル裏からあんなに離れたアウェイゴル裏にいてさえ、ガンバサポの応援はまるでドラクエのラスボスが100人集結して地団太踏んで吼えてるみたいに聞こえてくる。そして格下も格下相手に引き分けという結果に当然満足していないサポたちは、試合終了から選手たちがゴル裏にあいさつに来るまでの5分ほどの間、沈黙したまま誰一人その場を立ち去ろうとしない。その頭上にはどす黒い煙幕のようなオーラが立ち込めているのが目に見えるよう。そして選手たちはサポ達の前へ。中心と右側のサポはとりあえず拍手で健闘をたたえていたのに対し左側のサポからは耳をふさぎたくなるような怒号と罵声が挙がる。


なんか応援の中心線がアウエィ側から見て左側にずれてるようなのは気のせい? 野太い声も怒涛のドラムも統制のとれた一分の隙もないクラップも全部左三分の一の方からより強烈に聞こえてくるような気がする。
聞けば以前、コアで体育会系のサポとミーハーサポの間で対立がおこり、別々のチャントを歌いだしお互いを妨害するなどして応援も全く統制が取れなくなり、やむなくクラブ運営スタッフが仲裁に入ったと、大阪出身で鳥取に嫁に来たガイナーレサポ友が解説してくれた。さすればこの中心線の偏りはその時の名残なのか。このサポ友によれば試合前から相当に酒臭いガンバサポも少なくないそうで、試合状況によっては8月のバードスタジアムもかなり荒れそうな雰囲気。ガードマン2人も立ってたしなあゴル裏前・・・


折角大阪まで来たんだし連休だしということでその夜はお泊り。一泊6000円の江坂にあるビジネスホテルなんだけど、部屋はベッドでスペースがいっぱいの狭さ。スイッチ一つでベッドが上下に可動して、上に上げておけば広く使える、という仕組みになっている。ベッドに乗ったまま稼働させてみたい衝動に駆られたが、スイッチに手が届かなくなってベッドと天井に挟まれて圧死、なんてことになったらヤバすぎるので、やむなくやめておく。






次の日は山崎のサントリーの工場見学へ。通常なら当日受付で見学できるらしいのだが、さすがに連休中は予約だけで定員オーバーの為内部見学はできなかった。それでもとりあえずミュージアム、売店、試飲バー(有料)は利用できる。ウイスキーなんてほとんど飲んだことがなかったけど、こうして並べて味見してみると原料や作成年度の違いもあるだろうけど特に熟成樽の味への影響って強いんだなあって思う。そしてもちろん、ブレンドの方が単味よりも美味しいっていうのはコーヒーの例を挙げるまでもない。






その後山崎駅を挟んで反対側にある山荘美術館へ。残念ながら内部撮影禁止。趣味の良い大金持ちが昭和初期に建てた山荘は、足るを知る、といった風情。明治大正の切羽詰まったような洋風化住宅に比べもう少し遊びというか余裕があって、民藝運動の影響が随所に見られるのも特徴。ちょうど新緑だったのでお庭が綺麗だったし、2階の喫茶室もクラシカルでコーヒーもワインケーキも美味しかった。美術館のコレクションもモネの睡蓮や工芸品など数が少ないながらもよいものが見れた。 




行き当たりばったりだったけど、結果は充実してしまった、そんな2日間だった。



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その土地のスーパーマーケットとドラッグストアを訪ねるのはちょっとした楽しみ。そりゃあ20年前に比べたら、日本にいてもさほど大差のない品物がリアルタイムで店頭に並ぶようになったとはいえ、それでも世界一の農業大国かつ消費大国アメリカの、そのスケールの大きさと一アイテムごとのその選択肢の多さには毎回驚かされるやらうんざりするやら・・・







遠目に見るとなんだか肥料とかおがくずとか土とか、ホームセンターの資材売ってるような雰囲気だが、これは、シリアル、乾燥パスタ、ナッツ、ドライフルーツ、スパイスの売り場。スコップで掬ったり大きなビニール袋にどどどーとそれこそ肥料のように詰めて買う。




サラダバー。 何を取ったかは全く関係なくひたすら重さ売り。 葉野菜の種類と、ソテーやマリネしたキノコ類や豆類や温野菜の種類が多いのが毎日利用しても飽きが来なさそうでうらやましい。



暖炉用の薪売り場。




レジカウンターと出入り口の間に置いてある、買ったけど要らないから飢えてる人にあげちゃってくださいっていう物を投げ入れるドラム缶。



これは病気未満、ケミカルなクスリを飲む以前の段階で体の不調を治したい人のための、ホメオパシー用のエリキシルと思われ。 アロマテラピー以上、漢方未満、といったところか。 それにしてもこの種類の多さ・・・まあ漢方もその複雑さでは引けをとっていないかも。この後ろには売薬、ビタミン、ダイエット補助食品などの棚が延々と続いている。



バーベキューにはカセットコンロではなくプロパンガスボンベ。



なぜか一つのスーパー内に似たような品ぞろえで同じような規模の野菜売り場が2か所ある。 これは有機野菜売り場とそうでない野菜売り場があるからで、西海岸とか東海岸のスーパーでは結構それが普通らしい。 このスーパーの近くにはさらに有機野菜のみ扱うオーガニックスーパー、TRAIDER JOE'S があるのだが、色の洪水のような通常のスーパーの後では店内はまるで盆栽屋のように地味に見えてしまう。



セグウェイツアー終了後、バークレーでY嬢の先輩、Hさんと合流、スーパーでお惣菜を買って帰り、お宅でディナー。 メニューはサラダバーの野菜と、ミートローフと、そして・・・



「今日はぜひともおふたりにこれを食べていただきたくて・・・サンフランシスコ名物のクラムチャウダー買ってきたんです!!」


クラムチャウダーとはあさりの入ったホワイトクリームシチュー。 ジャガイモやニンジンは入っていなくても、絶対に、絶対に、絶対にタマネギは入っている。 それも半端ない量のタマネギが・・・どんなにおくちを尖らせて吸い込んでみてもスプーンを器用に使ってみても避けようがない大きさと量のタマネギが・・・


苦手ということをHさんには打ち明けられないまま、少しでも冷めてしまうともうタマネギが鼻について食べられなくなってしまうと予想されるため、いただきますと同時にカップをつかんでクラムチャウダーを一気にかき込みぐい飲み・・・

っぷはーっ!!
「美味しかったでしょう?」
はい~っ!
「おかわりはいかがですか?」
「ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3」

こんなにも大量のタマネギを飲み下したのは、20才の時のデートランチで、なにものかわからずに気どって注文したキッシュという名の料理の正体が、フランス版タマネギの卵とじみたいな料理だったと解った瞬間以来だ。

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大まかなスケジュールを決めたらあとは行き当たりばったりというのがいつもの私の旅スタイルなのだけど、今回はコンサバ女子人生の王道を行くY嬢が旅の友。彼女は今回がアメリカ初上陸。彼女の先輩の家にもお世話になるし、なにより私より2日早くかえってしまう超弾丸ツアー。彼女が手配上手なこともあって最初の2日間は彼女の希望に沿った既成のオプショナルツアーを好きに手配してもらうことにした。


丸1日はサンフランシスコに一番近い国立公園―ヨセミテ観光に費やす、というのは双方の意見が一致。それを2日目にあてるとして、サンフランシスコに正午過ぎに着く1日目には、なんのツアーをとるか・・・彼女は4つのコースを提案してきた。

1.セグウェイで行くサンフランシスコ半日観光
2.サンフランシスコ近郊の飛行機工場見学
3.アルカトラズ島半日観光
4.ナパバレーのワイナリーとレストラン

残念ながら4はどう考えても時間が足りず除外。私的にはもちろん飛行機工場にものすごく惹かれるものがあった。しかし提案しながらもY嬢の心はすでに1に決まっている様子。


う~ん、セグウェイかあ・・・


亀みたいにノロそうな奇妙な形の乗り物に乗った日本人が集団で観光客でごったがえす街中を通り過ぎるのか・・・物笑いの種になりそうでマジで逃げ出したくなったが、Y嬢の決意は岩のようにカタかった。


よ、よし、覚悟決めたよ…>_<…


成田で会えず、飛行機の中でも別々の席(彼女はマイレージでビジネスクラス。私はエコノミークラス。フラットシートで爆睡だったY嬢に対し、私のシートはリクライニングが故障していて全く動かなかった。CAの「あ、ほんとだ壊れてますね」のひと言でこの件はあっさり終了・・・orz。)だった我々はやっと現地空港のバゲッジクレームで合流。

「えっ?Y嬢まさか荷物ってそれだけ?」
「えっ?そうですけど何か?」

・・・お、男らしい。断捨離シンプル指向な割に神経質なところのある私はなぜかやたら旅の荷物がデカくなってしまう傾向があるのだが、いつでもカチッとコンサバな彼女はさぞや荷物も多かろうと思いきや、なんと20cm×30cm×15cmほどのガーメントケースひとつでやって来た。まるでフーテンの寅さんみたいな旅支度だ・・・(後に判明したのだがY嬢はその入浴時間も驚くほど短い。お、男らしい・・・)


そのまま手配済みの送迎バンに乗ってセグウェイ観光の事務所のあるフィッシャーマンズワーフへ。




なんか賀露?って感じで一枚。 



サンフランシスコは大きな丸パンの中身をくりぬいて器にした中に注がれたクラムチャウダーが名物。(名物だけど食べてない。理由は・・・いつものアレです。)それを始めた元祖のお店がこのパン屋。




ウインドー越しに解説付きでパン作りの工程を見せてくれる。そのパンなんだけど、西洋のパンには大まかに分けてホールウイート、ホワイトブレッド、サワドゥーの三種類があって、サンフランシスコのパンはショッピングモールのフードコートに至るまでどこ行っても伝統的にサワドゥーが出てくるらしい。解説によると生地にヨーグルトを混ぜるそうで、じゃあ微かで爽やかな酸味なのかなと想像するとさにあらず。その酸味は・・・なぜか梅干しに近い。


さて覚悟を決めて行ったセグウェイだけど、ツアーは現地の業者で日本人は私たちだけ。6畳ほどの部屋で10分ほど簡単な乗り方の講習を受けた後、一人ひとり実際に乗って基本操作を確認、外の駐車場で5分ほど馴らしたあと、いきなり右車線の公道へデビュー。基本的に運転とかスノボとかその手のものが苦手だったことを今更思いだしたY嬢は言い出しっぺにもかかわらずここへきて大パニック。一方、乗り気じゃなかった私はと言えば・・・


・・・ハマりました。


なんか、想像していたよりスピード出るし、何よりその操作感覚がおもしろい。それに、道行く人たちは嘲笑というより面白そう!っていう羨望のまなざしで見てる。

こちらは動画
"http://www.youtube.com/embed/SddGYLLfsWo?rel=0"

Y嬢がとってもビデオ撮影が上手だったので、ついでにiphoneパスして撮ってもらったのがこれ。




・・・キマったぜ。 


しかしまたもやここで調子こきすぎた私は、この後桟橋で乗り回していて歩行者とぶつかりそうになり避けようとしてバランスを崩して大転倒。ストッパーになる段差がない限り止まらないセグウェイは無人のまま走り去り、桟橋のフェンス下の隙間にめり込んでやっと停止。 引っ張り出されたセグウェイは、上に出っ張っていた持ち手が90度曲がってしまった・・・orz(なおったけど。)





日中はセーターにダウンで物凄く暑かったんだけど、セグウェイで風切ってたらだんだん寒くなってきた。夕方海辺を走る時にはガタガタと凍える様な寒さ。なのに、もしや、あそこで泳いでるのは・・・アザラシじゃなくて人間⁈


どう見ても10代20代ではない、少なくとも40は越えてる感じ、しかも相当、水泳帽被って本気の泳ぎ。(◎_◎;)

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2度にわたる大阪ヘルプとひどい偏頭痛発作のために一か月以上図書館の本を延滞して、図書館から督促はがきが届いてしまった・・・それからまたさらに一週間。 何が何でも今日は返さなきゃと日曜の朝から計7冊のうち4冊の本を斜め読みを通り越して俯瞰読み、読み込んで付箋だらけになった残りの2冊の付箋部分を必死にノートに書き取り終わって返却に行き、目星をつけていた本をさっさと借りて図書館を出ようとして、ふと雑誌ラックに目がとまり、そこにあった「日本の豪邸建築」という見出しに魂を奪われ熟読してしまい、図書館を出たところでまた向かいの公文書館の「昔の鳥取」の写真展に吸い込まれ、結局、バイク屋さんに着いたのは2時過ぎ。


新聞広告で見かけて気になっていた、足立美術館の橋本関雪展(2009.09.05 孤高のサル参照)。 もうちょっと早めに鳥取を出発できてたらよかったのだが2時半近くとは微妙な時間だしまだちょっと寒いし何せ今日が今年のバイク初乗り。 行こうかどうしようか迷っているうちに無意識にバイクは山陰道を西へ向かってしまい、腹を決めて足立美術館へ向かう。


安来から多少迷ったけどなんとか閉館30分前にガチガチに凍えた状態で到着。
・・・やっぱり来てよかった。 色々インスピレーションもらったし。


そして、日本一と謳われる庭園へ。 何だか・・・凄まじいほどの完璧主義というか潔癖症というか・・・アリやコオロギやセミさえ立ち入り禁止の、枯れ落ち葉一枚すら落ちているのを許されない世界。(人間はもちろん立ち入り禁止。)日本庭園ではあるが、そこには侘び寂び的な感覚は微塵も存在せず、むしろ幾何学的に整えられた西洋式庭園的な雰囲気。 あまりにも完璧すぎてまるで絵空事にしか見えない空間が目の前にひろがっていた。







人は物の何に強く美を感じるのかといったら、私はその一部は不完全さにあると思う。 この庭園はとても志(こころざし)的には立派だが、それを美しい、アートだ、という感性は、私にはない。 極端な話、ゴルフ場とコンセプトが一緒だ。


それにしても・・・お手入れするのに一体何人、何時間、おいくらかかってるんだろう? 足立さんの職業って何⁇


歯の根も合わないほど冷え切りながらなんとか終業時間前にバイク屋さん到着。 店長、奥様、お待たせしてスミマセンでした m--m

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アメリカのカウンターカルチャーに興味がある人間だったら、サンフランシスコという街の名前はちょっと気になるはず。 50年代ビート二クス、60~70年代初頭のヒッピームーブメント、そしてゲイカルチャーの西の中心地・・・リベラルでいながらほどほどにインテリ、そんなイメージ。 ぜひ行きたいとは思わないまでも、行く機会があれば行ってみたいなと思っていたところに、英会話学校のパーティで知り合った同じ湯梨浜町出身、同じ高校出身(うちの母校、倉東の出身者って同窓生ってわかっただけでソッコー強固な仲間意識が生まれてしまう傾向がある。 愛校心バリバリなんだけど、出るところに出た時の絶対数が鳥西とかに比べると少ないからかなあ・・・)の大学職員Y嬢に、今度職場の先輩を訪ねてサンフランシスコに行くんですがよかったら一緒にどうですかと誘われた。





そんなわけで3年ぶりにご開帳となったスーツケースの中から、3年前の荷造りリストを書いた紙切れが出てきた。 そこにリストアップされていた、現地で友人と連絡を取るためのレンタル携帯、ビデオカメラ、カメラ、計算機、旅するための段取りや必要事項を記入したり旅先で思いついたことをメモするための小ぶりなノートブック、目ざまし時計、地図、ガイドブック、ipod・・・それらがなんと今回はiphoneひとつで済んでしまう。 凄すぎる・・・凄いことになっていると思いながら、しかしもしiphoneを失くしてしまったらとんでもなくえらいことになってしまう。 恐怖心はハンパないものだった。 無意識の行動が多くて何かに気を取られると別の何かを忘れてしまい、重要なものを落としたり失くしたり置き忘れたりすることしょっちゅうな私は、失くしてないかという恐怖心が旅の最初から最後まで消えず、いつもより多めの携帯品の為にいつもより大ぶりになってしまったバッグの中を絶えずかき回してはiphoneと財布がはいっているのを確かめることを繰り返していた。 





それでも一回危機があった。 つるつると滑る材質のiphoneを大体はバッグの中に入れていたのだが、すぐ取り出して写真を撮りやすいように、ナイロン製のダウンジャケットの縦開きの腰部ポケットに入れてヨセミテに行くバンの座席に座っていたら、いつの間にかするりとポケットから落ちていたらしい。 本人全く気付かず。 わかりにくい所に落ちていたにもかかわらず後ろの座席の人が運よく気付いて知らせてくれた。





料金の事は出発前に色々と脅されていたので、なるべく海外パケットは使わずにフリーWi-Fiだけでやっていこうと思っていたのだけど、Wi-Fiだと友人とLineで連絡取ろうとすると物凄いタイムラグが生じて使い物にならないのと、Gouglemapを使いたくても使えないので、結局海外パケットを利用している時間が予想以上に長かった。 結果4泊で2万円強・・・調子こいてGooglemap使いすぎた orz

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首相がオバマ大統領への手土産にするなんてどんなに美味いバターなんだ山田バター⁈ って果てしなく妄想が広がっていったのに・・・
ゴルフの道具?・・・なあんだ(-_-)

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なにこの不二家のポップキャンディみたいなの?と思ったら、天皇がお出ましになった時にその姿を隠す道具なんだって。っていうか大阪に遷都してた時期があったなんて知らなかった・・・スミマセン日本史オンチで( ;´Д`)でもヘアスタイルと全体の衣装の色のコーデがとってもポップだわ。

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只今、大阪の系列薬局に一週間泊り込みでヘルプに通い中。ユニバーサルシティ駅からUSJに続くシティのショップ街の端っこに薬局があるのでランチは毎日迷ってしまうほどの選択肢がある。しかし勤務時間は朝の10時から夜8時まで。なんやかんやで薬局を出るのが9時前。当然USJは開いてない。

しかし木曜日の営業は午後1時で終了。空き時間ができるとつい博物館とか美術館とかにふらふらと吸い込まれていってしまう習性ありのMIKA。まずは泊まっているホテルの向かいにあって気になっていた交通科学博物館へ。

別に鉄子というわけではないが大体乗り物とか科学技術系の展示には異様にテンション上がっちゃうんだよね・・・入るなりいきなりリニアモーターカーと初期型新幹線のツーショットとは*\(^o^)/*


京都駅のホームに入ってきた新幹線を初めて目の当たりにして、あまりの巨大さに恐怖のあまり思わず後ずさった6歳の時の記憶が甦った。あの頃長距離列車の旅行というと、デパートに行く時と同じくらい昼間における正装をしていったもので、私も当然のごとく一張羅のワンピースを着せられていた。ところがこの時の新幹線の中で、ジーパンにジージャン、サングラスとチューリップハットの若い「アベック」に遭遇。旅行にあんな格好を・・・と子供心に衝撃的だった。



イギリスから輸入した上の1800型に較べて下のアメリカ産7100型義経号のハデなことハデなこと。シェイクスピアとハリウッド、ハリポタとディズニーくらい感性が違う。スカート状のバンパーも金色の釣鐘もすべてはこれ牛除けのためにあり。


何でせっかく明治時代から今でもバリバリ現役で働く美しい余部の鉄橋を作り直さなくちゃいけないのか、って思ってたけど・・・こんなに腐ってたのね (-_-) アブナかったんだわ〜。


ピストンの上下運動を回転運動に変える仕組みを発明したワットさんがいなかったら今頃バイクも存在しなかったのかも。







懐かしいよね・・・いつの間にか木造車両も貨物列車もチッキも食堂車も赤いディーゼル車も姿を消してしまっていた。このあたりの物には実際に見た記憶もあるしただただ懐かしさを感じるだけなのだが、展示物のなかには、特に電子制御時代の今となっては無用の長物以外の何物でもない巨大で複雑な機械たちのなかには、何か得体の知れない化け物じみた、あるいはめちゃくちゃ前衛的なアートを目の前にしているような印象さえ受けるものもある。とてつもなくクールだ。




踏み切り、レール切り替え、表示板、改札・・・こんなに舞台裏が大掛かりなものだとは思わなかったものから小さな切符ひとつに至るまで、ひとつひとつのことが先人から引き継いだ膨大な知恵と工夫の結晶なんだなということを改めて実感できる、よい博物館だと思うよ。

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こりゃMIKAの生まれてから今までに撮られた写真の中でもベスト5に入るんじゃないかなあ・・・

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何年か前にとりあえずサインインはしといたものの、その利用法や価値がイマイチわからず長らく放置状態だったTwitter。昨年末のガイナーレにまつわる騒動時に、ブログやfacebookよりもtwitterの情報量が圧倒的に多かったため、それがきっかけで結構twitterもチェックするようになった。とはいってもほとんど発信専門のfacebookとは正反対の、ほぼ受け身専門なんだけど(´・_・`)


私の好きなヘビーロックのバンド、Borisのメンバーは、facebookよりもtwitterのほうがお好みのよう。結構頻繁にツイートされているので、私はフォロワー登録して日々静かにチェックしていた。彼らがヨーロッパ北部をツアー中のある日、メンバーのひとりがガンダムマニアじゃないとちょっと分かりづらいネタをツイートした。思わず指が勝手に動いて、やはりガンダムマニアじゃないと分からないコメントを返信してしまった。そのあとシャワー浴びて浴室から出て何気にスマホに目をやると、twitter返信のお知らせが出ている。確認しようと開いてビックリ。なんと、バンドのメンバーが直々に、ガンダムネタで私にコメントを返信してくれているではないか!


・・・なるほど、 これがtwitterの魔力というやつか。まさかの有名人がいちファンの呼びかけに対してダイレクトに応えてくれる。個人的なメールみたいに。ファン心理を突いてるよ。

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・・・気が付くといつも靴下のかかと部分が上にきている。

それも右足だけ。

どうせなら360度回転してまた元通りになったらいいのに、 何故かいつも190度あたりで回転が止まってしまっている。

・・・何故なんだ?

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米子の人気カフェ、giardinoへ。移転した後はイマイチ場所がわからず3年近くご無沙汰していたが、スマホのナビを使ってようやくたどり着くことができた。スマホなしではジモティ以外には到底わからん場所だった。この不景気にあって相変わらず、いや以前よりも増した盛況ぶり。店も大きくなったし、倉吉をはじめ支店もどんどん増えている(最近はなんと代官山に進出)。最初は米子今井書店の小さなコーナーから始まったのを覚えてる。でもあの頃から、カウンターで飲む小さな紙コップのコーヒーはとても香りがよくて美味しかった。見かけばかりで味がイマイチだったり、ありがちで新鮮味のないメニューだったりする店や、味はよいけどセンスが?なところ(県庁近くの紅茶やキーマカレーで有名な某店は、味やこだわり、食材や食器の品質の高さ、店主の人当たりなど文句なく一流なのはわかるのだが…如何せん何というかセンスが…)が多いなか、味もセンスも特異性も持ち合わせた、丁寧で手を抜かない商いをすることで、不況なんて何処吹く風って言わせられる経営が出来るんだなあ…ちょっとヒントを頂いた気がする。



リンゴのタルトのリンゴは、透き通るまで煮込まずに生の食感を残した仕上がり。タルトの土台にはその店のこだわりや丁寧さのレベルがある程度現れると思うのだが、ここの味は一筋縄ではいかない複雑さがあり、適度な湿り気を保持していて食感がよい。コーヒーはもちろん美味しい(ただしヨーロピアン系深煎りの苦味とコクが好きなひと向き)が、今回オーダーしたこのチャイもスパイスの使い方、茶葉の煮出し方が絶妙。


道は分かりにくいから、ナビで行くか、私を連れてって。


と、ここまで下書きしてカフェを出た。その後判明したのだが、結局日吉津ジャスコの前を通って右に曲がると労災病院に行く交差点を左に曲がるとすぐだった orz 。素直にナビに従うと、米子東インターで一旦降ろされてまたすぐ米子道に戻され、日吉津インターで9号線にでてしばらく進んで右に曲がって田んぼの中を突っ切り新興住宅地のはずれのカフェの裏側に連れて行かれる。店の前に回ろうとしてその道の先へ進むと行き止まりになっている…ナビのバカ orz

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タマネギ、モヤシ、ニラ、タマネギ、モヤシ、ニラ…時々ホルモン。


…韓国住めにゃい orz

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鳥取に引っ越してから2年前まで通っていたダンススタジオの、先週末のステージ観賞に続いて、今週末はそれより以前、倉吉に住んでいた頃に在籍していたダンススタジオのステージを観に同じくOGのかずえちゃんと倉吉へ。


ここのダンスは非常に筋力を必要とする振り付けをされるので、大人のクラスよりもむしろ、Jr.1(高校生)のクラスのほうが見応えがあったりするんだよね…ここのスタジオの持ち味のひとつ、ゴム鞠のような躍動感がJr.1の踊りにはよく現れていてよかったんではないだろうか。昔はJrは大人のクラスに比べるとやはり幼い感じがしてたけど、イマドキの高校生は既に高度なテクニックもちゃんと身についている。大人のクラスはその表現力を生かして情感たっぷりに踊られるのだが、やっぱり筋力の低下は否めない。それにここの先生はセクシーさを極力排除される方なので、大人クラスの作品の雰囲気はコンテンポラリーダンスとか宝塚の男役に近い。折角オトナのオンナなのに…まあ人の好みも色々あるからしょうがないけど、元々アメリカのストリッパーやショーガールみたいな踊りが一番好きな私としてはちょっと物足りない感じがする。

訳あって自分が引退してからこれまで全くそのステージを観に行った事がなかった。その間13年。もはや私やかずえちゃんと一緒にステージに立っていた人は一人しか残っていない。かつてはバリバリだったその彼女も、前日までの踊り込みや、当日朝から続いたであろうリハとゲネプロで体力を使い果たしてしまったのか、本番ではセンターの次くらいの立ち位置だったにもかかわらず精彩を欠いていた。先生もご自身がステージで踊るのを完全引退されており、それに代わって、私が在籍していた頃は小学生だった先生の娘さんが今回のステージからサブ指導者兼メインダンサー。そして保育園児だった息子さんは、Jr.1のメインダンサーに成長。もうみんな私の息子や娘みたいな年齢層。完全に世代交代してしまったのを思い知らされた。わかってはいたけど認めたくなかった。物語の主人公はひと世代若い人たちなのだ。もう私達は脇役でしかない。

それにしても先生の息子さん、イマドキの男の子は妙齢になるとストリートダンスに転向しがちなのに、よくぞ持ちこたえて男っ気溢れた男性ジャズダンサーに成長してくれたと思うよ。ある意味先生の念願だったもんなあ…「宝塚の男役みたいな女性ダンサー」ではなく正真正銘の筋力も体力もある、プロポーションがよくて高い身体能力をもった、ゲイっぽさのない男性ジャズダンサーの確保なんて、田舎じゃ不可能に近かったもの。


倉吉来たついでに、フリーペーパーに近頃よく掲載されていて気になっていた、白壁土蔵群にある薬膳食堂「めぐり」に行ってみた。



薬膳カレーと、チェリーと竹炭のタルト、シナモン入りカプチーノを注文。カレーなんだけど、ほっこりとやさしい味わい。丁寧に作っている感がして良い。なんだか食べてすぐ、血液や気のめぐりがよくなったような気になってしまった。

その後、一枚売りのお煎餅を食べながら付近を散策。老舗の大人なセンスのエスニック雑貨屋さん、サダルチョークで真珠貝と琥珀のピアス購入。色々新しいお店も増えて、以前よりは観光客も増えてるみたいだ。


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J2残留を決めた喜びも束の間、その4日後に突然発表されたガイナーレ選手11人の来期契約更新なし=クビ。その中にはほぼ全試合出場の美尾、ゲーフラまで作ってしまったayu姫をはじめとしてファンの多い翔太、唯一の地元出身福井理人などの看板選手達も。その理由についてクラブ側からは何の説明もないとして、腹に据えかねた熱心なサポーター達が緊急ミーティングを開いた。その様子は音声のみだがポッドキャストで中継されていたので私も気になって受信していたんだけど、なんだかさっきからずっと聞き覚えのある声ばっかりが聞こえてくるんですけど姫様…あ、熱いぜ。


なんか私も変化球型というかひねくれたものの考え方をする人間なのでなんとなくわかるんだけど、それがいくら正当な意見でもあんまり直球勝負で真っ正面から攻めすぎたら、SC鳥取の社長みたいなタイプの人はかえって態度を硬化させちゃうんじゃないかなあ…

と思ったらやっぱり、クラブ側からは何のリアクションもなし。業を煮やしたサポーターは質問状を作成してクラブに提出。しかし出向いたサポ代表に社長自らではなくスタッフが応対、早急の回答を希望するサポ側に対し、「回答するかどうかも含めて」検討する、とのこと…多分、出ないな、回答。


それにしても…コアなサポーターの中でも一二を争う論客のayu姫。絵、発言共々ミーティング取材に来たマスコミに取り上げられまくってたなあ…ツィッター上でも一番発言が目立ってるし、そのうちクラブ側から刺客が放たれるんじゃないかととっても心配(−_−;)

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神様なんぞわたくし悪いことしましたでしょうか?(T . T) ジャスコの屋上駐車場に2時間ほど車停めてる間にこんなことになっていた。



一体何時何に私はぶつけてしまったんだろうと車に近づいてみると凹んだ場所にはクッキリとでっかい足跡が…orz

以前にはこんなこともあった。

http://mikasnote.blog.shinobi.jp/Entry/14/


なんか、自分でも気が付かないうちにケンカ売っちゃってるんだろうか? 全然こっちはそんな気ないのに片道二車線道でデッドヒートされた挙句車の前に回り込まれて急ブレーキかけられたことが今までに3回くらいあったもんなあ・・・


車蹴られた同じ日の夜、行きつけの歯科医でバイク友達のT先生とそのお仲間とのツーリング中に今度は立ちゴケat羽尾。 シフトレバーのMIKA巻きはなんとかなるとして、チェンジペダルがめり込んでしまっていて操作ができない。 こんなときT先生だったら何とかしてくれると思うのだが、先生はもう一人のバイク仲間と合流する為、一足先に出発してしまって携帯すらも通じない。 残った2人の男子はバイク屋さんを呼んだ方がいいよの一辺倒・・・


やだーっ! 絶対やだーっ!


閉店間際になってからの店長出動要請などという身も凍るような恐ろしい事態だけは何としても避けたかったのだが、こんなにお二人にご迷惑をおかけしている以上、こっちの事情なんか言ってられない・・・・シブシブ店長にTELして事情を話し、出動要請して待つこと約40分。 いくらなんでももうそろそろ着いてもいい頃だよなあ・・・と思っているところに、店長からTELが。


<もしもし>
「店長!すいません今どこですか⁈」
<今浜坂だけどな>
「えっ⁈ (;゜0゜)い、今なんと?」
<今浜坂だけど、何処おるだ?>


行き過ぎですっててんちょー!!ヽ( ̄д ̄;)ノ


必死で今いる場所を店長に説明している間に、着信に気付いたT先生が現場に帰ってきて、持っていた道具で何とか操作可能なところまでペダルをひっばりあげて治してしまった・・・


「もしもし…あの、店長?」
<なんだ?>
「治ったみたい、です」
<なに?>
「な、治りました〜( ;´Д`)」
<ならもう俺は行かんでもええだか?>
「そ、そのようです〜( ;´Д`)」


さいあく〜!!ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3


史上稀にみる最悪のシナリオ。 本来なら謹慎したほうが精神的によさそうだったが、その翌日は翌日で別のバイク友達との約束があった。 まあなんとかなりそうかなと思って、仁くんをバイク屋さんに持っていかずにそのまま出かけた。 だけどなんかおかしい。 曲がったり止まったり発進したりする都度に、まるでバイクに乗り始めた頃に感じてたのと同じような恐怖感を感じる。 腑に落ちないまま、次の日バイク屋さんに仁くんを預けにいったら、ハンドルが歪んでしまっていることが判明( ;´Д`)。


もう、踏んだり蹴ったりの大出費。 ETCやナビやウェアにおぜぜをかけるどころではない。 ましてスクーターやら免許やらニューバイクなんて・・・


当分は夢のまた夢。  嗾けないでねてんちょー様(−_−;)あ、修理して戴いた後の仁くんはまるでビロードのように滑らかです*\(^o^)/*

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なんか、傍らで変な音がすると思ったら胡桃ちゃんがスマホをざっくりとスワイプしていた。

「・・なにしとる?」
なめこを収穫しとるだがっ!
「・・・」




そしてこの後も一定の時間が経つとおもむろにスマホを取り出しけたたましくなめこを収穫する胡桃ちゃんであった…

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桜島があんなにしょっ中噴煙上げてるもんだとは思わなかった。去年一年間で500回以上爆発してるんだって!(◎_◎;) 今年も400回超え。気候はよさそうだけど、街も緑も灰のせいでなんとなくモヤモヤと薄汚い。車もドロドロだけど慣れっこって感じで汚い状態で放置。でも噴火によっては火山灰が水分とイオウ分を多く含んでいる時もあって、それは速攻落とさないと車の塗装がハゲるんだって。あんまりバイクも走ってるのを見かけない。なんかいやだもんねえ気分的にさ。



しかし砂丘と大山行ったらネタが尽きる鳥取と違って羨ましいくらい興味深いネタに溢れた鹿児島。日本史音痴の私でも西郷隆盛や島津藩くらいは知ってるからねえ。中央から遠いこと、頑固で田舎っぽいけど誇り高く気概に満ちた県民性、それに桜島や日本の南端であるといった地理的条件による他県との様々な相違。平屋建てが6〜7割だし屋根がない箱型の家やスレート葺のあまり傾斜のない屋根の家が多い。台風くるし、雪降らないからね。



焼酎、かるかん、さつまあげなど数多ある鹿児島土産のなかで、私の一押しはカルビーご当地シリーズのおさつほっこり。味といい食感といい、控えめ加減が逆に病みつき感を誘う。



泊まったのはいかにもバブル時代の香りプンプンの、ハワイアンリゾートの出来損ないって感じのホテル。なぜか指宿泊まりにしては無闇やたらとデカいスーツケース転がしてる人が多かったが近づいてみると日本語を話さない人達だった。 でもアジア系以外の外国人はいなかったなあ。




そして禁断の砂蒸し風呂写真。気持ちよくなる以前に踵が熱くて絶えられず飛び出しリタイアorz。



鹿児島には昔特攻隊のベースメントがあった。跡地には当時の給水塔や弾薬庫が残り、記念館には1032人の特攻隊員の写真と絶筆がある。 みんな恐ろしく若く、恐ろしいほどに純粋で真摯だ。頭が下がると同時にこれは一種の洗脳だなと思う。

ここ知覧の飛行場から六機編隊の戦闘機が飛び立つ。光を受けて銀色に輝くそれを見上げる農民たちは、帽子をとり、深々と頭を下げたまま、いつまでもいつまでも無言で見送り続ける。やがて編隊は青い南の空に消えていく。二度と戻っては来ない。

命をかけて守った日本は、平和で自由だけど自堕落で享楽的で馬鹿でふざけた国。いいのか悪いのか私にはわからない。



やくも+岡山から直通の新幹線であっという間に着いてしまう鹿児島。来年はお一人様ン十万円の超豪華寝台車もダイヤに組み込まれるらしいし、誰か乗ってみて感想聞かせてほしいなあ。

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