思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
東京(3)
丸の内。 昔、ここは東京湾の入江だった・・・江戸時代に埋め立てられて、大名の江戸屋敷街→陸軍基地→煉瓦造りのビル街→鉄筋コンクリートのビル街→高層ビル街へと移り変わっていった。
その美術館のこけら落とし、マネの展覧会。 オランピアちゃんとか裸でピクニックの絵とかバーテンダーのおねえちゃんの絵とかは来ていなくて、2番手あたりの絵が来ている。
な~んて勝手に思い込んでたけど、鳥取に帰ってから図書館で読んだベルト・モリゾの伝記によると、実際の彼女は別にロックでもパンクでも反骨精神に溢れているわけでもなかったようだ。 最初に絵を習わせたのは母親で、別に画家になることには反対されなかったしお姉さんも一緒に画家になった。 画風は影響を受けたかもしれないけど別に既婚者のマネとの間柄がどうこう、というわけではなくて、たまたま自身がオールドミスでいることの世間体を気にしていた時期に、自分やマネたちと一緒につるんで遊んでいた、顔見知りで結婚条件のつり合う「いいひと」であるところのマネの実弟のプロポーズをうけたまでの事らしいし、何より彼女自身の作風がロックじゃなかった。 彼女の絵に描かれた女の人たちの表情は、複雑で繊細で、いかにもフェミニンな感じだった。
もう一冊の伝記の方は、わが道を行く、妥協を許さない、物事の本質を追究してやまない一本気で気難しくて強情だった性格を強調してみせる・・・ちょっとだけロック。 けれど19世紀の慣習や、出自に対する矜持と責任、母親の意見には比較的おとなしく従っていたらしい。
2つの絵じゃ同一人物と思えないほど印象が違うけど、どっちが彼女に似てたんだろう? 本人は下の方を気に入ってたし、私も下の方がいい。 でも、自我と当時の慣習とのせめぎ合いの中で、時には上みたいな顔して、また別の時には下みたいな顔してた、そういうことなのかもしれない。
PR
COMMENT