思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活
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東京(3)
丸の内。 昔、ここは東京湾の入江だった・・・江戸時代に埋め立てられて、大名の江戸屋敷街→陸軍基地→煉瓦造りのビル街→鉄筋コンクリートのビル街→高層ビル街へと移り変わっていった。
90年代半ばあたりから国鉄本社や都庁の跡地の再開発、昭和初期に建てられたビルの改築がはじまり、丸の内は丸ビル、新丸ビル、丸の内OAZOを中心としたショッピング&レストラン街へと変貌を遂げる。 そんな中、明治初期に軍用の官営地だった丸の内を150万円でごっそり買い取った三菱財閥、現三菱グループは、かつての煉瓦作りのビルを、出来る限り当時に忠実に復元。 それを美術館として最近オープンさせた。
内部の階段。 オリジナルは伊豆青石を使っていたけれど、伊豆青石は掘り尽くされってしまったのか、復元されたものは中国産の五雲石を使っているとのこと。 この翡翠と擦りガラスの中間のような質感のミントアイスクリーム色の階段と、白い壁、窓枠の黒、窓の形、その四つの窓の配置・・・雨天の軟らかい外光の差し込むこの一角は詩的な雰囲気。 中庭にはピンク色のオーソドックスなローズガーデン。 黒いテーブルと椅子に紫のナプキンの色が映えるテラス席のあるワインバーがあった。
その美術館のこけら落とし、マネの展覧会。 オランピアちゃんとか裸でピクニックの絵とかバーテンダーのおねえちゃんの絵とかは来ていなくて、2番手あたりの絵が来ている。
いちばん気を惹かれたのはこの下の小さいほうの絵。 この表情、すげ~ロックなものを感じる。 上の絵も下の絵もモデルは同一人物で、自身も画家だったベルト・モリゾという人。 19世紀当時、女の人が職業を持つということ、まして画家なんていう職業につこうとするにはかなりの気力が必要だったと思われる。 マネとはルーヴルで模写をしているときに出会った。 以来、マネは数点の作品を彼女をモデルに描き上げている・・・そしてベルトはマネの実弟と結婚・・・おお、なんてパンクな!
な~んて勝手に思い込んでたけど、鳥取に帰ってから図書館で読んだベルト・モリゾの伝記によると、実際の彼女は別にロックでもパンクでも反骨精神に溢れているわけでもなかったようだ。 最初に絵を習わせたのは母親で、別に画家になることには反対されなかったしお姉さんも一緒に画家になった。 画風は影響を受けたかもしれないけど別に既婚者のマネとの間柄がどうこう、というわけではなくて、たまたま自身がオールドミスでいることの世間体を気にしていた時期に、自分やマネたちと一緒につるんで遊んでいた、顔見知りで結婚条件のつり合う「いいひと」であるところのマネの実弟のプロポーズをうけたまでの事らしいし、何より彼女自身の作風がロックじゃなかった。 彼女の絵に描かれた女の人たちの表情は、複雑で繊細で、いかにもフェミニンな感じだった。
もう一冊の伝記の方は、わが道を行く、妥協を許さない、物事の本質を追究してやまない一本気で気難しくて強情だった性格を強調してみせる・・・ちょっとだけロック。 けれど19世紀の慣習や、出自に対する矜持と責任、母親の意見には比較的おとなしく従っていたらしい。
2つの絵じゃ同一人物と思えないほど印象が違うけど、どっちが彼女に似てたんだろう? 本人は下の方を気に入ってたし、私も下の方がいい。 でも、自我と当時の慣習とのせめぎ合いの中で、時には上みたいな顔して、また別の時には下みたいな顔してた、そういうことなのかもしれない。
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