思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活
カテゴリー「エンタテイメント、アート、建築」の記事一覧
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- 2012.04.10 まるくなったレニー
- 2012.02.08 Rolling in the deep
- 2011.10.05 マダム バタフライ
- 2011.07.23 美術館三昧(写真はクリック拡大できます)
- 2010.12.11 ダンサーのなかのダンサー
- 2010.05.18 日曜日に何してたかっていうと
- 2010.05.13 好きな物件(湖山街道編)
- 2009.09.05 孤高のサル
- 2009.05.20 なかなかオシャレな物件
- 2009.04.17 京の日本画展
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最初喋ってることはわかんないし動きが少ないし舞台も衣装も音楽もジミだしヤバい寝てしまうかもと思っていたのだけど、中盤から三味線の音が気になり始め、知らず知らず身を乗り出してしまっていた。なんかすごく色っぽいんだよシャミのネって…そうこうするうちにも演奏はどんどんエモーショナルになっていき、しまいには恍惚と怒涛のツイン三味線状態に。(;゜0゜)興奮して思わす拍手が。
そしてシルバーに輝く烏帽子を被った全身白ずくめの海老蔵登場。
レッドミラージュかと思った(;゜0゜)
白一色なんだけど派手で派手で(;゜0゜)思わす目を奪われる。一連の所作によって見えてくる形、衣装のシルエットも込みのその一瞬一瞬の形に派手さと美しさが感じられ、とても、とても勉強になった。バレエや茶道や空手と一緒。初めに型ありきの芸術なんだわ…。
やっぱり遊んだりヤンチャしたり一流のモノにいつも囲まれているというのはいいコヤシになるもんなんだな…悔しいけど。
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2度にわたる大阪ヘルプとひどい偏頭痛発作のために一か月以上図書館の本を延滞して、図書館から督促はがきが届いてしまった・・・それからまたさらに一週間。 何が何でも今日は返さなきゃと日曜の朝から計7冊のうち4冊の本を斜め読みを通り越して俯瞰読み、読み込んで付箋だらけになった残りの2冊の付箋部分を必死にノートに書き取り終わって返却に行き、目星をつけていた本をさっさと借りて図書館を出ようとして、ふと雑誌ラックに目がとまり、そこにあった「日本の豪邸建築」という見出しに魂を奪われ熟読してしまい、図書館を出たところでまた向かいの公文書館の「昔の鳥取」の写真展に吸い込まれ、結局、バイク屋さんに着いたのは2時過ぎ。
新聞広告で見かけて気になっていた、足立美術館の橋本関雪展(2009.09.05 孤高のサル参照)。 もうちょっと早めに鳥取を出発できてたらよかったのだが2時半近くとは微妙な時間だしまだちょっと寒いし何せ今日が今年のバイク初乗り。 行こうかどうしようか迷っているうちに無意識にバイクは山陰道を西へ向かってしまい、腹を決めて足立美術館へ向かう。
安来から多少迷ったけどなんとか閉館30分前にガチガチに凍えた状態で到着。
・・・やっぱり来てよかった。 色々インスピレーションもらったし。
そして、日本一と謳われる庭園へ。 何だか・・・凄まじいほどの完璧主義というか潔癖症というか・・・アリやコオロギやセミさえ立ち入り禁止の、枯れ落ち葉一枚すら落ちているのを許されない世界。(人間はもちろん立ち入り禁止。)日本庭園ではあるが、そこには侘び寂び的な感覚は微塵も存在せず、むしろ幾何学的に整えられた西洋式庭園的な雰囲気。 あまりにも完璧すぎてまるで絵空事にしか見えない空間が目の前にひろがっていた。


人は物の何に強く美を感じるのかといったら、私はその一部は不完全さにあると思う。 この庭園はとても志(こころざし)的には立派だが、それを美しい、アートだ、という感性は、私にはない。 極端な話、ゴルフ場とコンセプトが一緒だ。
それにしても・・・お手入れするのに一体何人、何時間、おいくらかかってるんだろう? 足立さんの職業って何⁇
歯の根も合わないほど冷え切りながらなんとか終業時間前にバイク屋さん到着。 店長、奥様、お待たせしてスミマセンでした m--m
新聞広告で見かけて気になっていた、足立美術館の橋本関雪展(2009.09.05 孤高のサル参照)。 もうちょっと早めに鳥取を出発できてたらよかったのだが2時半近くとは微妙な時間だしまだちょっと寒いし何せ今日が今年のバイク初乗り。 行こうかどうしようか迷っているうちに無意識にバイクは山陰道を西へ向かってしまい、腹を決めて足立美術館へ向かう。
安来から多少迷ったけどなんとか閉館30分前にガチガチに凍えた状態で到着。
・・・やっぱり来てよかった。 色々インスピレーションもらったし。
そして、日本一と謳われる庭園へ。 何だか・・・凄まじいほどの完璧主義というか潔癖症というか・・・アリやコオロギやセミさえ立ち入り禁止の、枯れ落ち葉一枚すら落ちているのを許されない世界。(人間はもちろん立ち入り禁止。)日本庭園ではあるが、そこには侘び寂び的な感覚は微塵も存在せず、むしろ幾何学的に整えられた西洋式庭園的な雰囲気。 あまりにも完璧すぎてまるで絵空事にしか見えない空間が目の前にひろがっていた。
人は物の何に強く美を感じるのかといったら、私はその一部は不完全さにあると思う。 この庭園はとても志(こころざし)的には立派だが、それを美しい、アートだ、という感性は、私にはない。 極端な話、ゴルフ場とコンセプトが一緒だ。
それにしても・・・お手入れするのに一体何人、何時間、おいくらかかってるんだろう? 足立さんの職業って何⁇
歯の根も合わないほど冷え切りながらなんとか終業時間前にバイク屋さん到着。 店長、奥様、お待たせしてスミマセンでした m--m
レニー・クラビッツの14年ぶりの日本公演に、ネット仲間MIKIさんが声をかけてくださった。 で、この週末に上京。
MIKIさんとお会いしたのも久しぶり。 しかし上京ついでにとあれもこれもと予定を入れてしまったり、ヒールの高いサンダルのせいで靴ずれとむくみが起きたりしたせいで、バタバタと気もそぞろになってしまってゆっくりお話しするような心の余裕もなく大変申し訳なかった。
2003年、20008年と「体調不良」によるドタキャンが続いたレニーも47歳。 ひと年とると、一流どころとされているロックミュージシャンであってもそうトンガッてばかりもいられなくなる。 日本? だせ~、いかね~よそんなとこたり~じゃんな~んてもう言ってられないのだ。 とにかく稼げるうちに稼いでホントに売れなくなってしまった時のために備えねば・・・グラミーを受賞したのも今は昔。 もういくら「音楽性の高い」CDを作っても、そのなかからクールな「大ヒット曲」は出なくなってきてしまった。 14年前は武道館を一杯にし、キムタクも観に行ったレニーのコンサートではあったが、今回の会場は東京ドーム。 え?あの東京ドーム? 武道館よりデカイんじゃ・・・と、思うでしょ? 私も最初はそう思って大丈夫か採算合うのかレニーと心配したが、東京ドームの地下の、まあその辺のライブハウスに毛が生えたくらいのところが会場だった。
バンドのメンバーもそれぞれ確かな腕を持った聞かせるミュージシャンたちで、前半は大人な雰囲気で進行し、これはこれで聴きごたえがあっていいなあとまったり聞いていたが、中盤辺りからぼつぼつと初期~全盛期の曲が入って来てだんだんこっちのテンションも上がってきた。 私のいちばん好きなFields of Joy。 そしてRock’n Roll is deadのイントロが流れて来た時には思わずぴょんぴょんと飛び上がって踊り出し気分は最高潮に・・・あ~ごめんよレニーやっぱり昔の曲の方がどうしても盛り上がっちゃうんだよ~と後ろめたくなったが、なんかレニーも、わかってるっていいってことよだってホントーのことなんだからなと言ってくれてるような感じがする。 MCも終始ゴメンよ日本ドタキャンなんかして後悔してるよなんだったんだろ若い時ってのはしょ~がね~よな日本自然きれいだしみんなこんなに良くしてくれてあったかいいいひとばっかりなのにさ~的なことを言ってたし、アンコール時には時間をかけて後方や2階席の客に歩みよってハグやタッチ・・・丸くなったよレニー。 いいおっさんだよね人の事言えないけどさあ・・・これでいいのかなあ・・・まあこれでいいんだよね・・・。
最後に Fields of Joyを意訳してみたんでのっけときました。 実演映像は最後に。
ゆっくりとあてもなく歩くんだ
ゆっくりと、ゆっくりとね
葉っぱに触れる・・・その葉っぱは空に触れている
君と僕 fields of joyを歩くんだ
トラブルはすべて消えていく
ゆっくりと、ゆっくりとね
君の手を握り
fields of joyを歩くんだ
聞こえてくる音楽
混ざり合う空気の色
街も山も視界から消えてなくなり
真実と美だけが見えてくる
君と僕
Fields of joyを歩くんだ
ゆっくりとあてもなく歩くんだ
ゆっくりと、ゆっくりとね
僕たちの愛は不滅
君と僕 ふたりだけで
Fields of joyを歩くんだ
・・・I know our love will never die・・というくだりがあって、それが嘘だというのがわかっている大人たちには、この美しくのどかなイメージを持った歌全体が、どこまでも切なく哀しく響いてくる。
MIKIさんとお会いしたのも久しぶり。 しかし上京ついでにとあれもこれもと予定を入れてしまったり、ヒールの高いサンダルのせいで靴ずれとむくみが起きたりしたせいで、バタバタと気もそぞろになってしまってゆっくりお話しするような心の余裕もなく大変申し訳なかった。
2003年、20008年と「体調不良」によるドタキャンが続いたレニーも47歳。 ひと年とると、一流どころとされているロックミュージシャンであってもそうトンガッてばかりもいられなくなる。 日本? だせ~、いかね~よそんなとこたり~じゃんな~んてもう言ってられないのだ。 とにかく稼げるうちに稼いでホントに売れなくなってしまった時のために備えねば・・・グラミーを受賞したのも今は昔。 もういくら「音楽性の高い」CDを作っても、そのなかからクールな「大ヒット曲」は出なくなってきてしまった。 14年前は武道館を一杯にし、キムタクも観に行ったレニーのコンサートではあったが、今回の会場は東京ドーム。 え?あの東京ドーム? 武道館よりデカイんじゃ・・・と、思うでしょ? 私も最初はそう思って大丈夫か採算合うのかレニーと心配したが、東京ドームの地下の、まあその辺のライブハウスに毛が生えたくらいのところが会場だった。
バンドのメンバーもそれぞれ確かな腕を持った聞かせるミュージシャンたちで、前半は大人な雰囲気で進行し、これはこれで聴きごたえがあっていいなあとまったり聞いていたが、中盤辺りからぼつぼつと初期~全盛期の曲が入って来てだんだんこっちのテンションも上がってきた。 私のいちばん好きなFields of Joy。 そしてRock’n Roll is deadのイントロが流れて来た時には思わずぴょんぴょんと飛び上がって踊り出し気分は最高潮に・・・あ~ごめんよレニーやっぱり昔の曲の方がどうしても盛り上がっちゃうんだよ~と後ろめたくなったが、なんかレニーも、わかってるっていいってことよだってホントーのことなんだからなと言ってくれてるような感じがする。 MCも終始ゴメンよ日本ドタキャンなんかして後悔してるよなんだったんだろ若い時ってのはしょ~がね~よな日本自然きれいだしみんなこんなに良くしてくれてあったかいいいひとばっかりなのにさ~的なことを言ってたし、アンコール時には時間をかけて後方や2階席の客に歩みよってハグやタッチ・・・丸くなったよレニー。 いいおっさんだよね人の事言えないけどさあ・・・これでいいのかなあ・・・まあこれでいいんだよね・・・。
最後に Fields of Joyを意訳してみたんでのっけときました。 実演映像は最後に。
ゆっくりとあてもなく歩くんだ
ゆっくりと、ゆっくりとね
葉っぱに触れる・・・その葉っぱは空に触れている
君と僕 fields of joyを歩くんだ
トラブルはすべて消えていく
ゆっくりと、ゆっくりとね
君の手を握り
fields of joyを歩くんだ
聞こえてくる音楽
混ざり合う空気の色
街も山も視界から消えてなくなり
真実と美だけが見えてくる
君と僕
Fields of joyを歩くんだ
ゆっくりとあてもなく歩くんだ
ゆっくりと、ゆっくりとね
僕たちの愛は不滅
君と僕 ふたりだけで
Fields of joyを歩くんだ
・・・I know our love will never die・・というくだりがあって、それが嘘だというのがわかっている大人たちには、この美しくのどかなイメージを持った歌全体が、どこまでも切なく哀しく響いてくる。
近頃はホントに猫も杓子もダンスするご時世。 これだけ氾濫すると、ちょっとやそっとの上手さでは驚かないというかほとんど何も感じない。 それがたとえ百戦錬磨のかなり上級テクや表現力をもったプロダンサーだったとしても。
しかしこのPVに挿入されたダンスには久々鳥肌が立ってしまった。 最初スケート靴でも履いてるんかと思ったほど、並のダンサーではとても身体の軸が取れそうにないポーズでの何回転もの高速ターン・・・敏捷に、大胆に、大きく弓なりに反り返る身体・・・・ひとつひとつのポーズがいちいちドラマチックに見る者の感覚に訴えかける。 シチュエーションの作り方も上手い。 長い棒状の武器を持った、中世の騎士とか戦国時代の武士を連想させるコスチューム・・・長い年月を経て堆積した埃あるいはすべて燃え尽きてしまった後に残された灰、といったイメージを想起させる、部屋一面のおびただしい量の白い粉。 そしてその手に持った長い棒を使って、白い粉をかき回して白煙をもうもうと巻きあげ、踊りの激しさ、感情の激しさを視覚化する。
あのダンサーは誰?と同じような事を思った人は多いらしく、検索したら知恵袋的なサイトからあっさり答えが見つかった。 Jeniffer White というコンテンポラリーのコレオグラファー兼ダンサーとの事・・・ちょっと残念。 え?何が残念なのかって?・・・・だってこの、スレンダーでムチのようにしなう体を持った、戦士のようないでたちのダンサーがもし男性だったらと想像してごらんよ・・・・女性ダンサーが踊っていると認識して見ているよりもっとクールでゾクゾクしない?
今回、長崎に行くにあたってマダムバタフライをIpodにダウンロードしたりYou tube見たりして勝手に事前に盛り上がっていた。
興味のある人は観てみて。 三つのハイライトシーン貼っといたから。(必ずイヤホンで大音量で聞いて。) この蝶々さん役のひとって、日本人にはどうってことのないアッサリ顔に見えるけど、これって外国人にはめちゃくちゃキュートに映っていると思われ。 でも昔の十五歳の設定だから、こんくらい童顔でスッピン的でなんにも知らないみたいな顔のほうがリアルかも。
1、ちょー有名なアリア。 到底帰ってくるはずがないと、周囲の人も観客もわかり過ぎるほど分かっている(母国に帰ってさっさと結婚、子供も生まれている)人を、何年も何年も何の疑いもなく無邪気にひたすら待ち続ける蝶々さん。 再会のシーンを想像してつかの間の喜びに浸った後、ふとよぎってしまう不安と寂しさ。 ほんとは彼女も薄々状況が分かってきているのだわ・・・
2、ラストシーン。 すべてを悟った蝶々さんは恥を忍んで生きるよりも名誉の死を選ぶ。 ピンカートンとの間にできた子供に、私の顔を忘れないでと抱きしめた後、自分が自害するのを見せないよう目隠しをして外へ送り出す。 そして短刀を腹部に突き刺したまさにその瞬間・・・
3、デュエット。 月の光がその瞳に宿っている・・・可憐だわ。 後から思えばこれが蝶々さんにとっての人生最高の瞬間だったんだわね・・・
興味のある人は観てみて。 三つのハイライトシーン貼っといたから。(必ずイヤホンで大音量で聞いて。) この蝶々さん役のひとって、日本人にはどうってことのないアッサリ顔に見えるけど、これって外国人にはめちゃくちゃキュートに映っていると思われ。 でも昔の十五歳の設定だから、こんくらい童顔でスッピン的でなんにも知らないみたいな顔のほうがリアルかも。
1、ちょー有名なアリア。 到底帰ってくるはずがないと、周囲の人も観客もわかり過ぎるほど分かっている(母国に帰ってさっさと結婚、子供も生まれている)人を、何年も何年も何の疑いもなく無邪気にひたすら待ち続ける蝶々さん。 再会のシーンを想像してつかの間の喜びに浸った後、ふとよぎってしまう不安と寂しさ。 ほんとは彼女も薄々状況が分かってきているのだわ・・・
2、ラストシーン。 すべてを悟った蝶々さんは恥を忍んで生きるよりも名誉の死を選ぶ。 ピンカートンとの間にできた子供に、私の顔を忘れないでと抱きしめた後、自分が自害するのを見せないよう目隠しをして外へ送り出す。 そして短刀を腹部に突き刺したまさにその瞬間・・・
3、デュエット。 月の光がその瞳に宿っている・・・可憐だわ。 後から思えばこれが蝶々さんにとっての人生最高の瞬間だったんだわね・・・
次、上野の国立西洋美術館、大英博物館所蔵の古代ギリシャ展へ。・・・石って彫ったことある? 絵を描くより数段大変だよ?・・・何のメソッドも道具も情報も無いところからいきなりこんなパーフェクトなもの作っちゃうなんてなあ・・・不思議なのは、男はなんかうっすら脂肪が乗って滑らかげで、お尻のところにえくぼなんか出てるし、女は結構筋肉質で、これって男尻だろ?としか思えないような腰つき・・・後ろから見ると男女いったいどっちなんだと迷うような彫刻が少なくないことだ。 ビーナスとかアドニスとかそういう美の神様だの美の化身だのを題材にすると、ギリシャ人の感覚ではなぜか両性具有的になってしまうらしい。 そういえば ギリシャってBLが普通に存在してたらしく、それ系の展示物も何点かあって、それを見てやたらアツくなってたメガネ女子たちが印象的だった。
ここには松方コレクションの常設展もある。 中世のイコンとかルネサンス、新古典主義とかゲンナリするほど宗教画見た後で、20世紀絵画の部屋に来るとなんか押しつけがましくなく自由に観れてほっとする。 好きなアーチストのひとりルオーもいくつかあった。 写真OKだったので撮ってみた。



ワシントンナショナルギャラリー展の客層・・・ウチの両親なんかそうだけど、バブル以前、情報量の格段に少なかった時代、大部分の日本人にとって、西洋絵画と言えば印象派を指すも同然だった。 そういった世代が主な客層。 あとはとりあえず有名どころの画家さんの絵がいっぱい来てるみたいだから、ちょっと見に行ってみとこうか層。
古代ギリシャ展の客層・・・これがなんか不思議な客層だったんだよね・・・美術館よりも博物館が似合いそうなタイプ・・・流行りだとか着るものや外見に全く無関心、オタクのみなさんの方が全然流行に敏感な感じがしたくらい、質実剛健、古典、歴史、哲学大好き、けど現代の政治や経済にはあんまり関心なし、求めるのは永遠究極の真理のみッス、みたいな。
で、パウル・クレー展の客層なんだけど・・比較的年齢層が若い。そして独創的なオシャレをしてる人が多い。 独創的なオシャレってともすればセンスが悪かったりひとりよがりで見るに堪えなかったり異様になよっちかったり懲りすぎて過剰になったりすることが多いんだけど、そうはならずに美的に納得できるっていうか・・・たとえば男子だけに限定して言っても、冴えたスカイブルーのTシャツに薄いパープルのスゥエットパーカを重ね着してたり、形はあくまでオーソドックスなシャツなんだけど柄や色に一癖あってしかもよく似合ってたり、普通丈のチノやワークパンツじゃなくってショーツを品よくものにしていて、足元はちょっと凝ったデザインのビルケンシュトックだったり、アイウエアやかぶりもの・・・奇をてらわず、古臭くならず、フェミ男にもならない範囲のアイテムを上手に使って着こなしている。 年齢層が比較的若いと言ったが老齢層もクールなオーラをまとった人が多かった。 職業的にたとえて言うと、アーチストとか服のデザイナーっていうより建築家とかプロダクトデザイナーとかウエブデザイナーとか、理系入ってます系の前衛クリエイターっぽい。 クレー自身がバウハウスの講師だったんだもんな・・・ツボが似てるんでしょうきっと。 もちろんクレーの絵にも線や色や構図やらものすごく刺激をうけたんだけど、おんなじくらい観客の皆さんにも楽しませてもらった。(ただしそういったオシャレをしたセンスのいい男女が性的に魅力的かというとそれとこれとは別問題なんだけど・・・)
もう5年前なのか・・・松江でギエム様のTWOを観たのは。 あまりに凄過ぎて金縛りになって鳥肌立ちまくりだった。 これほどの身体能力と解釈力と表現力を兼ね備えたダンサーっていない。 おまけに高身長にまっすぐでスリムな体型に神秘的な美貌・・・ギエム様の前にギエム様なし、ギエム様のあとにギエム様なし。
You TubeでTWOの画像を見つけてしまった。 とりあえず貼っときます。
若い頃はギエム様も律儀に古典の全幕ものを踊っていらっしゃったようだ。 しかし物凄い存在感のオデット姫・・・存在感強過ぎて王子が添え木にしか見えなくてヤバい。
ギエム様はボレロも踊っていらっしゃるのか・・・パーフェクトにきっちりと中性的な感じに踊ってらっしゃってなんだか巫女さんのようだ。
しかしボレロといえばやっぱりドン様でせう。 若い時の機敏で彫刻のようなドン様のボレロもいいけど中年期のどっしりと油ギッシュなドン様の踊るボレロが好きだ・・・むんむんしてて。
島根県立美術館。 朝から何も食べてなかったので着くなりカフェになだれ込む。
ケーキはレアチーズを選択。 タルトタタンがあったら迷わずそれだったんだけどなくなってた。 NYチーズケーキのようなこってりんこちゃんを想像してたんだけど、泡立てた卵白入ってます系のとってもとってもふわふわエアリーなレアチーズだった。 エアリーなのが最近のレアチーズケーキの流行なんだろうか? 一昔前はゼラチンで固まってます系が多かったけどね。 あんまり味的にはベイクドと差がなくなっちゃってる感じがする。
北斎1等賞。
構図の大胆さでいったら広重もすごいんだけど、でもなんだか、もうちょっとどうにかできないのか、でもそれはそういうものだとして自分を誤魔化しながら鑑賞するべきなのか、ってな感じに、どこか腑に落ちない部分がある。 それに比べて北斎は、あ~もうあんたパーフェクトだよな~んも言うことなし!!って感じなのだ。 あるべきところにあるべき線があるって感じ。 これ以上付け加えてももこれ以下何か削っても野暮になる、そんな感じ。 冨嶽三十六景はもちろん名作だったが、滝とか橋のシリーズ、19~20世紀初頭のヨーロッパの本の挿絵めいた表現のシリーズとか、直筆画とか、色使い(特に青系統)も含めてとにかく粋だった。 特に北斎漫画の中のゾウさんの絵・・・パーフェクトだ。
この美術館で初めて知ったのが、橋本関雪だった。 展示室の一つに置いてあったのが関雪の馬と壮年の男性と中性的な若い人が描かれた屏風絵で、その絵柄に最初は現代の30代くらいの日本画家とかイラストレーターの作品かなと思った。 解説を見て、この絵が大正時代に描かれたと知ってびっくりしたと同時にこの橋本関雪という人に俄然興味が湧いてきて、それ以来ずっと心に引っ掛かり続けていた。(ちなみにこの屏風絵の題材は中国の故事で、ディズニーアニメでもお馴染みのムーラン。 馬から降り、兜を脱いで一休みするムーランを見て初めて主人が女の子だったのを知る従者、という場面らしい。)
そんなわけで松江の橋本関雪展へ。
このひとの面白いのは、題材にせよ画風にせよ一つ所に落ち着いてないところ。 その時々で最良だと思う表現方法を用いようとするあるいは時に同じ画面上でそれらを混在させようとする・・・現代のイラストレーター的な仕事だと思うのはそのあたりにあるのか・・・それにこのひともシーレ同様素描の線にそのセンスというか天賦の才が表れている。 あとは老人の表情、レイアウト、色づかい、動物のポーズと描線と眼の表現。
いちばん惹かれたのは、満月の夜、大ぶりな松の枝の上に佇む一匹の白い老いた猿の絵。 最愛の妻を失った後7年のちに描かれた、自身が亡くなる6年前の作品。
・・・どんなものにも衰退と終焉はやってくる。 その諦めと寂しさにつつまれている。
それに引き替えさらに予算のない中で頑張っている鳥取博物館の京の日本画展。 期待しないで入ったけど結構収穫が多かった。 その省略の美学が、シンプル至上主義の私のツボにはまる。 たとえばこの松の枝に積もる雪。 洋画だったら白絵の具を厚く塗り込めるところだろうが、この絵では、「なにも塗らない」ことによって雪を表現している。 この孔雀の羽根の表現だってあっさりしたもんだよ。 そのほか椿の葉っぱの塗り方だとか鯉の描き方だとか松の枝ぶりのレイアウトだとかそういった具体的な絵の表現のほかに、大阪の街の絵を眺めながら連想が連想を呼んでなぜか勝新太郎のことを考えていたり、似たような構図の屏風絵からどうもじいさんと鶴はセットらしいという考察を得たり(そばにいた学芸員の方にもその疑問をふってみたのだが、大笑いされるばかりで満足のいく返答は得られなかった)。