思考力も記憶力もなくひたすらカンだけに頼った人生を送るMIKAのツメの甘すぎる日常生活
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京の日本画展
島根美術館の19世紀展は予算ないけど10周年だしなんかやらねば感がひしひしと感じられてイタかったなあ・・・なんかほんと悲惨だった。 あ、でも絵自体はともかく古典派お得意の聖書や神話から得られた題材には興味をそそられたよ・・・・「正妻に子供ができないから”神のお告げ"によって2号さん囲って子供産ませたんだけどその後”神の御慈悲”によって90歳の正妻に子供ができたので"神の御意志”により2号と子供を街から追放しようとしている図」とか「新しく手に入れた毒の威力を夫に見せる為に奴隷に毒を盛ってその効果を実証している妻の図」とかさ・・・現代だったらアムネスティが怒鳴り込んできそうな話だ。
それに引き替えさらに予算のない中で頑張っている鳥取博物館の京の日本画展。 期待しないで入ったけど結構収穫が多かった。 その省略の美学が、シンプル至上主義の私のツボにはまる。 たとえばこの松の枝に積もる雪。 洋画だったら白絵の具を厚く塗り込めるところだろうが、この絵では、「なにも塗らない」ことによって雪を表現している。 この孔雀の羽根の表現だってあっさりしたもんだよ。 そのほか椿の葉っぱの塗り方だとか鯉の描き方だとか松の枝ぶりのレイアウトだとかそういった具体的な絵の表現のほかに、大阪の街の絵を眺めながら連想が連想を呼んでなぜか勝新太郎のことを考えていたり、似たような構図の屏風絵からどうもじいさんと鶴はセットらしいという考察を得たり(そばにいた学芸員の方にもその疑問をふってみたのだが、大笑いされるばかりで満足のいく返答は得られなかった)。
それに引き替えさらに予算のない中で頑張っている鳥取博物館の京の日本画展。 期待しないで入ったけど結構収穫が多かった。 その省略の美学が、シンプル至上主義の私のツボにはまる。 たとえばこの松の枝に積もる雪。 洋画だったら白絵の具を厚く塗り込めるところだろうが、この絵では、「なにも塗らない」ことによって雪を表現している。 この孔雀の羽根の表現だってあっさりしたもんだよ。 そのほか椿の葉っぱの塗り方だとか鯉の描き方だとか松の枝ぶりのレイアウトだとかそういった具体的な絵の表現のほかに、大阪の街の絵を眺めながら連想が連想を呼んでなぜか勝新太郎のことを考えていたり、似たような構図の屏風絵からどうもじいさんと鶴はセットらしいという考察を得たり(そばにいた学芸員の方にもその疑問をふってみたのだが、大笑いされるばかりで満足のいく返答は得られなかった)。
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個人的には楽しかったなぁ。歴史画、結構好きかも。
博物館は歩いて行ける距離なのに最近行ってないなぁ。
カフェ(?)コーナーのレトロメニューは健在のようでよかったね(=゜ω゜)ノ!!